ローザンヌの課題曲を毎年見ていると、
女子カテゴリ1(15〜16歳)だけ、急に「無難化」していることに気づく。
一方で、
同じローザンヌでコンテンポラリー課題は過酷化し、身体負荷が跳ね上がる。
そして男子は、
アルブレヒト(ジゼル)など大人の情念役を踊らされ続ける。
これは何なのか?
ここには、
「ポリコレ的倫理保護」と
「身体的・精神的保護の欠如」
が、奇妙にねじれて共存している構造がある。
私はこれを
“宗教的身体観の残滓と、制度の過渡期のズレによるバグ”
だと感じている。
1. 女子カテゴリ1だけ”無難化”した理由
近年の女子の課題曲は:
- フロリナ
- キューピッド
- パキータの明るい曲
- ラ・フィーユの軽い曲
- ライモンダの無垢バリエーション
など、
「少女の無垢」「非性的」が徹底されている。
これは倫理ではなく、
■キリスト教文化圏における
「少女=神聖で触れてはならない領域」
という規範の延命だ。
黒鳥は、本質的に「性の技法」である。
だから、
10代中盤の少女に踊らせることが
文化的に”危険”だと判断される。
私は、これが
身体精神の保護に見えて、実は宗教的価値観の延命でしかない
と見ている。
2. しかし同時に、男子には「成熟役」が許され続ける
男子は普通に:
- アルブレヒト
- デジレ
- ソロル
- ダークな情念
などが課題曲の範囲で許される。
つまり:
● 男子の”性成熟”は芸術性として認められる
● 女子だけ”幼さの箱”に閉じ込められている
という矛盾。
これは倫理ではない。
文化構造のバグだ。
3. ポリコレは”少女の保護”だけを増幅し、身体保護は追いついていない
近年は「子どもの性的対象化」を避けるべきだ、という倫理潮流がある。
その結果、
- 少女=守るべき存在
- 性を含む表現=慎重に
- フェムニン演技=避ける傾向
これは理解できる。
しかし、
身体の安全性という”本来守るべき基準”は抜け落ちている。
4. コンテンポラリー課題だけが完全に逆行している理由
ローザンヌのコンテンポラリー課題は近年、
- 身体負荷が跳ね上がり
- 関節への衝撃が増え
- 「外連味」を10代に要求
- 音楽性が不在
- 精神性より”解釈の強度”が重視
という現状になっている。
私はこれを、
● 倫理の名を借りた”制度の惰性”
● 文化的理解が置き去りのままの”危険な自由”
● 10代の身体を道具にする搾取構造
と考える。
クラシックバレエの世界では、
黒鳥を10代に踊らせない方針が強化されているのに、
なぜ同じ10代にコンテンポラリーの過剰負荷は許されるのか?
これは倫理では説明できない。
5. 本質的な問題とは何か
私はこう考える。
■ “少女の性的保護”は強まった
■ しかし “ダンサーの身体保護”は置き去り
そしてこれは、
● 宗教的規範(少女の無垢)
と
● 現代のポリコレ倫理(子どもの性的表象忌避)
が重なりながら、
● コンテンポラリーのような”身体負荷の現場”では全く機能していない
という二重基準の問題である。
6. 私の提案──コンテンポラリーを外し、バランシンを入れよ
ローザンヌ改革案として私はこう思う。
- ■キリスト教文化圏における
- 「少女=神聖で触れてはならない領域」
- ● 男子の”性成熟”は芸術性として認められる
- ● 女子だけ”幼さの箱”に閉じ込められている
- 文化構造のバグだ。
- ● 倫理の名を借りた”制度の惰性”
- ● 文化的理解が置き去りのままの”危険な自由”
- ● 10代の身体を道具にする搾取構造
- ■ “少女の性的保護”は強まった
- ■ しかし “ダンサーの身体保護”は置き去り
- ● 宗教的規範(少女の無垢)
- ● 現代のポリコレ倫理(子どもの性的表象忌避)
- ● コンテンポラリーのような”身体負荷の現場”では全く機能していない
- ■コンテンポラリー課題を外し
- ■代わりに「バランシンのグループ振付」を導入すべきだ
- 「倫理」と思われていたものは
- 実は”宗教的少女像”の延命。
- そして、コンテンポラリーの身体負荷は
- その倫理から完全に置き去りにされている。
■コンテンポラリー課題を外し
■代わりに「バランシンのグループ振付」を導入すべきだ
理由:
- バランシンは”集団で初めて完成する”振付
- 音楽性が極めて高い
- 身体負荷が合理的
- ダンサーの理解力・記憶力・協調力が可視化できる
- 群舞の未来が確実にわかる
- プロの劇場が求める能力を直接評価できる
ローザンヌはプロ養成機関なのだから、
バランシンの方が遥かに目的に合う。
7. まとめ:
「倫理」と思われていたものは
実は”宗教的少女像”の延命。
そして、コンテンポラリーの身体負荷は
その倫理から完全に置き去りにされている。
バレエ界は今、
「少女の無垢」を守りながら、
「身体の安全」を守れていないという矛盾に直面している。
私は、この矛盾を正しく言語化し、
制度の再設計につなげるべきだと思っている。

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