中絶利権と制度的沈黙——胎児条項なき日本がNIPT陽性の家族を放り出す構造

中絶利権と制度的沈黙——胎児条項なき日本がNIPT陽性の家族を放り出す構造

(ラッキー・ランタンタン)

私は、今日のNIPTをめぐる議論と、その周囲で揺れている医療者たちの発言を観察しながら、ずっと感じていたことがある。

日本という国は、「胎児条項」を持っていない。

この一点が、すべての混乱の出発点だ。

そして、誰もそこを直視しない。

直視できない構造になっている。

出生前検査は普及し、NIPT陽性は必ず一定数生じる。

だが法制度には「胎児に重大な問題があるから中絶する」という選択肢が存在しない。

つまり、日本では 胎児の状態を理由に中絶はできない。

制度上は「存在してはならない」現象として扱われているのだ。

■ NIPT陽性は、制度の中に居場所がない

医師はどう記録しているのか?

  • 「母体の健康上の理由」
  • 「経済的理由」

本来は胎児条項で扱うべきものを、制度が不在なために 別の理由へ言語を改変する。

私はこれを個々の医師の責任とは思わない。

制度そのものが嘘を強いている。

医師の善意でもなく悪意でもなく、

構造が嘘を必要としている。

これを私は「制度的沈黙」と呼んでいる。

■ 「中絶利権」が存在するという指摘の背景

私は、中絶やNIPTの議論で“利権”という言葉を軽々しく使うつもりはない。

しかし、構造を正確に読むと見えてくるものがある。

NIPTは高額で、ほぼすべて自費。

中絶も自費。

精密検査・遺伝カウンセリング・自費超音波——すべて自費領域。

そこに参入する医療機関、検査会社、広告代理店、仲介サイト。

これは倫理の話ではない。

市場構造として、莫大な金が流れる領域になっている。

そして、その中心にいる妊婦や家族は、

制度の外側に立たされ、不安を抱えたまま意思決定を迫られる。

私はこれを「不安産業」とも呼んできた。

安心を買いに行くのに、制度が整っていないから壊れてしまう。

■ 行政は陽性妊婦の追跡調査をしていない

この事実は、驚くほど語られない。

  • NIPT陽性の妊婦がどこへ行ったのか
  • どのような説明を受けたのか
  • どのような意思決定が行われたのか
  • その家族の心理的負担はどう記録されるのか

一切追跡されていない。

「個人の自己責任」で処理されてしまう。

だが、これは本来、社会と制度が支えなければならない領域だ。

行政がこの領域を調査しないことで、

“制度的な盲点”が作られ続けている。

■ 医師が語れない理由は、個人の問題ではなく構造の問題

私は今日、医師たちの発言を読みながら、次のことを強く感じた。

医師は本当はこう言いたいはずだ。

胎児条項を作ってほしい。

陽性の妊婦を宙吊りにしない制度がほしい。

しかし、それを言えば“優生思想”と叩かれる。

医療者としての矜持が揺さぶられる。

だから黙る。

沈黙の裏側には、構造的な恐怖がある。

■ 私の結論——中絶を「ケアの体系」に戻すべきだ

私はNIPTそのものを否定しない。

正しく扱えば有用であり、妊婦や家族に大きな安心をもたらす科学技術だ。

しかし日本では、制度が欠けている。

技術と制度がズレたまま並走している。

だから私はこう書き残しておく。

  • 胎児条項を整備すべきである
  • 陽性家族を制度の外へ放り出してはならない
  • 医師に嘘をつかせる制度を終わらせるべきだ
  • 出生前検査を「ケアの体系」として再設計すべきだ

これは倫理論争ではなく、

身体OS・制度OS・資本OSの整合性の問題だ。

私は今日、この“制度的不在”を、歴史資料として記録しておく。

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