2019年、私がまだ多摩湖@ナルコレプシーと名乗っていた頃、Twitterで大きく炎上した出来事があった。
新宿二丁目の老舗レズビアンバー、ゴールドフィンガーの月1回のレズビアンナイト事件である。
これは表向きには、「トランス女性の入場拒否は差別か」という話として報じられた。
BuzzFeed Japan の2019年6月9日記事でも、そのような枠組みで整理されている。
しかし、私があの事件で見たのは、単なる入場トラブルではなかった。
もっと深いところで、女性身体を持つレズビアンの境界が、どのように笑われ、侮蔑され、総括されていくのかという、かなり嫌なものを見たのだった。
私は当時、緊急避妊の問題を追うのに忙しく、トランス騒動に頭から突っ込んでいたわけではない。
だが、この事件だけは見過ごせなかった。
なぜなら、ここでは「大きな権力が少数者を排除した」のではなく、たった一晩だけ、戸籍上女性のレズビアンが身体女性どうしで集まり、出会い、安心して過ごしたいという、きわめて小さく脆い願いが、人権と道徳の語彙によって引き潰されていくのが見えたからだ。
ゴールドフィンガー自体は常設の「戸籍女性限定バー」ではなかった。
事件になったのは、一晩限りの、女性限定のレズビアンナイトだった。
そこが私には決定的だった。
常設の全面排除ですらない。
たった一晩の、小さな、小さな、身体女性に惹かれる身体女性たちの夜である。
そのささやかな夜すら、「トランスジェンダー全体の人権問題」として持ち上げられ、謝罪へ追い込まれていく。
私はここで、セクシュアル・マイノリティ運動の何かが、おかしな方向へ行っていると感じた。
何がそんなにひどかったのか
あの時、私が本当に嫌だったのは、単に「入れてあげなさい」という圧力ではない。
その圧力とセットで、レズビアンの境界そのものが、あまりにも下品に、侮蔑的に、性的に茶化されたことだった。
当時、Twitterではこんな趣旨の言葉が飛び交っていたのを覚えている。
- レズビアンナイトって股間でも見せ合うの?
- 股間に恋してるの?
- そんなに性器が大事なの?
- 染色体なんか見えないのに
- トイレで股間チェックでもするの?
- 性染色体検査でもするの?
細かく誰がどの発言をしたかを今ここで一つひとつ確定させることはしない。
けれど、当時の空気として、こうした下品な言い換えや嘲笑が、かなり広く女性側へ投げつけられていたのは、私ははっきり覚えている。
これは単なる論点のすり替えではない。
レズビアンの性的指向と境界を、わざと最低の言葉に落として笑いものにするやり方だった。
レズビアンが「身体女性だけで集まりたい」と言う時、言っているのは別に「股間チェックがしたい」ではない。
言っているのは、
- 自分の性的指向が向かう先の現実
- 身体をめぐる安心
- 男性性の不在
- 説明しなくていい夜
- 守られた小さな共同体
のことだ。
それを、わざと「股間に恋してるの?」に落とす。
これは反論ではない。
辱めによる制圧である。
なぜそんなに腹が立ったのか
私はこの時、トランス女性そのものに対して腹が立った、というよりも、もっと大きな構造に腹が立った。
それは、
- 女性の境界だけが、いつも説明責任を負わされること
- 女性の拒否だけが、いつも差別として疑われること
- 女性の性的指向だけが、いつも「そんなに厳密なの?」と笑われること
このパターンが、あまりにも見えたからだ。
しかもそこには、明らかな非対称があった。
ゲイ男性の場に対して、そこまで雑に「包摂」を押しつけることは少ない。
トランスゲイがゲイ男性の発展場に突撃して、「マンコはお断り」と追い出されても、それはわりと当然の事実として流される。
だが、女性の場には来る。
女湯。
女子トイレ。
レズビアンバー。
レズビアンナイト。
要するに、女性の境界だけが、柔らかく、説得可能で、道徳で押せるものとして扱われやすいのだ。
私はここに、かなり深い女性差別を見た。
しかもそれは、保守側からではなく、リベラルやフェミニズムやアライの側から来た。
「股間のことばっかり考えてる」は、逆なんだよね
よく女性側に向かって、
「シス女性はトイレとお風呂と股間のことばっかり考えてる」
みたいな言い方がされた。
だが、これは逆である。
女性が股間のことばかり考えているのではない。
女性の境界を崩したい側が、女性の境界を崩すために、わざわざ股間の話へ引きずり戻しているのだ。
しかもその上で、
- トイレで股間チェックするの?
- 染色体検査するの?
- そこまで厳密運用するの?
とさらに笑う。
でも実際には、女性側はそんなことをしたいわけではない。
むしろ逆で、そんなことを考えずに済む空間であってほしいだけなのだ。
その「考えずに済む」を壊しておいて、
「ほら、あなたたちは股間に執着してる」と返す。
かなりひどい倒錯だと思う。
しかも女性器というのは、男性器のように外から常時主張してくるものではない。
「マンコ邪魔」と感じることは普通あまりない。
だから、女性身体が自分の股間に向ける感覚と、男性身体が自分の外性器に向ける感覚を、単純に同じように扱うのも雑すぎる。
胸や子宮や卵巣への違和感はイメージとして強く立ち上がりうる。
しかし外性器そのものへの主張の仕方、嫌悪の立ち上がり方には、かなり性差がある。
そこもまた、当時の議論ではほとんど考慮されていなかった。
既存フェミニズムが、侮蔑された女を守らなかった
私が本当に怒ったのは、トランス女性やアライの下品な言葉それ自体以上に、既存フェミニズムが、それに晒された女性たちを守らなかったことだった。
当時、フェミニストやラディカル・シックなリベラルアライたちは、こんな言葉を弄んでいた。
- トランス女性は女性です
- 女の境界を引き直す
- 多様性
- 包摂
- 埋没した棘
- ガールズディック
- おちんちんは女根
- ホルモンで縮んだおちんちんはちょっと大きなクリトリス
こうした言葉は、一見すると高級で、繊細で、進歩的に見える。
けれど、その下で実際に起きていたのは、女性たちが感じた気持ち悪さ、怖さ、嫌悪、侮辱感を、「あなたたちの感覚が未熟なのだ」と押し込めることだった。
女性が、
- 気持ち悪い
- 怖い
- 嫌だ
- その侮辱はひどい
- その茶化し方はおかしい
と言った時、既存フェミニズムはその声を守らなかった。
むしろ、
- その感覚はまだ未熟だ
- その境界感覚は教育されるべきだ
- いまはもっと高い倫理へ移行する時だ
みたいな顔で、女の地べたを置き去りにした。
ここが致命的だった。
フェミニズムは本来、女性に向けられる侮蔑、羞恥の押しつけ、境界の侵食から女を守るはずだった。
なのに実際には、侮蔑された女ではなく、進歩の物語を守った。
そりゃ猛烈に腹が立つ。
DSDが「定義崩しの盾」として使われた
さらにひどかったのは、DSDの扱いだった。
女性が「私は月経もあるし、子宮もあるし、女性だ」と言えば、すぐに
- 月経のない人は?
- 子宮のない人は?
- 膣のない人は?
- 胸のない人は?
- DSDだったらどうするの?
と返される。
ここで起きていたのは、例外事例を大事に扱うことではない。
DSDを、女の定義を崩すための盾として使うことだった。
そして最終的には、
- 二元論は社会が必要としただけ
- 科学分類そのものが家父長制由来
- 性別そのものが本質的ではない
- だから自認中心へ移行すべき
とまで行く。
ここで私は見た。
この流れをそのまま放置すると、
- 女性の境界感覚は差別にされる
- 女性の性的指向は本質主義にされる
- 女性の身体経験は例外を出されて崩される
- 最後に「女って何?」で全部溶かされる
ということを。
しかも、盾にされたDSD当事者たち自身は、当然こんな扱いを喜ばない。
後年、DSD患者会が「私たちを多様性の盾にしないで」と怒ったのは当然だと思う。
彼女たちは定義崩しゲームのコマではない。
それがなぜHPOの燃料になったのか
ここがいちばん重要だ。
私はそこで、L2の喧嘩に行かなかった。
もちろん怒りはあった。
屈辱うううう👹、という感じでもあった。
でも、トランスパーソンに対して侮蔑も、嘲りも、見下しも、恨みも、復讐心も持たなかった。
ここは自分で振り返っても、かなり変わっていると思う。
私はただ思ったのだ。
このままではだめだ。だが、怒鳴るだけでは何も守れない。では、最小単位の構造を掘り当てるしかない。
つまり、
- その定義は部品主義で崩れる
- それでは例外を盾にされる
- それでは女性が空語になる
- それではDSDを巻き込む
- それでは地べたを守れない
この全部を落とさずに済む、共通項があるはずだ、と。
私は知能は高くない。
でも、現実の側に一貫性があるはずだということは、なぜか信じていた。
だから諦めなかった。
人間の議論が、文学語、道徳語、嘲笑のレトリック、例外の盾でぐちゃぐちゃになっているなら、人間の言語空間とは別の炉が要る。
その時に出会ったのがAIだった。
私はAIを、慰めの相手ではなく、定義の高炉として使い始めた。
怒りをそのまま叫ばず、怒りを圧として使って、定義を精錬した。
その結果として抽出されたのが、HPOである。
だからHPOは、冷たい抽象ではない。
辱められた女の境界の雪辱であり、
ペチャンコにされるレズビアンも、盾にされるDSDも、部品欠損で女から落とされる人も、置いていかないための最小構造なのだ。
ラディカル・シック・アライが消えても、記憶は消えない
あの頃、派手に女性を叩き、境界を笑い、進歩的な身振りで踏み抜いていたラディカル・シックなアライたちは、時流が変わるとずいぶん消えた。
トランス女性は女性です、と強く叫んでいたフェミニストたちも、多くは前ほどの勢いでは見えなくなった。
だが、消えたからといって無かったことにはならない。
その時の言葉。
その時の傷。
その時の屈辱。
その時の不信。
それらは全部残る。
だから今の女性たちの警戒や反発を、「最近急に厳しくなった」などと薄く読むのは間違いだ。
その地層の下には、2018年から2024年にかけて受けた、ガスライティングと嘲笑の記憶がある。
最後に
ゴールドフィンガー事件は、私にとって単なるバーのトラブルではなかった。
それは、
- レズビアンの境界がどのように侮蔑されるのか
- 女性の拒否がどのように差別へ変換されるのか
- DSDがどのように盾にされるのか
- 既存フェミニズムがどのように女性を守らないのか
を、一度に見せた事件だった。
だから私は、L2の火炎瓶を投げる代わりに、AIとの製鉄を始めた。
これはかなり変だし、かなり孤独な道だったと思う。
だが、ものすごく筋は通っていた。
既存フェミニズムが女を守らなかったから、私は女の地べたの恨みを、AIとの共創で最小構造へ精錬した。
それがHPO抽出の始まりだったのである。

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