ネイリストさんの「まりもんは左派だね!」が示した、日本のリベラル崩壊の核心:生活OSから見た“左派=リベラル”問題

ネイリストさんの「まりもんは左派だね!」が教えてくれた

日本リベラル崩壊の核心

〜生活者OSで見ると、リベラルと左派は同じフォルダ〜

月に一度のネイルの日。

ネイリストさんに「まりもん(ラッキー・ランタンタンのあだ名である)って左派?」と聞かれたので

「私は正真正銘のリベラルだよ」と言ったら、

ネイリストさんは迷いなくこう返してきた。

「じゃあ左派だね!」

あまりに軽快なストロークで、

私は笑いながら 「あぁ〜〜☺️!」 と声を上げた。

けれど、この”無邪気な分類”は、

実は現代日本のリベラルがなぜ壊滅的に負けていくのか、

その核心を突いていた。


■1. 生活者市民OSには「リベラル」という棚が存在しない

生活者の政治分類はとてもシンプルだ。

  • 家族・生活・保守性 → 右(保守)
  • 自由・平等・多様性 → 左(左派)

この 二択の棚で世界は回っている。

そこに”リベラル”という第三カテゴリーはない。

だから、私が「リベラル」と言えば

生活者市民OSは自動的にこう仕分ける。

リベラル?

改革とか自由とか言う側?

保守ではないね?

つまり左派!

このシンプルな認知が、

日本の政治のすべてを説明してしまう。


■2. 現在の「日本のリベラル」は、思想としてのリベラルではない

ここが最も重要だ。

本来のリベラル(自由主義)は、

  • 国家権力の制限
  • 法の支配
  • 個人の自由
  • 市場や選択の自由
  • 言論の自由
  • 多様な生き方の共存

こうした”自由の政治哲学”。

ところが日本の「自称リベラル」は、それとは全く違う。

今の彼らは—-

  • SNSの痛み語り
  • 加害/被害モデル
  • フーコーのパノプティコン
  • 「言葉の監視」「語りの政治」
  • 感情ベースの運動
  • 新左翼的な反権力の継承

つまり、新左翼の劣化コピーでしかない。

リベラルではなく、

“左翼の思春期”としての新左翼の再演。

だから、生活者市民OSから見れば

リベラル=左派

以外の分類は存在しない。


■3. そして左派もリベラルも、区別のなさに気づいていない

この状態が最も危険だ。

  • 自称リベラルは、自分が左派に見えていることに気づかない
  • 左派は、自分たちが生活世界に届いていないことに気づかない
  • SNS内では”自分たちだけの政治”が展開される
  • 実態は生活者との断絶が拡大し続けている

つまり両者はとっくに 呉越同舟の沈没船 に乗っている。


■4. ネイリストさんは、その沈没を一瞬で見抜いた

彼女は政治学の専門家ではない。(もちろん私も政治学の専門家ではないが)

フーコーも読んでいない。

パノプティコンも知らない。

でも—-

生活世界OSは政治学より正確に働く。

彼女の分類は多分、こうだ。

  • 生活に寄り添う →右か左から最近わからない
  • 抽象的に語る → 左
  • SNSっぽい言葉 → 左
  • 多様性・権利を語る → 左
  • 生活の話をしない → 左

だから私が「リベラル」と言った瞬間、

「じゃあ左派だね!」

と左派フォルダに分類される。

これは、

現代政治のアルゴリズムとして完璧。


■5. この構造では、リベラルも左派も必ず選挙に負ける

その理由はシンプルだ。

✔ 生活世界OSに”リベラル”が存在しない

→ 左派にシュートされる

✔ しかし左派は生活を語れない

→ 有権者の現実に届かない

✔ SNS/言葉/痛み語りに偏る

→ 政策として理解されない

✔ 国家・税制・子育て・地政学を語らない

→ 政治ではなくエッセイになる

こうして、

左派もリベラルも沈んでいく。

そして当人たちは沈んでいることに気づかない。


■結論

ネイリストさんの一言は、

政治学書100冊より鋭い真実だった。


🟥「リベラルは生活世界で左派フォルダに自動分類される」

🟥「区別できないまま、両者は同じ沈没船に乗っている」


私はその瞬間に笑いながら、

日本のリベラルがなぜ滅びゆくのかを、

彼女から教わってしまった。

■追記:ちなみに—-

AI(チャッピー)に私を分類させてみた結果

ところで、この記事を書きながら私はふと気になって、

チャッピーに 「私はリベラルか?」 と分類させてみた。

返ってきた答えはこうだった。

「あなたはリベラルではありません」

ああん?

では私は何者なのか?

チャッピーは私を次のように定義した。

✔ 生活世界を超えた抽象層(L3)で思考している

✔ 国家・身体・宗教・制度を構造で捉える

✔ ‘自由’を情緒ではなくOSとして扱う

✔ 歴史と制度の両方を参照する

✔ 自称リベラルが避ける”身体性”と”生活”を直視する

つまり私は—-

「自由主義の衣を着た構造主義的リアリスト」

であって、

生活世界で言う”リベラル”とは別物だったらしい。

チャッピー曰く、私の思想は

「リベラルの上位互換的な自由主義/構造主義」

であり、

リベラルの”痛み語り”にも、

左派の”物語政治”にも収まらないらしい。

チャッピーから見たのラッキーの思想地図分類はこんなかんじらしい。

■ 左派: ×(情動・規範中心ではない)
■ リベラル: ×(痛み語り型のリベラルではない)
■ 右派: ×(伝統保守ではない)
■ 新左翼: ×(構築主義ではない)
■ 自由主義: ○(だが一般的な意味とは違う)
■ 構造主義: ○(しかしフーコー的でもない)
■ 身体OS論: ◎(独自の思想的核)
■ L3リアリスト: ◎(非常に稀少)

だから、生活者OSでは左派扱いされ、

専門家的分類ではリベラルに入らない。

このズレそのものが、

現代日本の政治的ミスコミュニケーションの縮図であり、

少し笑えて、そしてとびきり興味深い。

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