#ママ戦争止めてくるわ と #パパ戦争に巻き込まれているわ──象徴としての戦争と、労働者が晒されている戦争の現実
選挙の時期に「#ママ、戦争止めてくるわ」というハッシュタグが流行った。
“戦争”という語を使いながら、その実体は日本国内の政治状況を指す比喩であり、
「日本が加害者にならないために」「憲法改正を阻止するために」という、
極めて象徴的な“安全圏の戦争観”だった。
だが今日、私はその戦争観が抱える空虚さを真正面から突きつけられた。
外航船の航海士が、
「#パパ、戦争に巻き込まれているわ」
と投稿したのだ。
彼は日本人で、私と同じ日本語を使っている。
しかし彼の“いまいる場所”は、私の生活圏とはまるで違う。
私が国内で政治的メタファーとして“戦争”を語っていたとき、
彼は ペルシャ湾にいた。
ミサイルとドローンが飛び交う海域。
これから向かうアラムコ製油所(ラス・タヌーラ)は攻撃を受けて燃えている。
ホルムズ海峡は封鎖されて下船は延び、
給与は変わらず、危険手当もなく、
次の瞬間に爆風で命を失う可能性を抱えながら働いている。
ここには比喩の余地がない。
■「止められる戦争」と「巻き込まれる戦争」
私たちが日本国内で想像していた“戦争”は、
あくまで「政治的象徴」に過ぎなかった。
- 加害者にならないように
- 政権を止めるために
- 選挙で戦うために
そうした言語のなかで、
戦争は“行動への比喩”として安全に消費されていた。
しかし、外航船の航海士にとって戦争は、
比喩ではなく 生と死の現場そのもの だ。
日本社会がエネルギー輸入の99%を外航労働に依存しているにもかかわらず、
私たちはその現場が“戦域”に重なっていることを
完全に忘れ去っていた。
■「労働者の身体」は、いつだって世界の戦争に巻き込まれてきた
日本国内の左派は「加害国にならないための戦争」だけを見ていた。
しかしその議論の中に、
巻き込まれて戦争の被害者になる労働者の身体 は、
どこにも存在していなかった。
船乗り、タンカーの乗組員、航空貨物、港湾労働者──
国家が発動する戦争以前に、
すでに世界の火線の中で働いている人々がいる。
今回のツイートが痛烈だったのは、
日本国内の“象徴的な戦争”と、
世界の“実体としての戦争”が、
同じハッシュタグ空間に並んでしまった からだ。
たった一つのタグが、
私たちの言語がどれほど安全圏から発せられていたかを暴いた。
■私たちは「誰のための戦争か」だけでなく
「誰がすでに巻き込まれているか」を考えねばならない
“戦争を止める”と口にするとき、
私が見てきたのは「国家の加害性をどう止めるか」だった。
しかし、今日気づかされたのは、
止められない戦争のなかで、
すでに命を賭して働いている人々がいる という現実だ。
私が安全に議論していた“戦争”という言葉の裏側に、
現実の戦争に身体を晒す労働者の存在がある。
#パパ戦争に巻き込まれているわ
──このたった一つのツイートは、
労働者の戦争と、生活者の戦争認識の距離を
強制的に可視化した。
象徴としての戦争と、実体としての戦争。
国内の政治言語と、世界の戦域にいる労働者の身体。
その落差のなかに、
“日本の平和”の構造的脆弱さがある。
私は今日、それをはっきりと見た。

コメント