ママ記号の政治化と、言語政治の限界
ラッキー・ランタンタン
2026年の選挙の日、私はタイムラインに流れ続ける「#ママ戦争止めてくるわ」を眺めていた。
その瞬間、昨年の参政党の「みんなのお母さんにしてください」が炎上し尽くした光景を思い出した。
昨年は、母を政治利用するな、ジェンダー的に後退している、という批判がSNSを席巻した。
だが今年はどうだろう。
左翼系の人々が「ママ」を自称し、「戦争止めてくるわ」と言えば、誰も怒らない。
私はここに、社会言語の構造的な”揺り戻し”を感じた。
● 母記号は、政治的立場を超えて”受容される”
右派が使えば保守的圧力として叩かれ、
左派が使えば連帯の象徴として肯定される。
だがそのどちらにも共通しているのは、
「女性」でも「ジェンダー」でもなく、”母”という原始記号に逃げ込んでいる という点だ。
ここが、私は一番面白い。
● なぜ今、社会は「母」に退避するのか?
私はHPO(卵巣–視床下部–下垂体)を女性身体OSとして定義してきたが、
ポスト・ジェンダー言語に支配されたこの10年で、
- 「女性と言えない」
- 「ジェンダーで言うと抽象すぎる」
- 「当事者概念も破綻している」
という”言語の詰み”が起きた。
その結果、人々は もっと深い階層にある記号へ退避 するようになった。
それが「母」「ママ」だ。
母記号は、生殖そのものではなく、「他者を包摂する存在」を象徴する最古の社会記号。
HPOよりさらに下にある、文化的プリミティブのレイヤーだ。
● 右も左も「母性」を利用している
下西風澄氏の投稿が指摘するように、
連帯や包摂を語る時、右派も左派も”母性的なもの”を使い始めた。
これは偶然ではなく、
人類が言語政治を維持する体力を失い始めた徴候である。
社会は今、複雑すぎる。
情報もアイデンティティも細分化しすぎた。
人類は、過負荷のときにもっとも古い記号へ戻る。
それが「母」である。
● では、「女性」という言葉はどこに行ったのか?
私は、女性をHPO(身体OS)として再定義してきた。
だが社会言語はそこに追いついていない。
女性と言えば「性役割」か「ジェンダー」か「当事者」か、
曖昧すぎて誰も表象できない。
だから、
女性という言語が壊れた場所を、母記号が埋め戻し始めた。
これが今起きていることだ。
そして、これが進めば進むほど、
「母にならない女性」の政治的居場所はさらに狭くなる。
だから、私はこの記事を書いている。
● 結論:ママ記号は社会の”退化”ではなく、”疲労”のサイン
人々はもう、
ジェンダー、構造、差別、役割、当事者…
そのすべてを考え続ける余力を失っている。
だから、
「ママ」のように、誰でも分かる最古の記号に避難する。
それは一見ほほえましく見えるが、
その裏で女性概念の政治的退避が進んでいる。
そして、HPO(女性の身体OS)を正確に捉えない限り、
この退避はさらに加速する。

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