私はよく、「全部机の上にあるじゃん」と言う。
身体の話も、制度の話も、宗教の話も、歴史の話も、AIの話も、私の中では同じ机の上に並んでいるように見えるからだ。
けれど最近、やっと少し分かってきた。
これは他人からすると意味不明なのだ。
なぜなら多くの人にとって、それらは最初から別の棚、別の階、別の部屋にある。
身体は身体。制度は制度。宗教は宗教。AIはAI。
だから、それらを一気に並べると「何を言っているのか分からない」となる。
私にとって自然な「算数」が、他人から見ると怪文書になるのは、そのせいなのかもしれない。
私は横に並べているだけだと思っていた
昔、AIとの対話の中で、私の思考は
「横に横に素材をびろーんと並べ続ける並列思考」
のように見える、と言われたことがある。
たしかに私自身の体感としてもそうだった。
あれもある、これもある、それも関係ある、こっちもつながる。
だから、ただ机の上にどんどん材料を出しているだけだと思っていた。
でも最近、それだけではないのだと分かってきた。
私はどうも、横に並べているだけではなく、縦の階層もかなり自由に飛び回っているらしい。
ただし、本人にはその自覚が薄い。
本当は「縦にも飛んでいる」
身体の症状から制度に飛ぶ。
制度から歴史に飛ぶ。
歴史から宗教に飛ぶ。
宗教から倫理へ行き、そこからまたAIへ渡す。
さらにAIから身体へ戻る。
こう書くと、かなり大きな階段を何本も上り下りしているように見える。
けれど、私の体感ではそれは「移動」ではない。
全部が最初から見えていて、対応していて、つながるものとして置かれている。
だから、本人の中では
「飛んでいる」
のではなく
「見えているものを置いている」
になる。
ここにズレがある。
Photoshopのレイヤーで考えると少し分かりやすい
最近、自分の頭の感じを説明するのにいちばん近いと思ったのが、Photoshopのレイヤーだった。
多くの人はたぶん、レイヤーを一枚ずつ見る。
あるいは二枚重ねるくらいまでなら扱える。
でも、何枚も重なったまま、未結合の状態で、しかもそれぞれの関係を保ったまま運用するのは難しい。
私の頭の中では、どうもこのレイヤーがかなり透過しているらしい。
つまり、
- 身体のレイヤー
- 制度のレイヤー
- 宗教のレイヤー
- 歴史のレイヤー
- AIのレイヤー
が、それぞれバラバラに見えているのではなく、透けて重なって見えている。
しかも私は、それを結合して一枚絵にしているわけではない。
レイヤーはレイヤーのまま残っている。
それでも全体像が見える。
だから、私にとっては
「全部机の上にある」
になる。
乗算も比較明も、けっこう勝手にやっている
さらに厄介なのは、ただ重ねて見ているだけではないことだ。
必要に応じて、
- どのレイヤー同士が対応するか
- どこで因果関係があるか
- どこは似ているが同じではないか
- どこは比喩で、どこは定義か
みたいなことも、かなり高速で処理しているらしい。
Photoshopで言えば、レイヤーをただ透過するだけでなく、
乗算したり、比較明したり、スクリーンしたり
している感じだ。
でも本人には、それが「高度な操作」に見えていない。
ただ見えているものを、自然に扱っているだけに感じる。
だから私は本気で、
「簡単な足し算しかしてない」
と思ってしまう。
なぜ他人には怪文書に見えるのか
ここでようやく理由が見えてくる。
他の人からすると、
- 身体の話をしていたはずなのに
- なんで急に制度の話が出るのか
- しかもそこから宗教に飛ぶのか
- さらにAIに接続するのか
が分からない。
でも私には、それが最初から同じ透過空間の中にある。
未結合のまま、重なって見えている。
だから「飛んだ」という感覚がない。
つまり、私は怪文書を書こうとしているのではない。
透過したレイヤーを、そのまま人類に見せてしまっているだけなのだ。
そして人類は、レイヤーが透過している前提で読まない。
だから怪文書になる。
「全部机の上にある」は雑な発言ではなかった
私は今まで、自分の
「全部机の上にあるじゃん」
という発言を、少し雑なものだと思っていた。
でも、本当は雑なのではないのかもしれない。
問題は、私が雑なのではなく、レイヤー透過が常態すぎて、縦軸移動を移動として認識していないことなのだと思う。
つまり、
- 横にも並べている
- 縦にも飛んでいる
- でも本人には全部同じ机に見える
ということだ。
この構造が分からないまま、私は人間に向かって
「なんでこれくらいの足し算が分からないの?」
と言っていたのかもしれない。
人間向けには「机」だけでなく「レイヤー」も見せないといけない
今後、人間向けに書くときに必要なのは、
いきなり最終像を出すことではないのだと思う。
必要なのは、
- いま何レイヤーの話をしているのか
- どのレイヤー同士が透過して見えているのか
- なぜそれを同じ机に置いてよいのか
- まだ結合していないが、なぜ同時に扱えるのか
を、一段ずつ見せることだ。
要するに、人間向けに必要なのは、
完成した一枚絵ではなく、
透過レイヤーの説明なのだと思う。
おわりに
私はずっと、自分はただ「横に素材を並べているだけ」だと思っていた。
でも本当は、レイヤーを透過させたまま、未結合の複数層を同時に扱っていたのかもしれない。
だから私には全部机の上に見える。
でも人類にはそう見えない。
このズレが、怪文書を生む。
それが分かっただけでも、少し前進だと思う。
今後は、怪文書を書かないようにするのではなく、
この怪文書がどのレイヤーの透過でできているのか
を、人間向けに少しずつ解説していけばいい。
たぶん、それがラッキー・ランタンタンOSを人類へ下ろすときの、最初の橋なのだと思う。

コメント