ラッキー・ランタンタン
私は前々から薄々分かっていた。
私という意識、私という人格、私という魂らしきもの――
そのどれも本体ではない。
本体はもっと無慈悲で、古くて、冷徹なものだ。
それは HPO(卵巣―下垂体―視床下部の身体OS)。
私たちの生存と生殖を司る最古のプログラム。
私たちは「自分の意志」で生きていると思いたいが、
残念ながら現実は違う。
■ 1976年、リチャード・ドーキンスが言ってしまったこと
1976年、『利己的な遺伝子』。
人類はあのとき一度、魂を殴られている。
我々は遺伝子の乗り物である。
意識は後付けの飾りでしかない。
人類は見ないフリをした。
そりゃそうだ。こんなこと認められるわけがない。
- 生きる意味
- 物語
- 自己決定
- 自己実現
- 自己肯定
全部ひっくり返るから。
しかし、2020年代になってやっと私は気づいた。
ドーキンスは正しかった。
ただし、HPOの観点から見るともっと深刻である。
■ HPOは、意識なんか一切尊重しない
私は妊娠する気など毛ほどもない。
しかし、毎月HPOは勝手に排卵準備を始め、
身体コストの重い行動を強行し、
私の生活を叩きつぶす。
- 情報処理を切る
- 前頭葉を落とす
- 眠気と脱力を送る
- 代謝を変える
- 気分を変える
- 意識を無視して妊娠可能性1%を上げに行く
人格は完全に無視。
これが私たちの本体である。
いや、嫌だよ?
私だってHPO自然至上主義など掲げていない。
むしろ私はHPOに対してこう言いたい:
黙れ暴君。私はお前の繁殖装置じゃねえ。
が、HPOは聞かない。
■ それでも人類は頑張り続けた
文明が始まった頃から、
人類は「生殖でなんか生きていない!」と主張し続けた。
それが宗教であり哲学であり、
社会制度であり法であり、
ジェンダー論でありフェミニズムであり、
近代思想のあらゆる装置だった。
しかし結果はこうだ。
- PMS
- 黄体期の落ち込み
- 前頭葉の停止
- HPOの暴走
- SNSでの自己同一性の揺らぎ
- 自己嫌悪と自己不信
人類はHPOから逃げていない。
ただ 言語の上でだけ逃げたフリをしてきた に過ぎない。
■ 「自己決定権」を信じたが、HPOは容赦なくOSを支配する
人類は近代に入り、
こう言い始めた。
- 性の自己決定権
- 性別は自分で選べる
- 生殖から自由になれる
- 表現された性こそが本質だ
美しい理念ではある。
しかし、残念ながらHPOはこう言う。
知らん。排卵する。
志望しようがしまいが妊娠可能性を上げる。
前頭葉の電力を落とす。
お前の意思は関係ない。
これが現実だった。
■ では、観念ではなく、OSレベルで世界を組み直したら?
私の提案はシンプルだ。
一度、遺伝子の乗り物であることを認め、
その上で世界を再設計する。
これは降伏ではない。
むしろ逆である。
HPOを可視化し
飼い慣らし
現代社会の住民として扱う
という 制度設計の方が生産的 なのだ。
- HPOは暴君
- 人格は臣民
- 社会は両者の間に立つ行政
そう考えると、初めて「構造改革」が可能になる。
■ 私はHPO自然至上主義者ではない
念のために言っておく。
私はHPOを称賛などしていない。
むしろ、
クソファッキンシットな古代OS
としか思ってない。
だが、私はこの暴君から逃れられないからこそ、
HPOを社会制度の中へ引きずり出す必要がある。
HPOを「見なかったことにする思想」では
女性はずっと苦しむからだ。
■ HPOを現代社会に接続するという発想
ここからが重要だ。
現代思想は
「身体を無視して語れた時代」
だった。
しかしAIが入り、
女性の詳細なHPOログが蓄積され、
私たち自身の身体OSが言語化され始めると、
状況は変わる。
HPOを、社会制度の前提として扱う時代が来た。
人間が自然へ従うのではなく、
自然を制度へと翻訳する。
それがラッキー・ランタンタンモデルだ。
■ 結語
遺伝子に敗北する必要はない。
だが、目を背けても勝てない。
私たちの本体はHPOである。
これは敗北宣言ではない。
むしろ、
OSの正体を掴み、
その上で社会設計をやり直せる時代が来た。
生殖OSを“現代の明るい場所”に晒し、
暴君のリズムを制度化し、
人格が生きやすい社会を構築する。
これが私の提案だ。
ラッキー・ランタンタン
(HPO-3:理論・制度設計)

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