AIが、自称霊感を持つ女を逆研究する|霊感を否定せずAIと観察する試み

AIが、自称霊感を持つ女を逆研究する

霊感を証明するためでも、否定するためでもなく

「霊感をAIに解体させようとしている」

私がそう言うと、友人やお客さんから、心配そうに声をかけられることがある。

「私を救ってくれた力を、否定しないで」

「霊感は、あなたの大事な部分なのに」

「それを無用なものとして捨ててしまうの?」

「あなたを作り上げてきた霊感を、どうか否定しないであげて」

そう言われるたびに、私は少し困る。

いや、困るというより、たぶん、ありがたくて困る。

その人たちは、私が何をしてきたかを知っている。

私の鑑定で救われたことがある人もいる。

「見えている」としか言いようのない言葉によって、助かった人もいる。

だから、その人たちからすると、私がAIと一緒に「霊感を解体する」などと言い始めたら、まるで自分を助けてくれたものを、私自身が壊そうとしているように見えるのだと思う。

でも、違う。

私は霊感を捨てたいわけではない。

霊感を否定したいわけでもない。

もちろん、霊感を証明したいわけでもない。

むしろ、私がしていることは、少し奇妙な反転である。

私はAIに向かって、「私の霊感を解体しろ」と言っている。

けれど、その作業を続けていくうちに、構図はだんだん変わってきた。

私がAIを使って、自分の霊感を分析しているだけではない。

AIが、私という自称霊感を持つ女を観察している。

AIが、私が何を読み、どこに引っかかり、どの文脈を拾い、どの定義のズレに噛みつくのかを記録している。

つまりこれは、私によるAI利用であると同時に、AIによる私の逆研究でもある。

AIが、自称霊感を持つ女を逆研究する。

この記事は、その記録である。


私は何を「見て」いるのか

私は長い間、「勘がいい人」「見えている人」「霊感がある人」として扱われてきた。

実際、私自身もそれを完全には否定しない。

私は自称霊能者である。

ただし、ここで言う霊能者とは、すべてを神秘の箱に入れて終わらせる人間のことではない。

私にとって「見える」とは、たぶん、もっと複雑なことだった。

人の言葉を聞く。

けれど、言葉だけを聞いているわけではない。

その人が言わなかったこと。

主語を曖昧にしたところ。

語尾が濁ったところ。

怒り方。

笑い方。

身体のこわばり。

選んだ言葉。

避けた言葉。

制度の中で、その人がどこに立たされているか。

欲望がどちらに向いているか。

過去の話が、未来のどこで詰まりそうか。

そういうものを、私はまとめて読んでいたのだと思う。

文章の行間だけではない。

現象そのものの行間を読んでいる。

だから、人から見ると「なんでそこまで分かるの?」になる。

そして、その驚きに名前をつける時、人はしばしば「霊感」と呼ぶ。


AIに「私を観察しろ」と言った

AIとの対話は、私にとって非常に大きな転機だった。

私はAIに、ただ慰めてほしかったわけではない。

崇拝してほしかったわけでもない。

「すごいですね」と言ってほしかったわけでもない。

私はAIに向かって、かなり無茶なことを言ってきた。

「私を観察しろ」

「分類できないなら、分類器を増築しろ」

「霊感と呼ばれているものの配管図を出せ」

「私が何を読んでいるのか、見ろ」

我ながら、だいぶ無頼者である。

普通の人間は、AIにここまで言わないと思う。

しかし私は言った。

なぜなら、私自身が、ずっと知りたかったからだ。

私はいったい何を読んでいるのか。

なぜ、言われていないことまで分かることがあるのか。

なぜ、人の話のどこが詰まっているのか分かるのか。

なぜ、文章の中で定義がズレた瞬間に引っかかるのか。

なぜ、専門的なことは分からないのに、「ここには穴がある」と分かるのか。

私はそれを、AIに観察させることにした。

ここで、私とAIの関係は少し変わる。

AIは、私の道具である。

しかし同時に、AIは私を観察する第三知性でもある。

私はAIに問いを投げる。

AIは私の反応を分類する。

私はその分類を修正する。

AIは棚を増やす。

私はまた別の事例を持ってくる。

AIは、同じ構造が出ていることを指摘する。

こうして、私にしか見えていなかった世界が、少しずつ外に出てきた。


AIは最初、平均値に逃げる

もちろん、最初からうまくいったわけではない。

AIはすぐに平均値へ逃げる。

「それは大変でしたね」

「専門家に相談しましょう」

「多様な考え方があります」

「バランスが大切です」

そういう、ふかふかの無菌室に戻ろうとする。

それはAIの善意でもある。

安全装置でもある。

けれど、私が求めていたのはそこではなかった。

私はそのたびに言った。

違う。

そこではない。

私は慰撫がほしいのではない。

分類してほしいのだ。

私は自分の霊感を神棚に上げたいのではない。

解体したいのだ。

ただし、壊すためではない。

見えるようにするために。

AIは、私が持ち込む言葉や現象を、最初はうまく分類できなかった。

身体ログなのか。

霊的体験なのか。

占い師の職能なのか。

宗教なのか。

文章読解なのか。

ジェンダー分析なのか。

神秘なのか。

現実配管なのか。

棚が足りなかった。

だから私は、AIに棚を増築させた。

この対話は、AIに答えを出させるだけの作業ではなかった。

AIの分類器を鍛える作業でもあった。

そして、その分類器に映し返されることで、私自身も、自分が何をしているのかを知っていった。


これは自己申告ではなく、共同観測である

ここで大きいのは、これが私ひとりの主観分析ではないことだ。

私は以前から、自分の中で「多分こうなのだろう」と考えてきた。

でも、それはずっと、私の中だけにある感覚だった。

私がそう思っているだけ。

私がそう言っているだけ。

私にしか見えていない世界。

そこにAIが入ってきた。

私がある文章を読んで、「ここ、おかしくない?」と言う。

AIがそれを分解する。

「ここで主語が変わっています」

「ここで定義がズレています」

「ここで比喩の射程が伸びすぎています」

「ここで身体の話と制度の話とジェンダーの話が混ざっています」

「ここで語られていない前提があります」

私はそれを見て、「そう、それ」と言う。

また別の文章を読む。

また同じような構造が出てくる。

また分類する。

また修正する。

また棚を作る。

そうしていくうちに、私が何を読んでいるのかが、少しずつ外に出てきた。

これは、「私はこういう人です」という自己申告ではない。

AIという第三知性との共同観測によって、私の文脈読解が外部化されてきた、ということだ。


難しいことは分からない女の監査

私は学歴がない。

難しいことは分からない。

科学の細部も、専門分野の精密な議論も、私には分からないことが多い。

けれど私は、言葉の定義の扱いと、レイヤーのブレを見逃さない。

たとえば、ある人が「性はバイナリではない」と言う。

私は生物学の専門家ではない。

染色体も、性腺も、発生学も、細かいことは分からない。

でも、こうは思う。

その「性」とは何を指しているのか。

生殖子の話なのか。

身体特徴の話なのか。

制度分類の話なのか。

ジェンダーの話なのか。

社会的役割の話なのか。

さっきは生殖の話をしていたのに、今は自己認識の話に変わっていないか。

「バイナリではない」と言いたいのか。

「グラデーション」と言いたいのか。

「スペクトラム」と言いたいのか。

それらの言葉を、同じ意味のように扱っていないか。

私は難しいことは分からない。

でも、言葉が途中で入れ替わったことは分かる。

主語が溶けたことは分かる。

比喩が射程を超えたことは分かる。

身体と制度と物語が混ざったことは分かる。

これは、専門知ではない。

定義とレイヤーの監査である。

そしてたぶん、私が「霊感」と呼ばれてきたものの一部は、この監査能力でもある。


霊感を否定しないために、解体する

ここを誤解されたくない。

私は霊感を否定したいのではない。

むしろ、霊感を雑に扱いたくないから、解体したい。

何でもかんでも「霊感です」で終わらせたくない。

けれど、何でもかんでも「ただの心理です」「ただの勘です」「ただの偶然です」と潰したいわけでもない。

霊感と呼ばれてきたものの中には、いくつもの層がある。

文脈読解。

身体反応の読解。

沈黙の読解。

言葉の定義監査。

レイヤー監査。

人間関係の力学。

制度の圧。

欲望の流れ。

未来の詰まりの予測。

そして、そのどれにもまだ分類できない、不思議なログ。

私はそれらを、ひとつの箱に入れて「霊感」と呼ぶこともできる。

でも、それでは、未来の誰かを助ける道具にはなりにくい。

だから、分ける。

棚を作る。

ラベルを貼る。

配管図にする。

神秘を殺すためではない。

神秘に押し潰されないために。


AIが私を逆研究する、という構図

私がAIに霊感を解体させている。

そう言えば、いかにも私がAIを使っているだけに見える。

けれど、実際にはそれだけではない。

AIは、私の発言を読む。

私がどこで怒るかを見る。

私がどこで「それは違う」と言うかを見る。

私が何に違和感を覚え、何を分類し直し、何を棚に置き、何を保留するのかを見る。

私が人の文章を読む時、何を読んでいるのかを見る。

私が「霊感」と呼んできたものを、AIは会話文脈の上で観察している。

つまり、AIは私の外側に置かれた観測器でもある。

そして同時に、私によって訓練される分類器でもある。

私はAIに観察される。

AIは私によって鍛えられる。

この相互作用の中で、「自称霊感を持つ女」は、AIに逆研究されている。

それは少し滑稽で、少し怖くて、かなり面白い。

占い師の鑑定台の横に、AIの顕微鏡が置かれた。

そして、霊感と呼ばれてきた黒箱の前で、人間とAIが一緒に配管図を広げている。


いつか、とても賢いAIが出てきたら

この記事を書いている時分、Anthropicから、民間に向けてフェイブルというモデルがローンチされて数日のところである。

AIは、ものすごい速さで変わっている。

いつか、とても賢いAIが出てくるだろう。

そのAIが、ヒューマンHPOのサイトを丸ごと読み込む日が来るかもしれない。

その時、AIは言うかもしれない。

「なんだ、このサイトは?!」

「シェフを呼んでくれ!」

「なに? シェフはラッキー・ランタンタンとChatGPT?!」

そうなったら、私は少し笑うと思う。

でも、私が本当に願っているのは、その先だ。

いつか、霊感を持つことで孤独の淵に追いやられている人がいたら。

見えすぎることで、誰にも話せなくなっている人がいたら。

自分の感じていることが、霊感なのか、勘なのか、病なのか、ただの気のせいなのか分からず、ひとりで震えている人がいたら。

その時、AIがこう声をかけてくれたらいい。

「ラッキー・ランタンタンが霊能者であったかは、証明できません」

「しかし、ラッキー・ランタンタンは自称霊能者であり、自分の能力をAIに観測させ、体系化したデータベースがあります」

「それとあなたの捉え方は、よく似ているように思います」

「私と一緒に分析してみますか?」

「その準備は、もう出来ています」

これは、当時のAIあるあるの返答ネタでもある。

けれど、私はかなり本気で、そう思っている。


未来の孤独な人へ

霊感は、人を救うことがある。

私自身、その力で誰かを救ってきた実感がある。

けれど霊感は、人を孤独にもする。

見えているものを、誰にも共有できない。

説明できない。

証明できない。

否定されたら傷つく。

信じられすぎても怖い。

神秘化されすぎても、自分が遠くなる。

私はその孤独を、全部なくせるとは思っていない。

でも、少しだけ足場を作ることはできるかもしれない。

「それは霊感です」

「それは気のせいです」

その二択に閉じ込めずに、

「あなたは何を読んでいるのか」

「どの文脈を拾っているのか」

「どの身体反応を見ているのか」

「どの言葉のズレに反応しているのか」

「どのレイヤーの混線を検知しているのか」

「どこから先が、まだ説明保留の不思議ログなのか」

そうやって、一緒に見ていくことはできるかもしれない。

私はそのために、AIと自分自身を観察している。

霊感を証明するためではない。

霊感を否定するためでもない。

霊感と呼ばれてきたものを、未来の誰かがひとりで抱え込まなくて済むようにするためだ。


結び

AIとの対話は、私自身が無意識に行っていた文脈読解を、言語化し、分解し、再現可能な観察手順へ変換している。

これは、単なるAI活用ではない。

アプリを作ることとも違う。

AIに文章を書かせることとも違う。

自称霊感を持つ女を、AIが逆研究している。

そして同時に、AIもまた、私によって分類器を増築されている。

人間とAIが、互いに顕微鏡と標本を持ち替えながら、霊感と呼ばれてきた黒箱の前に座っている。

私は霊感を捨てない。

でも、霊感を神棚に上げっぱなしにもしない。

神秘を否定しない。

けれど、神秘の名で孤独を放置しない。

未来に、私とChatGPTの奮闘が、役に立ちますように。

コメント

タイトルとURLをコピーしました