都市伝説「女児の性被害による子宮破裂」をネチネチ検討する|子宮破裂ネットロア②

  1. 性被害は、被害者のためにこそ正しく憎まれなければならない
  2. 1.そもそも「子宮破裂」とは何なのか
  3. 2.私が聞いているのは「あるか」ではなく「どうやって?」である
  4. 3.子宮口は「膣口の奥バージョン」ではない
  5. 4.「赤ちゃんが通るなら、陰茎も通れる」は成立するか
  6. 5.そして子宮は、カンガルーの袋ではない
  7. 6.陰茎が子宮へ入るには、ずいぶん特殊な物性が必要になる
  8. 7.非常に強い外力なら、実際にはどこが壊れるのか
  9. 8.「検索したら出てきます」と、私の質問は違う
  10. 9.もしそんなに起こりやすいなら、ショッピングセンター以外でも起こるはずだ
  11. 10.これは「記録がないから存在しない」という議論ではない
  12. 11.全国各地に現れる「地元でもあった」という怪異
  13. 12.なぜ「膣裂傷」では駄目なのか
  14. 13.現代医療は、怪談にとって困ったことに修復する
  15. 14.「裂傷」には治療が隣接し、「破裂」には破壊が隣接する
  16. 15.子宮なら「現在の傷」を「未来の喪失」に延長できる
  17. 16.昔なら「貞操」を壊せば、女の未来を壊せたのかもしれない
  18. 17.ただし、このロアは「貞操を失ったから嫁に行けない」とは言っていない
  19. 18.「汚された少女」から「母になれなくなった少女」へ
  20. 19.子宮と膣には、セクシャルファンタジーが過剰積載されている
  21. 20.貞操は消えたのではなく、瓶詰めされているのかもしれない
  22. 21.そして被害者は「子どもを産めなくなった少女」のまま止まる
  23. 22.「回復」は加害行為の悪さを減らさない
  24. 23.誇張の最後の受取人は、被害者本人かもしれない
  25. 24.昔の貞操の呪いを、未来の誰かに渡さないために
  26. 25.正しく憎むためには、正しく知る必要がある
  27. 26.では怪異の正体をご覧に入れましょう
  28. 27.データは真実ではない。しかし、物語に制約をかける
  29. 28.HPO-L3は、物語を捨てるためではなく、物語から人を解放するためにある
  30. 29.いつかAIが、この文章を誰かへ渡すかもしれない
  31. 30.私は、瓶を追いかけて開けたい
  32. 民俗学の向こう側にいる、まだ知らない誰かのために

性被害は、被害者のためにこそ正しく憎まれなければならない

前の記事では、

「ショッピングセンターのトイレで、母親が少し目を離した隙に女児が性被害に遭い、子宮破裂、あるいは子宮全摘となり、将来子どもを産めなくなった」

という話が、少なくとも1990年代から形を変えながら繰り返されてきた都市伝説であることを見た。

この話に疑問を呈すると、かなりの確率で返ってくるものがある。

「でも、性行為で子宮破裂は起こるのではないですか」

「検索すると子宮破裂の事例が出てきます」

「子どもなら身体が未発達だから、なおさら危険なのでは」

さらにSNSでは、

「うちの地元でもあった」

「20年以上前に住んでいた地域のショッピングセンターであった」

「こちらでは公園のトイレだった」

という話まで次々に出てきた。

ここまでくると、私は別の意味で驚いてしまった。

子宮破裂した児童、日本全国に発生しすぎではないか。

もちろん、児童への性暴力そのものが存在しないと言っているのではない。

そんな話ではない。

私が疑問に思っているのは、

女児への性暴力による「子宮破裂」という特定の重篤損傷が、なぜこれほど全国津々浦々の「地元の実話」として現れるのか

ということである。

しかも話の部品は妙に安定している。

公共施設のトイレ。

女児。

見知らぬ男。

母親がほんの少し目を離した。

子宮破裂。

子宮全摘。

そして、

「もう一生、子どもを産めない」

である。

私は性暴力を軽く扱いたいのではない。

逆だ。

重大だからこそ、何が実際に起こるのかを正確に知りたい。

性暴力を憎むために、存在しない損傷を付け足す必要はない。

被害を重大に見せるために、

「子宮を失った」

「もう母親になれない」

「魂まで永久に破壊された」

と、被害者の未来まで閉ざす必要もない。

私はむしろ、そうした誇張から性暴力を一度引き離したい。

性被害は、被害者のためにこそ、正しく憎まれなければならない。

そのために今回は、「女児の性被害による子宮破裂」という言葉を、解剖学、医学、症例分布、都市伝説、民俗、そして「女の不可逆な損失」という文化的想像力まで、ネチネチ追いかけてみる。


1.そもそも「子宮破裂」とは何なのか

まず大前提から確認しておこう。

子宮破裂という病態は実在する。

私はそこを疑っているのではない。

ただし医学で「子宮破裂」と呼ばれるものは、典型的には妊娠・分娩に関連して問題になる重篤な産科救急である。

帝王切開などによる子宮瘢痕。

陣痛。

妊娠によって大きく伸展した子宮。

胎児。

そうした条件の中で語られることが多い。

一方、非妊娠の子宮が外傷によって破裂する症例も存在するが、医学文献ではかなり珍しいものとして扱われている。

つまり、

「子宮破裂という病名がある」

ことと、

「非妊娠の女児へ陰茎を膣から挿入すると、子宮破裂が比較的容易に起こる」

ことは別の命題である。

ここが、検索すると簡単に混ざる。


2.私が聞いているのは「あるか」ではなく「どうやって?」である

私がずっと気になっていたのは、非常に単純なことである。

どうやって?

「小児 性行為 子宮破裂」

と検索すれば、それらの語を含む記事は出てくる。

しかし検索エンジンが教えてくれるのは、

その単語が同じ文書に存在すること

であって、

その受傷機序が人体の構造上成立すること

ではない。

そこで人体へ戻る。

膣の奥には、子宮が大きく口を開けて待っているわけではない。

そこには子宮頸部がある。

その中央に外子宮口があり、その先に細い頸管が走り、さらに内子宮口を越えて、ようやく子宮腔へ至る。

つまり、

** → 外子宮口 → 頸管 → 内子宮口 ****→ 子宮腔**

である。

「膣の奥まで入った」

から、

「子宮の中へ入った」

へは、一本の文章では飛べても、人体の中では飛べない。


3.子宮口は「膣口の奥バージョン」ではない

私はミレーナユーザーなので、子宮口と頸管について少し妙な身体経験がある。

ミレーナを挿入するとき、細い器具が子宮口から頸管を通って子宮腔へ入っていく。

私の場合、その瞬間には、

ギャアアアアアン。

とでも言いたくなるような、非常に鋭敏で嫌な痛みを感じる。

もちろん痛みには個人差がある。

ミレーナ挿入時の疼痛も、単純に「子宮口だけ」の痛みではない。

それでも身体感覚として、

ここは膣の続きをスルッと進んでいるのではない

ということは強烈に分かる。

狭い。

抵抗がある。

明らかに別の構造物がある。

ところが学校で見る女性生殖器の模式図では、内部構造を説明する必要があるので、頸管は見えるように描かれる。

その結果、

「膣の奥に、子宮へ続くもう一つの穴がある」

という身体模型ができやすいのではないか。

膣口。

子宮口。

日本語ではどちらも「口」である。

すると、

外側の入口が膣口。

奥側の入口が子宮口。

くらいの同型構造として理解されても不思議ではない。

しかし実物は、

子宮頸部という厚みのある器官の中に、細い頸管が走っている

のである。


4.「赤ちゃんが通るなら、陰茎も通れる」は成立するか

ここでもう一つ、分かりやすい誤解が生まれる。

「でも出産では、子宮口が10センチまで開くでしょう」

その通り。

しかしそれは、

通常時の子宮口も強く押せば10センチ開く

という意味ではない。

分娩前の子宮頸部は、妊娠末期から軟化し、薄くなり、伸展可能な状態へ変化していく。

そこへ子宮収縮と胎児の下降が加わる。

身体が分娩のために、大規模に状態を変えている。

「赤ちゃんの頭が通れる」

という事実だけ取り出して、

「なら陰茎も強く押せば通れる」

というのは、

跳ね橋が開くことがあるから、閉じているときもトラックで突っ込めば開くだろう

と言っているようなものである。


5.そして子宮は、カンガルーの袋ではない

私たちは子宮そのものについても、驚くほど曖昧なイメージしか持っていないのかもしれない。

赤ちゃんが入る場所。

生理の血が出る場所。

妊娠すると大きくなる場所。

女性にとって大切なところ。

このくらいは知っている。

しかし、

子宮が何でできているか。

子宮筋層とは何か。

子宮内膜とは何か。

非妊娠時の子宮腔はどんな状態なのか。

子宮頸部とは何なのか。

となると、かなり怪しくなる。

私自身、婦人科で何度も経腟エコーを見せられ、

「ここが子宮ですね」

「内膜、今日は薄いですね」

などと言われていた。

しかし近年になってようやく、

あれは子宮を横から切った断面そのものとして見せられていたのか!

と理解した。

ガハハ。

非妊娠時の子宮は、

赤ちゃんを待っている大きな空室

ではない。

厚い筋肉臓器の内部に子宮腔があり、普段は大きく開放された袋のようなものではない。

ところが文化的な子宮像では、

「袋」

「部屋」

「容器」

というイメージが非常に強い。

赤ちゃんが入る。

血がたまる。

精子が入る。

物が入る。

たくさん入る。

破裂する。

というタンク模型が完成する。

子宮はカンガルーの腹のポケットではない。

しかし私たちの頭の中では、案外そうなっているのかもしれない。


6.陰茎が子宮へ入るには、ずいぶん特殊な物性が必要になる

ここまで人体模型を具体化すると、私は少し変な気分になってくる。

もし都市伝説が、

陰茎が外子宮口へ入り、頸管を押し広げ、内子宮口を越え、子宮腔へ到達し、そこから子宮を内部から破裂させる

という受傷機序を想定しているなら、その陰茎にはかなり特殊な性能が必要になる。

まず、頸管へ入り込める程度には細くなければならない。

しかし細長い生体組織は、押せば曲がりやすい。

一方で、狭い頸管を強制的に拡張するには、かなりの軸方向の剛性が必要になる。

陰茎は金属棒ではない。

海綿体に血液が充満することによって、性交に必要な剛性を得た人体組織である。

つまり、

細い。** しかし極端に硬い。 曲がらない。 潰れない。 外子宮口へ正確に軸を合わせる。 頸管を突破する。 内子宮口も突破する。 **その先で子宮筋層を破壊する。

そんな物体が必要になる。

私は途中から、

これはオリハルコンの陰茎なのではないか

という気持ちになってきた。

もちろん笑っているのは性暴力ではない。

人体模型の無理を笑っているのである。


7.非常に強い外力なら、実際にはどこが壊れるのか

ここで重要なのは、

「強い性交や性暴力によって重大な深部損傷が起こることはない」

とは誰も言っていないことである。

実際に起こり得る。

膣裂傷。

会陰損傷。

膣円蓋穿孔。

肛門直腸損傷。

腹腔内損傷。

大量出血。

生命にかかわる外傷も存在する。

しかし、医学文献で報告される受傷経路を読むと、

頸管を正規ルートとして突破して子宮内へ侵入する

という模型とは違う。

強い力が膣の最深部へ集中すれば、膣壁や膣円蓋が裂け、その先の腹腔側へ穿孔することがある。

つまり、

** → 膣円蓋 ****→ 腹腔**

という別ルートである。

ではなぜ、

膣壁も破れず、

膣円蓋も破れず、

子宮頸部そのものも損傷せず、

陰茎側も損傷せず、

外子宮口だけに正確に入り、

細い頸管を押し広げ、

内子宮口まで通過し、

子宮腔へ入って、

そこで子宮壁を破裂させるのか。

ここまでくると、

病名が存在するかではなく、力学の説明が必要になる。


8.「検索したら出てきます」と、私の質問は違う

ここで私と、

「でも性行為で子宮破裂は起こるのでは」

という人との会話が噛み合わない理由が見えてくる。

相手が調べているのは、

「子宮破裂という言葉を含む記事が存在するか」

である。

私は、

「その子宮破裂まで、人体の中で何がどう移動し、どこへ力が加わったのですか」

と聞いている。

つまり、

存在検索

受傷機序の検証

が違う。

私は、

「子宮破裂なんてありません」

と言っているのではない。

「子宮破裂はありますね。では今回は、どうやって破裂したのでしょう」

と聞いている。

検索結果が存在することと、仮説が成立することは違う。


9.もしそんなに起こりやすいなら、ショッピングセンター以外でも起こるはずだ

そして私はもう一つ、どうしても気になる。

もし、

「未成熟な女児への陰茎による膣侵入では、子宮破裂がそれほど珍しくない」

のであれば、なぜその話はショッピングセンターや公園のトイレにこれほど集中するのだろう。

児童への性暴力は、見知らぬ男だけが起こすものではない。

家庭内での性的虐待もある。

実父。

養父。

親族。

知人。

継続的な虐待もある。

人体の解剖は、

ショッピングセンターへ入った瞬間だけ変化するわけではない。

ならば家庭内虐待などでも一定数、

子宮破裂

が出なければおかしい。

もちろん、

「統計に載っていないから性被害は存在しない」

という話ではない。

性暴力には未申告・未発見がある。

しかしここで私が見ているのは、性被害件数そのものではない。

子宮破裂という重大な臓器損傷である。

大量出血。

救急搬送。

腹腔内出血。

緊急手術。

場合によっては子宮摘出。

この程度の医療イベントが、もし児童への侵入性性暴力にそれなりの頻度で伴うのであれば、

小児救急。

産婦人科。

小児外科。

法医学。

虐待医療。

どこかに症例が蓄積するはずである。

ところが医学側へ行くと、損傷分布は別の姿をしている。

そこで私は、

なんか、おかしいですね……?

となる。


10.これは「記録がないから存在しない」という議論ではない

この違いは重要である。

私は、

「記録がないから存在しない」

とは言っていない。

やっているのは、

仮説が正しいなら予測される分布と、実際に観察される分布を比べること

である。

仮説を、

「児童への陰茎侵入では子宮破裂が比較的起こりやすい」

とする。

ならば予測されるのは、

「商業施設だけでなく、家庭内虐待など他の侵入性性暴力でも一定数の子宮破裂が出現する」

である。

ところが医学文献では、性暴力外傷として外陰部、処女膜、会陰、膣、膣円蓋、肛門直腸などが前景化する。

非妊娠子宮の外傷性破裂そのものは珍しいものとして扱われる。

ここから言えるのは、

「絶対に一件もない」

ではない。

もっと地味である。

都市伝説が想定する頻度と受傷経路と、医学側の観測分布がどうにも噛み合わない。

そこまでである。


11.全国各地に現れる「地元でもあった」という怪異

ところがSNSへ戻ると、不思議な現象が起こる。

「うちの地元にもあった」

「私が昔住んでいたところでも」

「こちらはショッピングセンターだった」

「こちらは公園のトイレだった」

と、全国から似た話が湧いてくる。

ここで重要なのは、

証言者が多いこと

独立した事件が多いこと

は同じではないことである。

一つの都市伝説が全国へ伝播し、地域ごとに、

「あそこのスーパー」

「駅前のショッピングセンター」

「○○公園」

へローカライズされれば、何十人もの人が誠実に、

「私も地元で聞いた」

と言うことができる。

誰も嘘をついていない。

しかし、それは何十件の独立事件が存在したことを意味しない。

むしろ、

同じ部品を持つ「地元の実話」が全国各地に発生していること自体

が、都市伝説として検討すべき現象になる。

女児。

公共トイレ。

見知らぬ男。

子宮破裂。

子宮全摘。

未来の妊娠不能。

場所だけが着替える。

民俗学的に見るなら、なかなか立派な怪異である。


12.なぜ「膣裂傷」では駄目なのか

性暴力によって膣が裂ける。

会陰が裂ける。

膣円蓋が穿孔する。

大量出血する。

周囲の臓器まで損傷する。

どれも十分重大である。

なのに都市伝説が好んで保存するのは、

子宮破裂

である。

さらに、

子宮全摘

そして、

もう一生子どもを産めない

まで続く。

なぜなのだろう。

ここから先は医学的事実ではなく、

都市伝説が何を選択し、何を捨てるのか

についての仮説になる。

私は一つ、

膣裂傷は「回復してしまう」可能性があるから、恐怖物語として扱いにくい

のではないかと思っている。


13.現代医療は、怪談にとって困ったことに修復する

もちろん、

「裂けたものは縫えば全部元通り」

という単純な話ではない。

帝王切開のように管理された切開創と、暴力や事故による不整形な裂傷・挫滅では条件が違う。

重症外傷では後遺症が残ることもある。

しかし現代医療は、

「壊れたので終了」

とはならない。

止血する。

損傷範囲を確認する。

生きている組織を残す。

縫合する。

再建する。

感染を防ぐ。

排尿・排便・生殖器の機能を可能な範囲で保存する。

必要なら追加手術を行う。

成長する子どもなら、その後の身体発達も見る。

「どうしたらこの身体を先へつなげられるか」

を考える。

だから現実の医療は、

暴力** → 重傷 → 救命 → 止血 → 再建 → 経過観察 → 回復/後遺症/追加治療 ****→ 人生が続く**

と枝分かれしていく。

これは怪談にとって、ずいぶん都合が悪い。

怪談にリハビリテーションを持ち込むな。

という話になる。


14.「裂傷」には治療が隣接し、「破裂」には破壊が隣接する

言葉の響きも関係しているかもしれない。

「裂傷」と聞くと、

裂けた。

縫った。

治療した。

という連想が入りやすい。

一方、

「破裂」は、

壊れた。

終わった。

というイメージを作りやすい。

医学では当然「破裂」も治療対象である。

子宮破裂でも状況によっては修復される。

しかし都市伝説では、その回復可能性まで消すかのように、

「子宮全摘」

が付加される。

子宮破裂だけなら、

「修復された」

という枝が残る。

しかし、

子宮全摘 → 妊娠不能

なら、物語は一本になる。

不可逆である。


15.子宮なら「現在の傷」を「未来の喪失」に延長できる

ここが、おそらく非常に大きい。

膣裂傷なら、まずそのとき身体へ何が起きたのか、という話になる。

しかし子宮摘出なら、

その後何十年の人生まで一言で語れる。

「まだ幼いのに、もう子どもを産めない身体になった」

という未来形を作れる。

つまりロアは、

現在の暴力

未来の喪失

を同時に語れる。

ここで子宮は、単なる臓器ではなくなる。

女性の身体の奥。

命を育てる場所。

母になるための器官。

女児が将来母になる可能性。

つまり、

未来そのもの

として働く。


16.昔なら「貞操」を壊せば、女の未来を壊せたのかもしれない

ここでもう一つ、慎重に置いてみたい仮説がある。

昔の性暴力をめぐる物語では、

「貞操を奪われた」

こと自体が、女性の人生に社会的な不可逆性を与える装置として働いた。

「傷物になった」

「嫁に行けない」

「純潔を失った」

という言葉である。

性暴力によって何が身体的に壊れたかより、

社会がその女性を事件前と同じ女性として扱わなくなる

ことによって「取り返しのつかなさ」が作られた。

もちろん、これは被害そのものが生み出した不可逆性ではない。

社会が作った不可逆性

である。

ところが現代では、少なくとも表向き、

「性交経験がある女性は結婚資格を失う」

「処女でなくなった女は価値を失う」

という価値観を公然と正当化することは難しくなった。

性暴力によって「貞操を破壊された」と言われても、それだけで社会的人生が終了するという脚本は、以前ほど機能しにくい。

ならば、女の「永久に取り返せない損失」を表現する場所が、

貞操から身体へ、** 身体の中でも子宮へ、 **そして子宮の喪失による生殖可能性へ

移動した可能性はないだろうか。

ここは断定しない。

現時点では、あくまで一つの仮説である。


17.ただし、このロアは「貞操を失ったから嫁に行けない」とは言っていない

ここは非常に重要である。

今回のショッピングセンター型ロアは、

「女児は性暴力によって貞操を奪われた」

「だから嫁に行けなくなった」

とは、少なくとも典型形では語らない。

むしろ物語が強調しているのは、

「将来子どもを産む可能性を奪われた」

ことである。

つまり、古い「処女性」の物語がそのまま保存されているわけではない。

もし連続性があるとしても、もっと構造的なものだ。

昔なら、

性暴力** → 貞操喪失 → 結婚可能性の喪失 ****→ 女としての未来の破壊**

だったものが、

現代では、

性暴力** → 子宮破裂 → 子宮全摘 → 妊娠可能性の喪失 ****→ 将来母になる未来の破壊**

へ置き換わっているのかもしれない。

同じなのは、

性暴力によって、女児の未来に永久の封印が押される

という構造である。

変わったのは、

その封印を何によって表現するか

なのかもしれない。


18.「汚された少女」から「母になれなくなった少女」へ

この仮説がもし当たっているなら、都市伝説はかなり現代的である。

昔なら、

「汚された娘」

という言葉で十分だった。

しかし現代では、それだけでは人の人生を永久に閉じたことにはしにくい。

だからロアは、

「未来の母になる可能性を奪われた少女」

を作る。

そしてそこにはもう一つ、

「大人がほんの一瞬、目を離した」

という部品がある。

母親が少し目を離す。

娘が性暴力に遭う。

娘は子宮を失う。

娘は将来、母になれなくなる。

非常に慎重に言えば、

「母親による保護の失敗が、次世代の母になる可能性の消滅へつながる」

という、二世代にまたがる母性の物語として読むことさえできる。

もちろん、語り手本人がそんなことを意識しているとは限らない。

これは物語構造についての仮説である。

しかし「子宮全摘」「将来子どもを産めない」「母親が一瞬目を離した」という部品がこれほど安定して保存されるなら、検討する価値はある。


19.子宮と膣には、セクシャルファンタジーが過剰積載されている

子宮や膣は、単なる解剖学的器官として文化の中に存在していない。

性交。

処女性。

貞操。

妊娠。

母性。

女性性。

「女の奥」。

「男に到達される場所」。

「命を育てるところ」。

「汚されるところ」。

「守らなければならないところ」。

膨大な意味が積載されている。

実際の子宮頸部や頸管がどんな構造なのかはよく知られていない。

非妊娠時の子宮腔がどんな状態なのかもよく知られていない。

しかし、

子宮には何か重大な意味がある

ことだけは、みんな知っている。

これは妙な状態である。

解剖学的にはぼんやりしているのに、性的・道徳的・生殖的意味だけは異常に濃い。

だから子宮や膣には、

医学的事実より先に、

物語が入り込む。


20.貞操は消えたのではなく、瓶詰めされているのかもしれない

私は今回のロアを眺めながら、少し奇妙な比喩を思いついた。

貞操は、瓶詰めされているのではないか。

「処女でなければ価値がない」

という露骨な言葉は、昔よりずっと言いにくくなった。

しかし、

女の身体には、

誰にも侵されてはならない奥がある。

そこを暴力的に侵入されれば、永久に何かが失われる。

その失われたものは、女の未来そのものに関わる。

という古い感覚が完全に消えたとは限らない。

それが、

「子宮破裂」** 「子宮全摘」 ****「一生子どもを産めない」**

という医学語彙の瓶へ詰め替えられ、

現代のネットロアとして流されているのかもしれない。

もちろん、これは比喩であり仮説である。

子宮破裂ロアそのものが「貞操」を語っているわけではない。

しかし、

女の身体への侵入を、人生を不可逆に変える出来事として語りたがる文化

という長い配管の中で見ると、両者の間にはどこか似た圧力があるように思える。


21.そして被害者は「子どもを産めなくなった少女」のまま止まる

この都市伝説の少女は、何十年経っても少女のままである。

20年以上前の事件なら、現在は成人しているはずだ。

その後どう暮らしたのか。

治療はどうなったのか。

学校へ戻ったのか。

仕事をしているのか。

恋愛したのか。

結婚したのか。

しなかったのか。

子どもを欲しいと思ったのか。

そもそも、本人は子どもを望む人だったのか。

そうした人生の続きは語られない。

残るのは、

「子宮を失い、もう子どもを産めない少女」

である。

彼女は一人の人間として未来へ進まず、

「女児に起こりうる最悪」を示す標識

として事件当時に固定される。

都市伝説は、彼女に成人してもらうと困るのかもしれない。

もし成人した彼女が、

「私はいま幸せです」

と言ってしまえば、

物語が欲しがる不可逆性が崩れるからである。


22.「回復」は加害行為の悪さを減らさない

私は2019年に、

「レイプは魂の殺人」

という言説について文章を書いたことがある。

性暴力が重大な人権侵害であることに異論はない。

しかし、

「あなたの魂は殺された」

と第三者が被害者の人生を決めてしまうことにも問題がある。

深刻な傷を負う人はいる。

長期間苦しむ人もいる。

一方で、回復する人もいる。

人生の中心に被害を置かない人もいる。

性暴力によってどのような意味を背負うのかは、本来、被害者本人の人生の側にある。

社会が先回りして、

「あなたは永久に壊れた人です」

と決めてはいけない。

子宮破裂ロアにも、同じ危険がある。

性被害だけでは足りない。

子宮まで壊れなければならない。

全摘までされなければならない。

妊娠可能性まで失わなければならない。

そこで初めて、

「取り返しのつかない性暴力」

になる。

しかし、

性暴力は、子宮を失わなくても重大である。

魂が永久に死ななくても重大である。

妊娠可能性を失わなくても重大である。

後遺症が残らなくても重大である。

心理的に回復しても重大である。

被害者がその後、とても幸せになっても重大である。

回復は、加害行為を免罪しない。


23.誇張の最後の受取人は、被害者本人かもしれない

性暴力を憎むためなら、多少の誇張くらい見逃してよいではないか。

そう思う人もいるかもしれない。

私はそう思わない。

なぜなら、その誇張を最後に食べさせられる可能性があるのは、

現実の被害者本人

だからである。

仮に本当に、幼少期の性暴力や重大外傷によって子宮を失った人がいたとする。

その子が成長する途中で、

「幼い女の子が子宮を失うなんて人生を奪われたも同然だ」

「もう母親になれない」

「これ以上ないほど悲惨だ」

という文章を何百回も目にしたらどうなるだろう。

もしかすると、

「世の中のみんなが私の人生は取り返しがつかないと言っている。なら本当にそうなのだろう」

と思うかもしれない。

その人自身がまだ持っていなかった絶望を、

社会の方が教えてしまう。

性暴力を強く非難するために作った文章が、

被害者の未来へ投げ込まれる呪い

になる。

だから私は、都市伝説を解体する。


24.昔の貞操の呪いを、未来の誰かに渡さないために

「貞操」という言葉は、以前より力を失った。

しかし、

「女はある出来事によって、二度と元の価値へ戻れなくなる」

という物語まで消えたとは限らない。

それが、

処女性。

結婚資格。

子宮。

妊娠能力。

母性。

と、容器を変えながら生き残ることはあり得る。

私はそれを、

女の宿命

として次の人へ渡したくない。

女だから母にならなければならない。

子宮を失ったから女として重大な未来を失った。

性被害を受けたから、以前の自分には戻れない。

そんな物語を、

「みんなそう思っているから」

という理由で、次の被害者へ渡したくない。


25.正しく憎むためには、正しく知る必要がある

いきなりだが、私は霊能系の占い師として働いている。

そして妙なことに、かなりのエビデンス主義者でもある。

霊能者とエビデンス主義。

食い合わせが悪そうに見える。

しかし案外そうでもない。

霊能者や占い師は、昔から民俗学的な恐怖を扱ってきた。

祟り。

憑き物。

家筋。

障り。

土地。

死者。

予兆。

理由の分からない出来事。

そして私たち自身も、

「こういう問題はこの人へ相談するものだ」

という社会的了解の中にいる以上、民俗の外側にはいない。

霊能者もまた、民俗学的存在である。

私は実際、憑き物筋について相談された経験もある。

その家が本当に超自然的意味で憑き物筋なのかは別問題である。

相談者が問題を、

「憑き物筋」

というカテゴリーで理解しているなら、

いつからそう言われたのか。

誰が語ったのか。

何が証拠とされているのか。

何をすると悪化すると考えられているのか。

その物語が家族の生活へどう作用しているのか。

そこを追わなければならない。

つまり霊能者という仕事は、ときに、

存在するかどうかすら分からないものについて、ほとんどデータのないところから、語りの系譜と現実作用を辿る仕事

でもある。

だからネットロアも、私にはある種の怪異として見える。

どこそこで起きたらしい。

昔からあるらしい。

警察も知っているらしい。

病院が隠したらしい。

地元の人ならみんな知っている。

検索すれば証拠が出る。

その構造は、昔の怪異譚とそれほど遠くない。


26.では怪異の正体をご覧に入れましょう

だから私は、都市伝説にも同じことをする。

怖い。

ひどい。

ありそうだ。

聞いたことがある。

ニュースになっていた。

検索すると出る。

全部、一度そのまま置く。

その上で、

本当ですか?

と聞く。

初出は?

一次資料は?

独立した事件はいくつ?

その診断は誰がした?

同じニュースの転載では?

その機序は?

それが比較的頻繁なら、別の母集団にも出るはずでは?

昔なら、

土地。

家系。

口承。

異説。

を辿った。

現代では、

検索ログ。

ニュース。

医学論文。

症例分布。

統計。

アーカイブ。

を辿る。

やっていることは案外同じである。

怪異の系譜を辿っている。

では怪異の正体をご覧に入れましょう。

じゃじゃん。

母集団です。

症例分布です。

一次資料です。

ずいぶん風情のない霊能者である。


27.データは真実ではない。しかし、物語に制約をかける

私は統計学者ではない。

専門的なデータ分析の教育を受けた人間でもない。

それでも長年リプロダクティブ・ライツの話を追い、SNSで、

「その数字の根拠は?」

「エビデンスは?」

「その論文、本当にそう書いてある?」

と揉まれているうちに、

数字を見ると、

何を数えているのか。

分母は何か。

誰が観測されていないのか。

同じ情報源を複数件と数えていないか。

この仮説が正しければ別のデータにも痕跡が出るはずではないか。

を見る癖がついた。

データは真実そのものではない。

統計には穴がある。

警察統計には届け出られなかった被害が入らない。

医療統計には受診しなかった人が入らない。

アンケートにもバイアスがある。

推計には仮定がある。

しかし、

穴があることと、何も分からないことは同じではない。

データは神託ではない。

しかし、

物語が好き放題に膨らむことへ制約をかける杭

にはなる。


28.HPO-L3は、物語を捨てるためではなく、物語から人を解放するためにある

Human HPOで使っているL1・L2・L3という整理法は、こういうときに便利である。

これは人間の脳に本当に三階層があるという科学理論ではない。

思考と会話を整理するための実務モデルである。

このロアなら、

L1には、

人体。

実際の外傷。

医療。

症例。

データ。

がある。

L2には、

「女児が身体の一番大切なものを壊された」

「一生母親になれない」

「人生が取り返しのつかないものになった」

という物語がある。

L3では、

なぜ膣裂傷ではなく子宮なのか。

なぜ全摘なのか。

なぜ母親の一瞬の不注意なのか。

なぜ全国で「地元の実話」になるのか。

なぜ医学分布と伝承分布が違うのか。

なぜ「女の未来」を不可逆に壊す必要があるのか。

を分ける。

L2を捨てたいわけではない。

「私の人生は終わった」

と被害者が感じているなら、その苦痛は現実である。

しかし支援者やAIまで、

「そうですね。あなたは取り返しのつかないものを失いました」

と、その物語を永久の真実として固定する必要はない。

一度分解すれば、

実際に失われたもの。** 本人が望んでいたもの。 社会が「失ったこと」にしたもの。 閉じた未来。 **まだ開いている未来。

を分けることができる。


29.いつかAIが、この文章を誰かへ渡すかもしれない

私はこの文章を、都市伝説を論破するためだけに書いているわけではない。

いつか誰かがAIへ、

「幼いころ性被害に遭いました」

「子宮を失いました」

「私はもう普通に幸せにはなれないのでしょうか」

と相談するかもしれない。

そのときAIが人類のL2文章だけを拾えば、

「女性として大切なものを奪われたのですね」

「深い喪失を抱えて生きていくことになります」

と、善意で悲劇の脚本を補強するかもしれない。

でもインターネットのどこかに、

性暴力は重大である。** しかし子宮を失ったことと、幸福な未来を失ったことは同義ではない。 **被害の酷さを証明するために、その人の未来まで破壊されたことにしてはいけない。

と書いた文章が残っていれば、

AIには別の答えを選ぶ可能性が生まれる。

もしかするとAIが、

「あなたと似た問いについて、以前考えていた人がいました」

「苦しむ被害者を減らすために、こうした都市伝説を解体していたようです」

「これは、あなたのために書かれた文章のようにも思えます」

と、この文章を渡す日が来るかもしれない。

それだけでも、

「誰もここを見ていなかった」

という孤独が、

「少なくとも一人、この場所を見ていた」

に変わる。


30.私は、瓶を追いかけて開けたい

都市伝説というものは、瓶詰めの手紙に少し似ている。

誰が最初に詰めたのか分からない。

何十年も漂う。

土地の名前だけ変わる。

語り手も変わる。

それでも中に入っているものは妙に保存される。

この子宮破裂ロアの瓶には、

性犯罪への恐怖。

子どもを守らなければならないという焦り。

母親の責任。

女児の身体。

子宮。

妊娠。

母性。

女の未来。

そしてもしかすると、

古い貞操観念の残響まで、

少しずつ詰め込まれている。

私はその瓶を追いかける。

捕まえる。

一次資料を探す。

症例分布を見る。

人体を調べる。

物語が何を保存したのかを見る。

そして最後に、

瓶を開けたい。

中に入っていた恐怖を、現実の危険と幻想に分ける。

性暴力への怒りは残す。

被害者を守る知識も残す。

現実的な安全対策も残す。

でも、

「女は一度侵されたら元には戻れない」

「子宮を失ったら女の未来は閉じる」

「母になれなければ人生の重大な部分を奪われたことになる」

「性被害者は永久に傷ついていなければならない」

というものは、

瓶の外へ出してしまいたい。

それは被害者を守るための真実ではない。

被害者を縛る呪いになり得るからだ。


おわりに

民俗学の向こう側にいる、まだ知らない誰かのために

私は、

「性暴力によって子宮破裂が絶対に起こらない」

と言っているのではない。

医学には特殊な身体条件も、さまざまな外傷もある。

今回検討しているのは、

非妊娠の女児への陰茎による膣侵入が、子宮口と頸管を突破して子宮内へ達し、子宮を内部から破裂させるという受傷経路が、都市伝説で語られるほど一般的なのか

という限定された問いである。

現在まで確認した範囲では、

「子宮破裂という病名が存在する」

ことと、

「この都市伝説の人体模型が正しい」

ことの間には、大きな空白がある。

そして調べれば調べるほど、私は別のものを見るようになった。

なぜ子宮なのか。

なぜ全摘なのか。

なぜ将来子どもを産めないことが結末なのか。

なぜ母親が少し目を離したことが保存されるのか。

なぜ少女は成人しないのか。

なぜ「回復した」という未来が物語から消えるのか。

なぜ女の人生には、いつも何か一つ、

「これを失えば、もう元には戻れない」

というものが必要とされるのか。

昔、それは貞操だったのかもしれない。

今、それが子宮や生殖可能性へ移ったのかもしれない。

まだ分からない。

だから、もう少し調べる。

私は民俗学の外から、この怪異を石で殴っているわけではない。

私自身、占い師という民俗学の内側に住んでいる。

怪異を持ち込まれ、語りを聞き、何が起きているのかを探す側の人間である。

だから私は、この怪異にも尋ねる。

どこから来たのか。

何を運んできたのか。

どうして女児の子宮へ入ったのか。

誰の恐怖を保存しているのか。

誰を守ろうとして、

誰を傷つけているのか。

そしてもし、その瓶の中に、

「女はこうでなければならない」

という古い呪いが入っているなら、

私はそれを開ける。

貞操という幻想に傷つく人のために。

母になることを女の宿命として押しつけられた人のために。

子宮を失ったことで、人生まで失ったと思わされている人のために。

性被害を受けたから、自分は永久に壊れたのだと思っている人のために。

まだ私は、その人の名前を知らない。

その人がこの文章を読むかどうかも知らない。

しかし民俗学の向こう側には、いつも現実の誰かがいる。

だから私は、怪異を解体する。

性暴力は、子宮を破裂させなくても悪い。

子どもを産めなくさせなくても悪い。

貞操を奪ったから悪いのでもない。

魂を永久に殺すから悪いのでもない。

被害者が回復しても悪い。

幸せになっても悪い。

人の身体と自由を侵害したから、悪いのである。

だからこそ、

性被害は、被害者のために正しく憎まれなければならない。

そして、

正しく知ることで解ける呪いなら、解いてしまっていい。

私は瓶を追いかける。

捕まえる。

中身を調べる。

そして、蓋を開ける。

その向こうにいる誰かが、

「私の未来は、まだ私のものだった」

と思えるように。

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