解剖図、淫紋、プッシー、フェミニズム、そして「未来の子ども」を守ろうとする民間身体観
「ショッピングセンターのトイレで、母親が少し目を離した隙に女児が性被害に遭い、子宮破裂、子宮全摘となり、将来子どもを産めなくなった」
という都市伝説について、これまで二本の記事を書いた。
一本目では、この話が地域名や店舗名を着替えながら、少なくとも1990年代から繰り返されてきたことを見た。
二本目では、
そもそも、どうやって陰茎が子宮頸管を通過して子宮内へ入り、子宮を内部から破裂させるというのか
を人体の側から検討した。
すると妙なことが起きた。
調べれば調べるほど、
「この事件は本当にあったのか」
より、
「なぜ人間はこの話を何十年も捨てないのか」
の方が面白くなってきたのである。
医学的にはどうにも不思議な話なのに、
「怖い」
「酷い」
「許せない」
「うちの地元にもあった」
と、今日も元気に流通する。
訂正されても消えない。
別のSNSへ行っても蘇る。
場所だけ変えて再登場する。
これはもう、
一個のデマが訂正されず残っている
だけでは説明しにくい。
何か、もっと栄養状態がいい。
この怪異は、
人間社会のいろいろなところから少しずつ餌をもらっているのではないか。
今回は、その地下茎を追ってみたい。
民俗学が好きな人向けの、おまけのさらに奥である。
1.まず、子宮は「見える臓器」になった
子宮は、身体の内部にある。
当然ながら外からは見えない。
ところが現代人は、子宮の形を知っている。
左右に卵管と卵巣。
中央に子宮。
下に子宮頸部と膣。
学校の教科書。
医学書。
健康情報。
婦人科のパンフレット。
インターネット。
私たちはこの図を繰り返し見る。
もちろん、女性生殖器の解剖図そのものは現代になって突然生まれたわけではない。
解剖学史では16世紀以降、印刷技術と人体解剖の発展に伴って精密な人体図が広がり、子宮の描写も16世紀から18世紀にかけて解剖学的正確さを増していったことが研究されている。
さらに20世紀後半には超音波が登場した。
子宮の中を見ることは、専門家だけの奇妙な行為ではなくなった。
妊婦が診察室でモニターを見る。
家族が胎児を見る。
画像が持ち帰られる。
医学史・医療人類学でも、超音波によって「暗い身体内部を見る」という行為が医療から日常文化へ広がり、視覚的な知識が妊娠の理解そのものを変えてきたことが論じられている。
私はこの変化を、とりあえず、
子宮の外部化
と呼んでみたい。
もちろん子宮そのものが外へ出てきたわけではない。
内部臓器だった子宮が、社会の誰もが共有できる図像になった
という意味である。
2.解剖学は、幻想を消さなかった
これは面白いことである。
身体の内部が正確に分かれば、昔の幻想は消えるような気がする。
しかし、そう単純ではなかったらしい。
むしろ、
幻想が住所を手に入れた
のではないか。
昔から、
「女の奥」
という言葉はあった。
しかし、その「奥」が具体的にどんな形をしているのかは、多くの人には分からなかった。
ところが解剖図が普及すると、
「ここが子宮です」
と指差せるようになる。
中央にある。
左右対称の卵巣と卵管がついている。
下腹部の奥に位置している。
一枚の図として非常に記号性が高い。
すると文化は、
「なるほど」
と言う。
医学:
「ここが子宮です」
文化:
「つまりここが女の性、生殖、母性、受胎、未来の中心ですね!」
医学:
「そこまでは言っていません」
となる。
人体について正確な形を知るようになったからといって、
そこへ意味を載せなくなったわけではない。
むしろ、
古くからあった「女の奥」という想像力へ、具体的なスクリーンを与えた
可能性がある。
3.そこで淫紋である
民俗学の記事なのに、突然淫紋が出てくる。
安心してほしい。
ちゃんとつながっている。
成人向け創作などで、女性キャラクターの下腹部へ描かれる「淫紋」という記号がある。
性欲。
繁殖。
受胎。
性的支配。
そうしたものを象徴する紋様である。
ここで私は毎回思う。
なぜ、そこなのか。
外陰部ではない。
膣口の周辺でもない。
外陰部は古今東西、散々性的記号にされてきた。
それなのに淫紋は、多くの場合、
下腹部中央
に描かれる。
つまり、
子宮があると想像される場所の、皮膚の上
である。
これが非常に面白い。
4.淫紋は「性器の印」ではなく、「奥にある性」の表示なのかもしれない
もし淫紋が、
「ここが性的な器官です」
というだけのマークなら、外陰部へ描けばよい。
しかしそうではない。
一段上に置かれる。
そこで私は、
淫紋というものは、
体内にあると想像された「女の性的本質」を、皮膚表面へ表示する記号
なのではないかと思う。
文化的X線である。
この奥に、女の性があります。
というHUD表示。
ここで表示されるのは単なる性交器官ではない。
性欲。
受胎。
繁殖。
女としての何か。
そうしたもの全部である。
つまり、
外陰部は性交の場所だが、下腹部の奥には「女の性の本体」がある
という民間身体地図が見える。
📣👹
淫紋がエロいエロいと言っている暇があったら、なぜそこに描かれているのかを考えなさい!
民俗学の時間である。
5.しかしヒップホップへ行くと、身体地図が変わる
ところが女性のヒップホップやラップの性的表現を見ていると、ずいぶん景色が違う。
そこでは、
pussy
である。
vaginaである。
「my pussy」。
「wet」。
自分の性器。
自分の性的欲望。
自分の快楽。
誰とする。
誰とはしない。
誰の身体が魅力的か。
誰の性的能力が上か。
ときには他の女性の性器を罵倒するような言葉まで出てくる。
もちろんヒップホップは巨大で多様な文化なので、一つの性的身体観へ還元するつもりはない。
しかし少なくとも、こうした表現で前景化しているのは、
子宮ではない。
性交する身体である。
感じる身体である。
濡れる身体である。
今ここにある身体である。
6.「pussy」は現在形で、「uterus」は未来形なのかもしれない
この違いはかなり面白い。
pussyを中心に置く性的言語は、
いま、何が起きているか
を語りやすい。
欲しい。
濡れている。
気持ちいい。
触らせる。
触らせない。
性交する。
拒否する。
つまり、
性的現在
である。
一方、子宮という言葉には、
受胎。
妊娠。
出産。
繁殖。
母になること。
次世代。
がくっつきやすい。
つまり、
性的未来
へ話が伸びる。
ものすごく雑に言えば、
pussyはイベントへ向かい、
uterusは宿命へ向かいやすい。
もちろんこれは言葉の必然ではない。
文化的な使用法の傾向についての仮説である。
しかし、この差は子宮破裂ロアを考えるうえでも重要に見える。
7.そしてフェミニズムは、「私のマンコ」と「私の子宮」を取り戻した
ところが女性身体を「女の宿命」として管理されるだけにしておかなかったのが、フェミニズムでもある。
月経。
性交。
妊娠。
中絶。
出産。
外陰部。
膣。
子宮。
それまで、
恥ずかしいもの。
私的なもの。
人前で語ってはいけないもの。
男性や医師や国家が決めるもの。
とされてきた身体を、
「これは私の身体です」
と公共空間へ持ち出した。
「私のマンコ」。
「私の子宮」。
それは、
女の本質は子宮である
という意味ではない。
むしろ、
お前たちが勝手に管理してきたこの身体は、私のものだ
という奪還の言葉だった。
だからフェミニストの視覚文化には、子宮や卵巣を怒りや抵抗のアイコンとして扱う表現も生まれる。
子宮が卵巣を両腕のように使って、
FUCK YOU
と言わんばかりの図像まで作られる。
子宮は、
「母になれ」
という社会の記号だけではなく、
「私の身体へ口を出すな」
という抵抗記号にもなったのである。
8.プッシーハットは、その奪還が集合政治へ行った瞬間だった
2017年のWomen’s Marchで象徴的になったピンク色のPussyhatは、まさにこの身体奪還の系譜にある。
Pussyhat Project自身は、Donald Trumpの女性器についての有名な発言への抗議として「pussy」という語を選び、その侮蔑的な語をエンパワメントの言葉へ取り戻すことを目的の一つとして説明している。
ここでは、
pussyを勝手につかむな。
これは私の身体だ。
という非常に分かりやすい身体主権がある。
しかし、この記号が巨大なWomen’s Marchで、
女性たちを代表する記号
になった瞬間、別の問題が起こった。
pussyを持たない女性もいる。
pussyを持っていても女性ではない人もいる。
ピンク色を外陰部の色として一般化することへの批判もあった。
Pussyhat Project自身も後に、こうした批判を認識し、「not all women have pussies」「not all pussies are pink」という論点を明示し、象徴が一部の女性を排除したと感じさせたことについて対話を呼びかけている。
ここで、
My pussy
と
Women = pussy
が、同じではないことが露出した。
9.一人称単数では身体を叫べる。しかし「私たち女性」になると身体が難しくなる
これが現代フェミニズムの非常に面白いねじれである。
女性ラッパーなら、
🎤
「私のpussyだ。私の歌だ」
と言える。
そこでは他の女性を代表していない。
自分の身体を語っているだけである。
しかし政治運動が、
「私たち女性」
と複数形になった瞬間、
「私たちに共通している身体とは何か」
という問題が発生する。
そこで具体的な身体語から、
body
へ一段抽象化する。
My pussy.
My uterus.
から、
My body, my choice.
へ。
これは決して後退だけではない。
より広い人が共有できる権利原則になる。
しかし同時に、
肉体の具体性が薄くなる
という面もある。
月経。
膣。
子宮。
妊娠。
中絶。
出産。
そうした具体的身体経験が、
「body」
という普遍語へ一度折り畳まれる。
10.フェミニズムは身体を取り戻した。そして身体で女を閉じないようにもした
だからフェミニズムには、少なくとも二つの力が同居する。
一つは、
女の身体を隠すな。
マンコを語る。
月経を語る。
子宮を語る。
中絶を語る。
もう一つは、
女をその身体だけに還元するな。
子宮がなければ女ではない、ではない。
妊娠できなければ女ではない、ではない。
pussyがwomenの必要条件ではない。
この二つは、どちらも重要である。
しかし当然、ねじれる。
身体を可視化したい。
でも身体を本質化したくない。
この非常に難しい政治的作業を、現代フェミニズムはずっと続けている。
11.ところがそのすぐ横で、民間の子宮は今日も元気である
ここでネットロアへ戻る。
政治理論では、
女性カテゴリー。
身体。
ジェンダー。
生殖。
性自認。
身体差。
を、一生懸命分けている。
しかし民間の素朴な身体観は、そんなに綺麗に整理されていない。
昔から、
「女の子のお腹は大切にしなさい」
と言う。
なぜか。
将来、赤ちゃんを産むかもしれないから。
女児のお腹を蹴ってはいけない。
冷やしてはいけない。
生殖器を大切にしなさい。
それを聞いたとき、多くの人は、
「なんという差別思想だ!」
とは感じない。
むしろ、
「当たり前でしょう」
と思う。
ここがすごく重要である。
12.これは「女性差別」だけでは説明しきれない
もちろん、
「女は将来母になるものだ」
という押しつけへ転化すれば、女性の人生を拘束する。
しかし、
生殖可能な身体を特別に守ろう
という感覚そのものは、それだけで家父長制の陰謀などと説明するには粗すぎる。
人類は繁殖する。
親は子を産む。
その子がまた次の世代を持つ可能性を想像する。
これはかなり素朴で、
かなり深いところにある営為なのだと思う。
親にとって、
自分の子どもが将来子どもを持てない、
という事実はしばしば強い悲しみになる。
本人がどう考えているかとは別に、
親の側では、
自分 → 子 → 孫
という未来線を、かなり自然に想像している。
それが切れたように感じられる。
男性不妊でも起こる。
しかし娘の子宮の場合には、母親自身が娘を自分の子宮で育てた経験まで重なることがある。
私はこれを、
正しいとも間違っているとも言わず、まず観測したい。
人類にはどうやら、
子どもの生殖可能性の喪失を、かなり重大な悲劇として感じる配管
があるようなのである。
13.「健康に産んであげられなくてごめん」という母親の言葉
子どもに先天的な病気や障害があったとき、
母親が、
「健康に産んであげられなくてごめん」
と自分を責めることがある。
医学的には母親に責任がない場合でも、そう感じる。
なぜだろう。
おそらく、
自分の身体の中でこの子を作った
という感覚が非常に強いからでもある。
その子が娘で、
子宮の形成や機能に問題がある。
あるいは病気で子宮を失う。
妊娠できない。
となれば、
「私はこの子を産んだのに、この子には次の子を産める身体を渡せなかった」
という罪悪感まで発生し得る。
実際の本人にとっては、
「私は別に子どもを望んでいません」
かもしれない。
それでも親の側には、
まだ存在していない孫の不在
まで悲しむ回路がある。
これは理屈だけで簡単に消えるものではなさそうである。
14.だから「子宮を失った少女」は、とんでもなく強い物語になる
ここまで来ると、
なぜ子宮破裂ロアが強いのかが少し見えてくる。
女児が性暴力を受けた。
それだけでも重大である。
しかしロアはさらに、
子宮を失った
と言う。
すると聞き手は、一瞬で未来を生成する。
少女。
成人女性。
妊娠。
母親。
次世代。
その全部が、
一度に切断された
ように見える。
本人が子どもを望んでいるかどうかは聞かれない。
まだ幼児だから、そもそも分からない。
それでも周囲は、
「なんて酷い」
と胸を痛める。
これは単純な女性差別だけでは説明しきれない。
人類のかなり素朴な、
次世代へ続いてほしい
という願いまで動員しているからである。
15.では、このロアの正体は「貞操」なのか
以前私は、
📣👹
「お前の正体は貞操だァ!!」
と怪異の首根っこを掴んだ。
しかし、調べていくと、
それだけでも足りなさそうである。
昔なら、
性的に侵された女性は「傷物」になった。
貞操を失った。
嫁に行けない。
つまり、
性によって女の未来へ不可逆な損失が発生する
という構造があった。
現代ではそれを露骨に言いにくい。
だから、
子宮破裂。
全摘。
妊娠不能。
という医学語彙へ移ったのではないか。
これは依然として面白い仮説である。
しかしそのさらに下には、
子孫をつなげる身体を失うことそのものを悲しむ、人間のもっと素朴な感覚
までありそうだ。
つまり、
貞操観念が全部を作ったというより、
もっと古い地下水脈の上へ、
貞操。
母性。
家族。
女性性。
近代医学。
フェミニズム。
性的ファンタジー。
などが、時代ごとに違う配管を敷いてきたのかもしれない。
16.子宮は、人間社会で意味が過積載される
ここまで並べると、子宮という臓器がとんでもないことになっている。
医学では、
平滑筋を主体とする生殖器官
である。
しかし文化の側では、
母性。
妊娠。
家族。
次世代。
女性性。
貞操。
性的な「奥」。
受胎。
生殖主権。
中絶権。
国家による身体管理。
フェミニズムの抵抗。
エロティックな幻想。
母親の罪悪感。
未来。
全部が載る。
子宮:
積載重量を守ってください。
という状態である。
17.そしてこの過積載が、怪異の栄養になる
子宮破裂ロアが30年近く生きている理由は、一つではないのだと思う。
この怪異は非常に雑食である。
解剖図から、
「女の奥には子宮がある」
という具体的な位置情報をもらう。
性的ファンタジーから、
「女の性の本体は奥にある」
という象徴をもらう。
生殖文化から、
「子宮は次世代を生む大切な場所」
という価値をもらう。
親心から、
「この子にもいつか子どもを持てる未来があってほしい」
という願いをもらう。
古い貞操観から、
「性によって女には不可逆な損失が起こる」
という物語形式をもらう。
近代医学から、
「子宮破裂」「子宮全摘」
という恐ろしく具体的で権威的な語彙をもらう。
フェミニズムからさえ、
子宮は政治的に重要な身体部位である
という強い可視性をもらう。
性犯罪への怒りから、
「許せない」
という拡散エネルギーをもらう。
そしてSNSから、
「うちの地元でも」
という増殖装置をもらう。
そりゃ強い。
18.お前、何食って30年生きてるんだ
📣👹
「お前、何食って30年生きてるんだァ!!」
怪異:
👻
「親心です」
「子どもを守りたい気持ちです」
「性犯罪への怒りです」
「女性身体への神秘感です」
「解剖図です」
「母性です」
「生殖です」
「貞操の残響です」
「医学語彙です」
「SNSです」
🪼
「栄養状態よすぎるだろ!!」
となる。
これが、単なるデマ訂正ではなかなか消えない理由なのかもしれない。
「その事件、本当じゃないですよ」
だけでは、
怪異を支えている地下茎は一本も切れていない。
別の地域名をつけて、また出てくる。
19.怪異は怪異の顔をして現れない
しかもこの怪異は、
👻
「私は古い女性観を運ぶ都市伝説です」
とは言わない。
そんな顔で来たら誰でも警戒する。
実際には、
「子どもの安全のために拡散します」
と来る。
善意である。
「こんな酷い性犯罪を許してはいけない」
と来る。
正義感である。
「子どもから目を離さないで」
と来る。
親心である。
「子宮破裂したそうです」
と来る。
医学用語である。
だから強い。
怪異の中にいる人間は、自分が怪異に触れているとは思わない。
安全情報を共有している
と思っている。
20.そして読者も、たぶん怪異の内側にいる
この文章を読んでいる人の中にも、
最初に、
「女児が性被害によって子宮を失い、一生子どもを産めなくなった」
と聞いて、
「それはなんて酷い」
と反射的に思った人がいるだろう。
その反応自体を私は責めたいのではない。
私だって、もし実際にそんな被害が起きたなら重大だと思う。
しかし、少しだけ止まってみる。
なぜ、
「一生子どもを産めない」
が、こんなに強く胸へ刺さったのだろう。
本人は子どもを望んでいたのか。
子宮を失うことと、幸せな未来を失うことを、いつ私たちは接続したのか。
「女児だから、将来母になる」という未来線を、誰が描いたのか。
そこで、
あれ?
となる。
今、自分の中にも、
このロアが使える身体地図があったことに気づく。
ここからが民俗学である。
21.民俗学とは、昔の奇妙な人々を観察することだけではない
民俗というと、
昔の村。
妖怪。
祟り。
古い婚姻習俗。
そういうものを想像するかもしれない。
でも、人間は現在も民俗を作っている。
SNSで。
ポップカルチャーで。
ヒップホップで。
エロ創作で。
フェミニズム運動で。
子育ての言葉で。
家族の会話で。
私たちは、
身体とは何か。
女とは何か。
母になるとは何か。
何を失えば人生が取り返しのつかないものになるのか。
を、毎日誰かから学んでいる。
だから私はネットロアを見ると、
「こんな迷信を信じる人がいる」
とはあまり思わない。
私はこう思う。
あなたは今、民俗の内部にいる。
そして私もいる。
22.私は霊能系占い師、つまり民俗学的存在である
私は霊能系の占い師として働いている。
つまり、
民俗学的存在そのもの
である。
📣👹
私が民俗学です!
正確には、もちろん民俗学という学問そのものではない。
民俗現象の内部で役割を持っている人間という意味である。
祟り。
土地。
家筋。
死者。
夢。
因縁。
そうした相談を、
「こういう問題は占い師や霊能者へ持っていくものだ」
という文化の中で受け取っている。
だから怪異に出会うと、
📣👹
お前の正体は何だァ!!
となる。
しかし正体が分からなくても構わない。
何をしているかが分かれば、処置できることがある。
23.子宮破裂ロアの「正体」は、まだ一つには決められない
この怪異の正体は貞操なのか。
母性なのか。
親心なのか。
女性身体の神秘化なのか。
性犯罪への恐怖なのか。
次世代への執着なのか。
私はまだ、一つに決めなくていいと思っている。
むしろ、
一つではないから30年生きられた
のかもしれない。
複数の地下茎へ同時に根を張っている。
だから一本切っても生きる。
「処女信仰なんて古い」
と言われれば、
「これは妊孕性の話です」
へ移る。
「女性=子宮ではない」
と言われれば、
「でも子どもを産めなくなるのは悲しいでしょう」
へ移る。
「その医学的機序はおかしい」
と言われれば、
「でも性犯罪は酷いでしょう」
へ移る。
ものすごくしぶとい。
反論されるたび、別の地下茎から顔を出せる。
24.だから討伐は、全部を焼くことではない
ここで私は、
「では母性も親心も生殖への価値も全部間違いです」
とは言いたくない。
そんなことをしたら、民俗外科ではなく焼畑である。
子どもを守りたい。
残す。
性暴力への怒り。
残す。
妊娠できる身体を大切にしたい。
本人が大切にしたいなら残す。
子どもや孫を持ってほしいという親の願い。
願うこと自体まで犯罪にはしない。
ただし、
「それを失った人の人生は重大に損なわれた」
というところで切る。
子宮を失った。
それは身体上の大きな変化である。
妊娠できなくなることもある。
それを悲しむ本人もいる。
深く悲しむ家族もいる。
そこまで消さない。
しかし、
その人の未来そのものまで失われた
とは誰も決められない。
25.身体差は残す。宿命だけ剥がす
私はたぶん、
身体差を消すこと
にはあまり関心がない。
妊娠する身体と妊娠しない身体は違う。
月経する身体としない身体も違う。
子宮があることとないことも違う。
その違いは医療や生活に影響する。
そこを曖昧にする必要はない。
しかし、
身体差から、
人生の意味
まで自動生成する必要もない。
子宮がある。
だから母になる。
子宮を失った。
だから女の未来を失った。
性被害を受けた。
だから永久に壊れた。
その接続は剥がせる。
身体差は残す。
宿命だけ剥がす。
これが、私のやりたい民俗外科である。
おわりに
怪異は、人間が大切にしているものを食べて育つ
私は最初、
「女児への性暴力で、どうやって子宮破裂するのだろう」
という、ごく医学的な疑問を持った。
それで人体を調べた。
頸管を調べた。
子宮を調べた。
性交外傷を調べた。
症例分布を見た。
すると、
「なぜそんなにみんな、この話を信じたいのだろう」
ではなく、
「なぜこの話は、こんなに人間の感情へ接続しやすいのだろう」
という問いへ変わった。
そこから、
解剖図。
子宮の可視化。
性的ファンタジー。
淫紋。
ヒップホップのpussy。
フェミニズムの子宮。
Pussyhat。
身体政治。
親心。
母性。
子孫。
貞操。
次世代。
が一つの机へ並んだ。
一見、全然違う。
しかし全部、
人間が女性身体のどこへ何の意味を載せるのか
という問いにつながっている。
そして子宮破裂ロアは、その意味の集積地へ巣を作った。
だから30年生きているのかもしれない。
怪異というものは、
恐怖だけを食べて生きているわけではない。
人間の、
愛情。
善意。
親心。
怒り。
正義感。
未来への希望。
そういう大切なものまで栄養にしてしまう。
だから、しぶとい。
だからこそ、全部焼いてはいけない。
怪異から、
子どもを守りたい気持ちは取り返す。
性暴力への怒りも取り返す。
身体を大切にする気持ちも取り返す。
家族を愛する感情も取り返す。
そして最後に残った、
「女には、性によって永久に失われてはならない何かがあり、それを失えば未来まで壊れる」
という部分だけを、
瓶から出す。
私はそれを追いかける。
医学書を持って。
民俗を持って。
たまにヒップホップを聴いて。
淫紋を眺めて。
Women’s Marchまで寄り道して。
📣👹
お前、何食って30年生きてたんだァ!!
と問いながら。
たぶん完全な正体は、最後まで分からない。
それでもよい。
何をしている怪異なのかは、少しずつ見えてきた。
そして民俗学の向こう側には、
いつも現実の誰かがいる。
子宮を持つ人。
持たない人。
失った人。
子どもが欲しい人。
欲しくない人。
性被害を受けた人。
回復した人。
まだ苦しんでいる人。
その誰にも、
怪異が勝手に未来を決める権利はない。
それだけ分かれば、
今回の討伐としては十分なのである。

コメント