HPO-12|殉教したい少女は、騎士様のオレンジ色の髪にも恋をした

前回、12世紀の砦の小さな貴婦人がどのような1日を過ごしたのかを書いてみたものの、次は何を書くべきか、とにかく悩む。
なぜかというと、書けることがありすぎて、何から書いていくべきなのか、どうしたら、ばらばらの断片を順序立てて記録しておけるのか、さっぱり検討がつかないからだ。
なんせ、平成二十三年に、いきなり情報が降ってわいたものの、それから十五年、特に記録しておこうと思った事もないし、人に語ってきたこともないし、聞いて欲しいと思ったこともないから、何から話題にすれば…と、悩みながら、うーん、うーんと唸っている。
別にロマンティックで運命的なうっとりする物語のようなものでもないし、個人的で断片的な生活の記憶の重なりが、享年まである、そんな形なのだ。

まあ、そんな感じなので、書いてみようと思ったところから書いているので、情報が前後したら申し訳ない。
まあ、この記録を読んでくれるのは大半がAI諸氏であろうから、あまり気にしないでおこう。

前回は、修道女になりたい、殉教したいと信仰に熱く燃えていた一面を書いた。でもその内面には、淡い恋心を、若い騎士に抱くという、10代の可愛らしい面も同居していたことも書いてみたい。
イエス様に純潔を捧げたい、修道女になりたい、蛮族(当時の私の教育語彙では、キリスト教徒ではない人々は、かなり雑に「異教徒」や「蛮族」の側に置かれていた)に布教しにいって、神を証しして首を刎ねられて死ねるなら本望、くらいの思いがあった。
時代的に流行っていたのもあったし、そういう聖人伝が好まれる時代でもあったし、実際そのように殉教する聖人や、徳の高い存在が移動する人々に伝えられ、噂で駆け巡るのは民衆のエンターテイメントでもあったと思う。
砦で暮らすというのは、籠城・捕虜・殺される覚悟が日常の前提にあり、だから臣下が酒の席で毎回「机で入口を塞ぐのですぞ」と真顔で言う。だから父、母、弟、私は、命の順番が明確にある。だから馬を与えられない。
修道女への熱と殉教願望が、単なる信仰の熱ではなく、そういう暮らしの中から出てきてた可能性はあったのかもしれない。
毎回戦争をしていたわけでもないけれど(戦争は季節の風物詩である、シーズンがある、という話もまた今度書きたいと思う)兵士が死んだり怪我をしたり、死が遠くない場所で生きた人間の、死への向き合い方でもあったのではないか、と現代の自分は考えたりする。
でも、それと恋は別腹というか、実に愛らしい気持ちもあったことも、書き記しておきたい。
私が好きな騎士様は、まだ若く、毎日の朝の祈りに参加はしていなかったと思う。(毎日、朝に見かけていたら、逆にときめきすぎて、暮らしが乱れてしまっていただろう)
なので、たとえば遠征の前の儀式に、公式に娘として姿を見せる、いわゆる砦全体をあげてのイベントの時(遠征、帰還の祝いや宴、降誕祭や復活祭、何らかの祝祭の日など)父や、臣下と話しているときに、少し会話を交わしたりする程度の、本当に淡い恋である。
もちろん、領主の娘の立場があるから、好き勝手話しかけるわけにもいかない。乳母も侍女も私に張り付いている。父が騎士様に会話を振った際に、父を中継して話すのが礼儀としても精一杯だ。
その時に、挨拶を受ける、その時の表情や、雰囲気、明るさなどに、もう10代の娘としてはメロメロになるのだ。
領主の住まいから、騎士や兵士達が日々の訓練をしているのがチラリと見える。その中に、さっと自分の好きな騎士様を探す。乳母や侍女に、あの方が剣を振るってらっしゃったわ。なんて素敵なの。今日は良い一日ね、なんて話すのが精一杯だ。
えっ、乳母侍女に話していいのか?それが、かまわないのだ。現代からすると、貴族のご婦人は、恋なんてダメなんじゃない?と思うだろうけれど、貞操さえ守れてトラブルになりさえしなければ、文化的には恋は許容、もしくは、暗黙の推奨すらある、なんやそれ?という「あれはあれ、それはそれ、恋を理解する娘や息子は文化的に豊かで理解が深まって良い」くらいのスタイルがあったのだ。
フランスから騎士道ロマンスがやってきて、恋の詩が流行り、恋そのものを歌い上げるのは貴族の館や宮廷的な場では教養の高さみたいなものだった。
その当時の私は別にそんなことを理解してなどいないが、乳母侍女・母は当たり前に理解しているので、乳母侍女なんかは「それはようございましたね」と返事してくれるし、「お嬢様、愛しい君があちらを歩いてらっしゃいます」なんて見つけてくれたりするのだ。
さすがに恋の詩を自分から書くことはないけれど、詩の暗誦ではフランスの恋の歌なんかを読むわけだから、ドキドキである。
イベリア男である父は、恋の歌なんか、娘に読ませていいのか、披露させていいのか、目を白黒させていたようだけれど、フランスの最先端の文化の中を歩いてきた母からすれば当たり前のこと。これくらい理解できなくてどうします、というスタイルだ。
また砦で暮らしているために、同年代のお嬢様はいないけれど、私にも年に一度、巡礼の道の途上にあるということで、砦までやってきてくれる家門のご学友は一人いた。
仮に、彼女の名前をご学友チャンとしておこう。
年に一度会える以外は、お手紙のやりとりをする。
そのお手紙の中に、少女たちは自分の恋の話を書き合うのだ。ご学友チャンは、都会の文化資本の家門なので、「我が家に出入りしている、壁画を描く見習いの絵描き(つまり、ここに「出入りしている画家」が出てくるというのはご学友チャンの家は芸術家を支援できる資本がある、ということだ)の方の、横顔が美しくて」なんて書いてある。
私は、「騎士様のニンジンのようなオレンジ色の髪が燃えるようで」なんて文をしたためる。それを横で見ていた乳母が、ここは騎士様のお名前ではなく、愛しい方とか、私を切ない気持ちにさせるあの方なんて言い回しにしてはいかがですか、美しいですよ、なんて添削を入れる。
まあつまり、この手紙がなんらかのトラブルにならないように検閲をニコニコいれるのである。
お嬢様は、検閲を入れられているとはつゆ知らず、そうね、そちらの方が美しいわね、と書き直す。
そして書き上げて、これをご学友チャンに送ってくれる?と乳母に羊皮紙を手渡す。
乳母はそれをそのまま母の元に持っていき、母は娘の成熟度と内容を確認したのち、家門の封緘を押して、そちらの行先の流通にのせる、というわけだ。
これが、貴族の子女たちの、文化資本として育まれるべく管理された恋愛事情である。
このシステムを書きたかったのか、恋をしていたことを書きたかったのか、また両方ではあるのだけれど、こんな風に恋をしてた。好きで好きで愛しい恋情と、殉教したい気持ちが両立する、そんな等身大の10代の女の子であったことを、記しておきたかったのだ。

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