HPO-12|戦争は季節風のようにやってくる

辺境砦に生きる貴族少女の一日と、管理された恋愛感情としての貴族少女教育と書いたので、そうですね、次は砦を取り巻く環境と貴族少女の世界観を書いてみましょうか。

日本ではナーロッパなどと言われ、中世風ファンタジー小説が流行って久しいので、中世の暮らしというと王がいて、領主がいて…貴族階級があって…、という形は馴染み深いかと思います。

では、イベリア半島の辺境砦の立ち位置とは何か、から話していきましょう。あくまで、その当時の少女の感覚です。
イベリア半島にも王がいます。私たちが属している国らしきものもあります。砦からは国らしきものの形はよく見えません。
ここでは、現代国家とは違う曖昧な王権・家門・支配圏をまとめて「国らしきもの」と呼びます。
少女の学ぶべきものは、貴婦人の奥方として領地経営を内側から支える家政が大事なので、少女に国という形の戦争や政治の話を正面から大真面目にする人はあまりおりませんが(上で起きていることより、フランス国内やイスラーム勢力の動向の方が命に直結するのです)砦の中での噂話を見聞きする分には、上の方(砦から見て、都のある内陸の都市部ですね)は、何やらごちゃごちゃと分裂を繰り返しているとか王がまた変わったとかなんとか、移り変わりの激しいものらしいくらいの記憶はあります。

父はともかく、会ったこともない王に対する憧憬や愛着、国に属するアイデンティティは特にありません。イベリア人というアイデンティティの方が大きいのです。
かといって王の権威を蔑ろにするわけではないのですが、生活感覚からすると実に遠いもので、王というものは、年に一度特使がやってきて、それを盛大に迎えるのに、父や母がピリピリしていたのを覚えています。まあその特使も幼い頃は来ていましたが、ある時からパタリと来なくなりました。そんなものです。政情は不安定なようですが、私たちには見えません。
私のいた砦の内実は、イベリアの下を支配しているイスラーム勢力が攻めあげてくれば、とにかく防衛一本で立ち向かうには強いのですが、そこから上がっていって国を攻め滅ぼすような遠征機動力と物資的な体力はありませんから、国が私たちの砦をことさらぎゅうぎゅうと監視し締め上げる理由も特にありません。イスラーム側に寝返る恐れもありません。

砦からすると、逆に国に従順と忠誠を誓ってはいますが、砦が攻められた時に国から本当に援軍が来てくれるのかは当てになりません。ゆえに、来てくれないかもしれない国や王よりも、確実に援軍に来てくれるフランスの方が、砦としては頼りになる存在です。
フランス側の有力な家門や教会筋、つまりピレネーの向こう側にいる母方の人々は、ごちゃごちゃ内紛と分裂を繰り返している隣の国らしきものより、そこが破られたら山をバリバリ越えてイスラーム勢力が攻め上がってくる局所的な砦を支援し、守りを固めさせる方がメリットがあるのです。
当時の私のキリスト教徒としての教育語彙で言えば、少し走ればイスラーム勢力との衝突地帯となるイベリアの文明の最果ての地に、宮廷の花であったフランス人の母が嫁いできているのは、そういう理由からです。

でも、時代的には、国や様々な家門は、現代の物語で想像されるような、大規模で常設の王属騎士団というものを持っていたわけではありません。いないことはありませんが、小規模です。
そして戦争とは季節のものです。というと、現代人はビックリしますね。現代人からすると驚くかもしれませんが、私の感覚では、戦争は季節のものでした。
桜が咲くように、雨季が来るように、ある時期になると戦の気配がやってくる、そういうものです。
私の感覚では戦争は起こすもの、というより向こうから勝手に季節風のようにやってくるので、災害に対応するというのが砦のスタンスです。

砦から上も、季節で戦争をやっています。多分、どこの地域もそうではないでしょうか。
私は砦から上の地域をなんとなく「内陸」と感じていたので、ここでは内陸と呼び表します。
内陸は、半農半兵であり、農民がシーズンには兵士になることは、多分きっと日本でも知っている人は多いと思います。農家の春の繁忙期が終わったら戦争をして、刈り入れが始まったら戦争から離脱するという、まさにあれです。
とまあ、それだけではどうにもならない時も多いので、傭兵を雇います。
ここでいう傭兵とは、季節ごとに戦場を移り、報酬を得て戦う者たちのことです。
それを初めて知った時は私はびっくりしました。
自前の騎士や兵士がいないなんて!農民を兵士にするなんてどういうことなの?!と。
うちのような辺境砦では、農民が1人死ぬだけで、家畜が1匹死ぬだけで、穀物高などが変わってくるわけで、ちょっとした差で冬が越せないかも知れないというレベルにいますから、豊かな穀倉地帯の考えることは分かりません。自陣を守る専属兵力がなくてどうやって生きているのかしら、というのが砦から目線というものです。

逆に、なんと私の砦には、常時訓練された騎士・兵士・馬・犬がいます!そして、専属の職人もいます!それは我が砦と家門の誇りであり、まさに資産そのものでした。
血統の良い軍馬、警備に適した勇敢な犬達、さあ、どう?!(誇らしげ!)みたいな世界です。兵士も馬も犬も、戦い方も、家畜も大事な資産であり、財産であり、父の家門が戦い、長年引き継ぎ形作って守ってきたものです。
もちろん、うちの砦も、イスラーム側の情勢によりけりですが、大規模遠征が必要になった時は、傭兵団や職人を雇い入れたりします。
遠征は毎シーズン行いますが、遠征に行ったからと言って、即戦闘になるわけでもありません。
遠征が大規模になるか、小規模になるかは、本当にイスラーム側次第の問題で、誰がトップに座るか、そのトップの方針は何かで、境界線が上げ下げされるものであり、上がってきたらこっちも応じて下げていかねばなりません。
でも大半は睨み合い、かつ大規模演習の見せ合いの方が多く、一触即発という緊張感はありますが、「かかって来るならかかって来い、こっちは迎え撃つぞ!」と示すことは隙を見せないためにも大事なことなのです。
傭兵からすれば安全な戦場なのですが、実入りとしては他の戦場の方がいいですから、人気のある職場とは言えないのが砦の遠征事情かも知れません。でも砦としては、やはり傭兵がいることは心強かったりするものです。

遠征は、砦にとっても傭兵にとっても、あまり景気のよい仕事ではなかったと思います。
砦からすれば、遠征などしなくて済むならしたくはありません。遠征を送り出し、部隊からの伝令の馬を待ち、ただちゃんと帰ってこられるようにと祈って待つ暮らしは胸が締め付けられるものです。
兵を動かせば食糧が減り、馬が疲れ、武具が傷み、傭兵を雇えば宝物庫の中身も軽くなります。
大きな戦果があるわけでもなく、略奪で財を得るための遠征でもありません。けれど、行かなければならないのです。
こちらが動かないと見られれば、イスラーム勢力に隙を見せることになります。この砦は出てこない。この砦は押せば下がる。そう思われれば、境界線はじわじわと押されていきます。
だから遠征は、勝ちに行くというより、舐められないために行うものでした。
傭兵からすれば、比較的安全な職場ではあったのかも知れません。大規模な会戦になることは少なく、睨み合いや見せ合いで終わることも多いのは事実です。
けれど、安全であるぶん、実入りはよくありません。命を賭けて名を上げる戦場でも、大きく稼げる戦場でもありません。それでも砦には、そうした傭兵が必要でした。
砦にとって遠征は、望ましい仕事ではありません。けれど、しなければならない稼業でした。

シーズンの戦場としてはそこまで魅力はありませんがシーズンオフになると、一部の傭兵達は越冬に砦にやってきます。
生き残って何度も砦に来るような者は、少なくとも相当の腕がありました。戦場で死なずに生き続けていることは、戦闘スキルが高いということなのです。また色んな場所を渡り歩き、最新の軍事や武器や防具などの情報ら や現物を持っていますから、砦としては有難い存在です。
砦はそんな傭兵達の情報やスキルを元に、オフの兵士たちを鍛えたり、武具や陣形を改良したりして砦の一年が回ります。

傭兵達は戦の季節には各地の戦場を回り、冬になると砦にやってきます。越冬に来る傭兵たちは、私にとって少し特別な存在でした。
砦の家臣や騎士、兵士たちは、皆、秩序の中で私に接しました。私は領主の娘であり、父の家門の娘であり、母の教育を受ける小さな貴婦人であったからです。彼らは私を守り、敬い、必要以上に近付きません。
けれど、傭兵たちは少し違いました。
無礼ではありませんし、彼らなりに丁寧でした。
ただ、その丁寧さは砦の家臣たちのものとは違っていて、彼らは私を、砦の秩序の一番上にいる小さな姫様としてではなく、どこか、ひとりの子ども、あるいは領主の館にいる賢そうな娘として見ていたように思うのです。
「よう、嬢ちゃん。どこ行くんだ」
「散歩ですわ」
そんなふうに、彼らは砦の者たちよりもざっくばらんに声をかけてきます。冬になり、前の年にも見た顔がまた砦に現れると、私は嬉しくなりました。
「おっ、姫。ご元気にしてたか」
「ええ、息災ですわ。あなたもご無事でしたのね」
そう言葉を交わすたび、私はこの人が今年も生きて戻ってきたのだと思いました。
そして彼らは、ときどき、私には少し早いような話をしました。

  • どこの戦場は割がいい
  • どこの領主は約束を守らない
  • どこの道は危ない
  • どこの城は落ちた
  • イスラーム側の将はどういう人物らしい
  • 今年は境界が動くかもしれない
  • あそこの王はもう長くない
  • 内陸の家門は金払いが悪い/良い
  • また命乞いした貴族達のあれこれ

– 首が飛んだとか飛ばなかったとか

そういう血生臭い政治や戦場の話を、彼らはちらちらと聞かせてくれました。もちろん全部ではありません。乳母や侍女の耳もあります。
けれど、傭兵たちは、私にとって、砦の外から風と埃と噂を運んでくる、世界の果てから来る教師であり大人、という存在だったのです。私は彼らが好きでした。
春になると、彼らはまたどこかへ行ってしまいます。それが彼らの稼業であり、そうしなければ生きていけないことも分かっていました。
それでも私は、ここにいればよろしいのに、と思っていました。また行ってしまうのが、少し寂しかったのです。

砦の豊かさは、館が豪奢であるかどうかではなく、専門の職人が常駐していることにも現れていたと思います。
鍛冶、革、馬具、木工、石の補修、布や衣装の管理、台所、馬や犬の世話。そうした職人たちが職業として砦にいて、日々、武具や馬具や扉や桶や衣服を直しています。
それは、金の装飾よりもずっと大切な富だったのです。
戦の季節が来れば、物は必ず壊れます。刃は欠け、革は切れ、馬具は傷み、扉は歪み、布は裂けます。それをすぐ直せること。それこそが、辺境砦の家門が生き残るための力でありました。
大規模な遠征の時には、さらに臨時の職人や人足を雇い入れます。兵士だけでは戦はできません。馬、犬、武具、食糧、布、鉄、革、それらが人の手で維持されて初めて戦えるのです。
私の砦は、内陸のような、お金持ちの大文化資本の家門ではありませんでした。
毎年、冬が越せるかを苦心し、大規模な遠征が起これば宝物庫はあっという間に軽くなり、常に籠城を前提とした質素倹約の暮らしをしていました。
それでも私は、この砦の暮らしを誇りに思い、ありとあらゆるものをひたすら愛していました。そのことを、誰かに伝えておきたいのです。

なぜか丁寧語で言葉が出てきたため、丁寧語で書き記したが、もしこれが、私が自分を慰めるために作った物語であるなら、もう少し華やかでもよかったのではないかと思う。
けれど、私の中にあるものは、豪奢な宮殿でも、運命の恋でも、失われた王家の栄光でもない。

豆のスープ。
冬越しの心配。
湯を二階まで運ぶ重労働。
遠征で軽くなる宝物庫。
兵士と馬と犬と職人を維持することへの誇り。
王よりも近い、砦の門と夜警の音。

本物の記憶かどうかは分からない。
けれど、妄想や病理として片づけるには、あまりにも地味で、あまりにも生活に寄りすぎている。だから私はこれを、前世の証明としてではなく、不可解な生活アーカイブとして記録しておく。

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