なぜ部落女性の生活要求は、リプロダクティブ・ジャスティスへ接続されなかったのか
- 新左翼、ウーマンリブ、部落解放運動のあいだにあった歴史的な断線
- 部落解放運動は「左翼運動」だったのか
- 新左翼の若者のお祭りと、部落の時間は同じではなかった
- 私は反差別教育を大量に受けたが、フェミニズムを知らなかった
- 部落女性はすでに、リプロダクティブ・ジャスティスを生きていた
- 部落解放運動は、国家を批判しながら国家を働かせた
- 新左翼は国家に抵抗したが、国家へ何をさせるかには弱かった
- ウーマンリブは新左翼の男を批判したが、新左翼の政治文法を捨てきれなかった
- 国家からの解放には強いが、国家へ何を担わせるかを考えられない
- 「分断するな」は、制度を作らないための停止命令になる
- 優生思想への反省が、リプロの実装を止める
- 部落女性は、行政闘争と女性の身体の両方を持っていた
- 私はフェミニズムを知らずに、リプロダクティブ・ジャスティスの現場で育った
- 日本のフェミニズムは、新左翼の男性を捨てたが、抵抗しかできない政治を捨てられなかった
- 失われた政治工法
新左翼、ウーマンリブ、部落解放運動のあいだにあった歴史的な断線
私は、部落差別の存在が日本のフェミニズム史から欠落してきたことに文句を言いたい。
しかし、私が本当に気になっているのは、それだけではない。
なぜ、部落女性が病院を求め、保育所を求め、識字を求め、働く場所を求め、結婚や出産をめぐって苦しんできた記録があるのに、それがリプロダクティブ・ヘルス/ライツ/ジャスティスへ接続されなかったのか。
なぜ、
「私は子どもを産んでよいのだろうか」
という極めて強い生殖上の問いが、
部落差別。
性差別。
優生思想。
命の選別。
語り直し。
連帯。
という言葉の束へ吸い込まれ、相談、医療、権利、制度、国家責任へ進まなかったのか。
この疑問を考えるには、日本のウーマンリブやフェミニズムだけを見ていては足りない。
新左翼運動。
部落解放運動。
労働運動。
識字運動。
同和教育。
地域医療。
保育所要求。
これらが、どこで接続し、どこで接続しなかったのかを見る必要がある。
部落解放運動は「左翼運動」だったのか
部落解放運動は左翼運動だったのか、と聞かれることがある。
答えは、単純な「はい」でも「いいえ」でもない。
この百年、部落青年が労働運動や農民運動に参加してきた。
部落解放運動は、貧困、労働、身分差別、教育、住居、地域生活を基盤とした運動だった。
その意味では、確かに左翼運動と深く接続している。
しかし、それは必ずしも一九六〇年代末から七〇年代の大学を中心とした新左翼学生運動と同じものではない。
部落の青年が左翼運動をやるというとき、そこにあったのは、まず労働の問題だった。
仕事がない。
安定した職に就けない。
賃金が低い。
地域が貧しい。
学校へ行けない。
病院がない。
道路が整っていない。
家が狭い。
保育所がない。
部落解放運動にとって政治は、生活条件を変えるための要求だった。
それは大学キャンパスの革命理論から始まったのではない。
生活の地面から始まった。
新左翼の若者のお祭りと、部落の時間は同じではなかった
新左翼学生運動が都市の大学で燃え上がっていた頃、部落では、大学へ行く以前の問題があった。
高校へ行けるか。
中学校を卒業できるか。
そもそも文字を読めるか。
部落では、長いあいだ識字が大きな問題だった。
学校へ十分に通えなかった人がいた。
貧困のため働かなければならなかった人がいた。
女性には学問はいらないと言われた人がいた。
弟妹の世話や家事を優先させられた人がいた。
大学で革命論が語られていた時代に、部落では大人の女性が文字を学び直していた。
この時間差は大きい。
日本のウーマンリブが発生した場所は、都市、大学、知識人空間と強く結びついていた。
もちろん部落出身で大学へ行った人もいた。
部落出身で学生運動へ参加した人もいた。
しかし、部落全体を見れば、大学へ接続できる人は少なかった。
ウーマンリブが生まれ、流通した回路へ、部落女性が自然に入っていける教育条件は細かった。
これは、
「部落女性がフェミニズムを知らなかった」
という個人の無知の話ではない。
フェミニズムが流通した場所と、部落女性が暮らしていた場所のあいだに、階級、教育、地域の断層があったということだ。
私は反差別教育を大量に受けたが、フェミニズムを知らなかった
私は母方が部落で、父方は部落ではない。
私は部落の子として育った。
部落差別について教えられた。
在日朝鮮人差別について教えられた。
戦争について教えられた。
人権について教えられた。
差別を見逃してはいけないと教えられた。
日教組の教師もいた。
診療所へ来る部落外の左翼青年もいた。
新左翼運動に嫌気がさし、部落へ来た人もいた。
しかし、私は二十五歳か二十六歳ごろまで、フェミニズムというものをほとんど知らなかった。
「フェミニズムとは何だろう。私は必要だと思ったことがない」
という状態だった。
これは不思議に見える。
反差別教育を大量に受けた人間が、なぜフェミニズムだけ知らなかったのか。
しかし、配管を見れば不思議ではない。
部落へ運ばれた左翼的な教育や実践の主要な内容は、
反差別。
労働者の権利。
反戦。
進学保障。
識字。
医療。
住宅。
保育。
地域改善。
だった。
一方、ウーマンリブが扱った、
家族内の性支配。
女性の身体。
中絶。
避妊。
性暴力。
生殖の自己決定。
男性中心運動内部での女性抑圧。
という荷物は、同じ強さでは部落へ届かなかった。
私は、リプロダクティブ・ジャスティスの素材のど真ん中で育ちながら、その名前も、その政治体系も知らなかった。
部落女性はすでに、リプロダクティブ・ジャスティスを生きていた
部落女性が求めたものを並べてみる。
病院。
診療所。
保育所。
識字教育。
就労。
住宅。
進学保障。
子どもを学校へ通わせる条件。
結婚差別からの保護。
家族形成の自由。
地域を出る自由。
地域で安全に暮らす自由。
これは、後から見れば、リプロダクティブ・ジャスティスの中核である。
リプロダクティブ・ジャスティスは、中絶できるかどうかだけの問題ではない。
産む自由。
産まない自由。
産んだ子を安全に育てる自由。
そのために必要な医療、所得、住居、教育、ケア、労働条件を保障する政治である。
部落女性は、まさにそれを要求していた。
しかし、それは「リプロダクティブ・ジャスティス」としては名づけられなかった。
部落の生活要求。
同和対策。
教育保障。
保育要求。
地域改善。
という別の名札で処理された。
部落解放運動には、生活条件を行政へ要求する工法があった。
だが、女性の身体と生殖自由を独立した政治課題として読む回路は弱かった。
一方、都市のウーマンリブには、女性の身体を言語化する回路があった。
だが、保育所、住宅、診療所、識字、地域生活を行政へ要求する部落解放運動の工法を十分には引き取らなかった。
両者は、非常に近い場所にいた。
しかし接続されなかった。
部落解放運動は、国家を批判しながら国家を働かせた
部落解放運動は、国家や行政を信用していたわけではない。
差別を放置してきた国家。
貧困を固定してきた行政。
教育格差を放置してきた学校制度。
これらを厳しく批判した。
しかし批判だけでは終わらなかった。
行政へ要求を出した。
対象地域を定義させた。
差別の実態を調査させた。
法律を作らせた。
予算を出させた。
道路を整備させた。
住宅を建てさせた。
保育所を作らせた。
教育集会所を作らせた。
奨学金を整備させた。
診療所を求めた。
これは、国家を愛する政治ではない。
国家へ請求書を出す政治である。
お前たちが差別を放置し、生活条件を壊してきたのだから、制度と予算を出せ。
そう要求した。
部落解放運動は、国家から解放されることと、国家へ責任を負わせることを、ある程度同時にやった。
新左翼は国家に抵抗したが、国家へ何をさせるかには弱かった
一方、新左翼学生運動は、国家や大学、資本主義、帝国主義へ抵抗した。
国家は倒すべきもの。
大学は解体すべきもの。
制度改良は体制への回収。
妥協は敗北。
この政治文法は、抵抗には強い。
しかし、
どの行政機関へ、何を要求するのか。
どの法律をどう書き換えるのか。
どの予算項目へいくら配分するのか。
誰を制度対象と定義するのか。
どの窓口を作るのか。
誰を専門職として育てるのか。
という政治には弱い。
抵抗はした。
だが、抵抗すら十分には成功しなかった。
新左翼運動は国家を変革できず、内部の暴力、内ゲバ、分裂、敗北を残した。
そして日本のウーマンリブは、その新左翼男性への絶望から生まれた。
ウーマンリブは新左翼の男を批判したが、新左翼の政治文法を捨てきれなかった
ウーマンリブは、新左翼運動内部の男性中心性を批判した。
女性が炊事や雑務を担わされる。
性暴力や性的搾取が軽視される。
大義のために女性の身体が消費される。
男たちが革命を語りながら、家庭や組織内部で女性を支配する。
この矛盾への怒りは正しかった。
ウーマンリブは、新左翼男性の運動から離脱した。
しかし、離脱後も、
国家は対峙すべき敵である。
制度改良は回収である。
純粋な抵抗こそ政治である。
大きな権力構造を批判することが実践である。
という新左翼の政治文法は残った。
男の新左翼は批判した。
しかし、新左翼の負け方は引き継いだ。
女性の身体という新しい主語を発見した。
だが、その身体の要求を法律、予算、医療、行政、相談支援へ落とす政治技術を十分には育てられなかった。
そのため、女性の苦痛を発見しても、
国家による女性支配に反対する。
家父長制を批判する。
女性の語りを取り戻す。
女性の自己を解放する。
という抵抗政治には進める。
しかし、
薬を全国へ供給させる。
価格を下げさせる。
相談窓口を作らせる。
医療者を育成する。
不同意中絶をどう処罰するか設計する。
産んだ後の生活を公的に保障する。
という保障政治には進みにくい。
国家からの解放には強いが、国家へ何を担わせるかを考えられない
日本のフェミニズムは、国家から女性を解放する言葉には強い。
国家に女性を定義させるな。
国家に妊娠を罰させるな。
国家に中絶を禁止させるな。
国家に生殖を管理させるな。
堕胎罪批判も、その延長にある。
堕胎罪は国家権力による女性の身体への侵害である。
女性本人を処罰するな。
ここまでは言える。
しかし、
他人が女性の意思に反して中絶させた場合は、何の権利侵害なのか。
妊娠継続の意思を奪ったことを、どう法的に守るのか。
傷害罪だけでよいのか。
どの構成要件で処罰するのか。
医療者、恋人、夫、家族が関与した場合をどう分けるのか。
と聞くと、急に答えが出なくなる。
国家による女性への処罰には反対できる。
しかし、女性本人へどの生殖上の権限を帰属させ、その権限を侵害した私人をどう裁き、どう救済するかという政治が弱い。
国家から逃れる政治はある。
国家を働かせる政治がない。
「分断するな」は、制度を作らないための停止命令になる
日本の左翼やフェミニズムは、しばしば「分断を許さない」と言う。
女性と障害者を分断するな。
部落と在日朝鮮人を分断するな。
沖縄と本土を分断するな。
セクシュアル・マイノリティと女性を分断するな。
しかし、具体的な制度を作るには、必ず定義と線引きが必要になる。
誰が制度の対象か。
何を権利として保障するか。
どこまで公費で負担するか。
本人の意思をどこまで優先するか。
誰の行為を禁止するか。
どの侵害をどの法律で処罰するか。
制度を作れば、意見は割れる。
利益も衝突する。
誰かが責任を負わなければならない。
だから「分断するな」という言葉が、結果的に、
具体化するな。
定義するな。
優先順位をつけるな。
予算を配分するな。
法文へ落とすな。
という停止命令として働く。
すべての問題はつながっていると言っているあいだは、運動内部の一体感を守れる。
しかし、今薬が必要な女性には薬が届かない。
今産むか迷っている女性には相談先ができない。
今生殖自由を奪われた女性には救済制度ができない。
分断を防ぐために、リプロダクティブ・ライツへ取り組まないのか。
そう問いたくなる。
優生思想への反省が、リプロの実装を止める
日本のウーマンリブやフェミニズムは、障害者運動から強い批判を受けた。
女性の自己決定というとき、障害者を産まない選択の対象にしていないか。
産む・産まないを選ぶ権利が、障害者の存在否定につながらないか。
この問いは重い。
国家による強制不妊、強制中絶、優生政策は重大な人権侵害である。
しかし、その批判を受け止める過程で、
自己決定を制度化すること。
出生前診断を扱うこと。
中絶の権利を具体化すること。
産むか産まないかを本人が決めること。
に対して、常に優生思想警報が鳴るようになった。
その結果、
産む自由。
産まない自由。
産んだ子を安全に育てる自由。
を同時に支える制度へ進む代わりに、
命を選別してはいけない。
どんな命も尊い。
差別を内面化した自分を反省しよう。
という道徳へ戻る。
優生思想への反対は必要である。
しかし、それはリプロダクティブ・ジャスティス全体ではない。
部落女性は、行政闘争と女性の身体の両方を持っていた
部落女性の歴史を見れば、本来、ここに接続点があったことが分かる。
部落女性は、地域の生活要求を担った。
保育所を求めた。
病院を求めた。
識字を求めた。
子どもの教育を求めた。
住宅改善を求めた。
働く権利を求めた。
同時に、
結婚差別。
妊娠。
出産。
子どもへの差別継承不安。
家族内での出自告知。
貧困と性売買。
女性労働。
という、女性の身体と再生産の問題も抱えていた。
部落解放運動の行政要求能力と、ウーマンリブの女性身体の言語化が接続されていれば、日本独自のリプロダクティブ・ジャスティスがもっと早く立ち上がっていてもおかしくなかった。
しかし、部落側では女性の問題が地域生活要求へ吸収された。
都市のリブ側では地域生活要求が女性の身体政治へ接続されなかった。
女性の身体は同じところにあった。
運動上の名札だけが違った。
私はフェミニズムを知らずに、リプロダクティブ・ジャスティスの現場で育った
私は部落のなかで、フェミニズムの洗礼を受けなかった。
それは、部落女性に女性問題がなかったからではない。
むしろ逆だった。
部落女性は、病院、保育所、識字、労働、結婚、出産、子育て、差別という、リプロダクティブ・ジャスティスそのものを生きていた。
しかし、それはフェミニズムという名前では流通していなかった。
私が二十代半ばになって、緊急避妊薬の市販薬化要求運動へ関わり、必要に迫られてウーマンリブやフェミニズム史を読み始めたとき、初めて別の配管へ接続した。
そしてそこで、また同じ欠落を見た。
女性の身体は語られている。
女性の傷も語られている。
国家や家父長制も批判されている。
しかし薬がない。
相談先がない。
制度がない。
法的救済がない。
誰も責任を負わない。
私は、部落で育った経験と、緊急避妊薬運動で経験した断線を、後から同じ地図へ重ねることになった。
日本のフェミニズムは、新左翼の男性を捨てたが、抵抗しかできない政治を捨てられなかった
ここまでを一文で言えば、こうなる。
日本のウーマンリブは、新左翼男性の女性支配を批判して生まれた。
しかし、国家を拒否し、制度改良を回収とみなし、抵抗の純粋性を政治とする新左翼の文法までは捨てきれなかった。
さらに、障害者運動から突きつけられた反優生の問いによって、女性の生殖上の決定権を制度化するたびに「命の選別」警報が鳴るようになった。
その結果、女性の身体から発した要求は、
法。
予算。
医療。
相談。
供給。
救済。
へ向かわず、
反権力。
自己点検。
語り直し。
命の尊さ。
連帯。
へ流れた。
一方、部落解放運動は、国家を批判しながら、法律と予算を要求し、住宅、保育、教育、医療を実際に取ってきた。
日本の社会運動に、国家へ要求をのませる技術がなかったわけではない。
持っていた運動はあった。
フェミニズムが、その工法を十分に継承しなかった。
失われた政治工法
私が二〇一四年ごろから、緊急避妊薬の市販薬化要求を通してやってきたことは、特別に高度なことではない。
必要なものを定義する。
対象を定義する。
時間制限を確認する。
供給経路を作らせる。
価格を下げさせる。
本人に決めさせる。
国家に安全性と供給責任を負わせる。
しかし国家にも医療者にも、女性の道徳を審査させない。
これは、国家を働かせながら、国家に支配させない政治である。
部落解放運動が持っていた行政要求の工法と、女性の身体の自己決定を接続する政治でもある。
抵抗で止まるな。
要求を定義しろ。
誰の権利か明確にしろ。
制度へ書け。
予算を取れ。
相談先を作れ。
侵害されたときの救済を設計しろ。
本人の決定権は、国家にも運動にも渡すな。
日本のフェミニズムから失われたのは、女性の怒りではない。
女性の語りでもない。
権力批判でもない。
失われたのは、女性の身体から出た要求を、国家へ突きつける請求書へ変える政治工法だったのではないか。
私は、部落で育ちながらフェミニズムを知らず、後から緊急避妊薬運動を通してその欠落へぶつかった。
そして今、部落女性の歴史を読み直している。
そこには、ずっと前から材料があった。
病院。
保育所。
識字。
住居。
労働。
結婚。
出産。
子育て。
差別。
材料はあった。
施工能力も、別の運動にはあった。
ただ、配管がつながらなかった。
なぜつながらなかったのか。
私は、その床下をいまも掘っている。

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