部落フェミニズム実用編
研究を待つための想定問答集
部落女性当事者が、研究機関の人に声をかけられた時のお返事帳
部落女性の歴史を研究したい。
部落女性の経験を聞きたい。
部落女性の声を、これからのフェミニズムへ生かしたい。
もし、そのように大学、研究機関、出版社、記者、ライター、フェミニズム運動の人から声をかけられた時、部落女性当事者は、どのように返事をすればよいのだろう。
これは、研究を拒むための文章ではない。
研究を待つための文章である。
同時に、研究されなかった歴史を埋めるために、当事者がまた自分の家族史や共同体の傷を一から掘り起こし、研究者へ提供しなければならないという配置を、少し変えるための文章でもある。
当事者は、好きで当事者カードを切っているわけではない。
名乗り出なければ、そこに人がいたことすら認識されない。
存在しなかったことにされる。
だから、危険や負担を引き受けて名乗り出ている。
これは、傷の承認問題だけではない。
存在の見えなさの問題である。
以下は、部落女性当事者が研究者や言論機関から声をかけられた時に使える、ひとつのお返事帳である。
全部に答えなくてよい。
その場で答えなくてよい。
答えたくない質問には、答えなくてよい。
「私は研究協力を断る」とだけ返してもよい。
ここにある文章は、当事者へ新しい説明義務を負わせるためのものではない。
説明責任を、研究する側へ少し戻すためのものである。
1.「部落女性として、お話を聞かせていただけませんか」
お返事例
お声がけありがとうございます。
ただし、私が部落女性であることと、部落女性全体を代表して語れることは別です。
私は、部落女性の一人として、自分の経験について話すことはできます。
しかし、私の経験を「部落女性一般の経験」として扱うことはできません。
また、私が話せることと、話したくないことがあります。
研究の目的、質問項目、記録方法、匿名化、公開範囲、二次利用、研究成果の返却方法について、先に書面で説明してください。
そのうえで、協力するかどうかを考えます。
確認してよいこと
- この研究は何を明らかにしようとしているのか
- なぜ部落女性への聞き取りが必要なのか
- 既存研究をどこまで確認したのか
- 聞き取り以外の方法を検討したのか
- 語った内容は誰が所有し、どこで使われるのか
- 匿名化しても出身地域や家族が特定される危険はないか
- 研究者や所属機関は、成果を当事者へ返すのか
- 謝礼や交通費はあるのか
- 後から撤回できるのか
- 公開前に、自分に関する記述を確認できるのか
2.「当事者だからこそ、分かることがあると思います」
お返事例
当事者だから見えることはあります。
同時に、当事者だからこそ、資料を読むことや家族史を掘ることに、大きな負荷がかかる場合もあります。
部落外の研究者にとって一冊の資料であるものが、私にとっては母方の先祖や、ムラのおばちゃん、おっちゃん、おばあちゃん、おじいちゃんの生活へつながります。
資料を読むたびに、共同体へ向けられてきた侮蔑や排除が、わたくしごととして立ち上がります。
当事者性は、研究能力の保証ではありません。
研究協力の義務でもありません。
当事者だからこそ語るべきだ、という期待が、傷の発掘労働を当事者へ戻すこともあります。
その点を含めて、研究設計を考えてください。
3.「傷ついた経験を、話していただけますか」
お返事例
この問題は、私個人の傷の承認だけではありません。
私がどのように傷ついたかを語ることはできます。
しかし、私が問うているのは、
なぜ、日本の女性史やフェミニズム史のなかで、部落女性が継続的な主語として扱われなかったのか。
という研究史の問題です。
私の痛みを理解することと、研究されなかった仕組みを検証することは別です。
共感や承認だけで終わらず、
- どの資料があったのか
- 何が引用されなかったのか
- どの分野へ振り分けられたのか
- なぜ後続研究が生まれなかったのか
を調べてください。
4.「部落女性について、まず当事者自身が研究する必要があるのでは」
お返事例
当事者研究には重要な意味があります。
しかし、研究されなかった側が、研究の欠落まで埋める義務はありません。
部落女性が研究されてこなかった。
そのために、部落女性自身が共同体の傷を掘り、資料を集め、学術的な形式へ整え、部落外の研究者へ説明する。
それでは、負担がまた研究されなかった側へ戻ります。
部落外の研究者にも調べられることがあります。
たとえば、
- 主要な女性史・リブ史・フェミニズム誌の書誌調査
- 索引やデータベース上の語彙調査
- 既存研究の引用関係
- 部落解放運動と女性運動の人的交流
- 大学、出版社、研究会のテーマ選択
- 部落女性に関する研究が中心史へ統合されなかった経路
です。
まず、研究しなかった側の研究史を調べてください。
5.「専門分野が違うので、扱われなかったのだと思います」
お返事例
専門分化が理由の一つであった可能性はあります。
しかし、それは説明の終点ではなく、研究課題の入口です。
部落史、女性史、労働史、遊郭史、公娼制研究、「慰安婦」研究、地域史、福祉史が分かれて発達した。
その結果、部落女性が複数分野の境界で主語を失ったのなら、
なぜ、その境界は形成されたのか。
なぜ部落女性は、どの分野にも中心的に配置されなかったのか。
を研究してください。
サイロ化していたから仕方がなかった、ではありません。
そのサイロ化が何を不可視化したのかを、調べてほしいのです。
6.「部外者が研究すると、他者化や研究搾取になりませんか」
お返事例
その危険はあります。
部落女性の経験を採取し、研究業績へ変えるだけなら、搾取になりえます。
しかし私は、部落女性をもっと採掘してくださいと言っているのではありません。
研究しなかった側の研究史を調べてくださいと言っています。
当事者へ新しい聞き取りを増やさなくても、
- 既存文献
- 運動機関誌
- 学会誌
- 雑誌特集
- 出版目録
- 引用関係
- 研究会の記録
- 交流の履歴
は調べられます。
他者化を避けながら、自分たちの沈黙を研究する方法はあります。
「他者化が怖いので触れなかった」は、研究しないことの倫理的免罪符にはなりません。
7.「当時のフェミニズム運動には、そこまでのリソースがありませんでした」
お返事例
リソースが有限だったことは理解できます。
すべての問題を同時に扱うことはできません。
しかし、資源が有限である時、何を選び、何を後回しにしたかは、その運動の構造を示します。
問いたいのは、
なぜ部落女性が、長期にわたって繰り返し後回しになったのか。
ということです。
リソース不足は、研究課題を消しません。
むしろ、
- 何が優先されたのか
- 誰の問題が緊急と判断されたのか
- 誰がテーマ設定へ参加できたのか
- 何が女性問題として数えられなかったのか
という、資源配分の履歴を研究してください。
8.「部落女性については、部落解放運動の側ですでに研究されています」
お返事例
既存研究があることは重要です。
だからこそ、
なぜ、その研究が日本女性史、リブ史、フェミニズム史の総合的な叙述へ入らなかったのか。
を調べてください。
別の棚に研究が存在したことと、女性史の中心へ統合されたことは別です。
既存研究があったなら、
- 誰が引用したか
- 誰が引用しなかったか
- どこで引用の連鎖が止まったか
- 後続研究は生まれたか
- 教科書的な女性史へ反映されたか
を確認できます。
「研究はありました」で終わらず、
なぜ中心史の骨格を変えなかったのか。
まで答えてください。
9.「出身を確認できない以上、部落女性だったとは言えません」
お返事例
個人へ根拠なく部落出身という属性を付けるべきではありません。
出身を安易に聞き出すことも、差別を再生産する危険があります。
私は、公娼、からゆきさん、「慰安婦」、RAA、赤線にいた女性のうち、誰が部落女性だったかを、推測で断定してくださいと言っているのではありません。
問いたいのは、
部落出身であることを名乗る危険性が、証言収集や史料解釈のなかで、どれだけ検討されたのか。
ということです。
名乗ることで、
- 本人の生活
- 子どもの結婚
- きょうだいの就職
- 親族関係
- 地域での生活
が破壊される危険があった時代に、なぜ名乗り出なかったのかと問うだけでは不十分です。
名乗らないことは、存在しないことではありません。
確認できない属性を断定せず、同時に、名乗れなかった可能性を研究上の問いとして残してください。
10.「あなたは部落女性を代表しているのですか」
お返事例
代表していません。
私は、部落女性の一人です。
私の経験は、私の経験です。
地域、世代、家族、階級、教育、職業によって、部落女性の経験は異なります。
私は代表者ではありませんが、
日本のフェミニズム史に、部落女性が継続的な主語として現れない。
という欠落を指摘することはできます。
代表性がないことと、観測した欠落を語れないことは別です。
私を代表者にしないでください。
同時に、代表者ではないことを理由に、問いを無効にしないでください。
11.「あなたの表現は強すぎませんか」
お返事例
表現の強さについて話すことはできます。
しかし、表現の強さと、問いの妥当性は別です。
私が穏やかに言えば、調査されるのでしょうか。
私が個人的な痛みを語らず、学術的な言葉だけを使えば、研究されるのでしょうか。
問われているのは、
- なぜ部落女性が見えなかったのか
- なぜ既存研究が引用されなかったのか
- なぜ中心的な女性史へ統合されなかったのか
です。
私の言い方を評価する前に、この問いへ答えてください。
12.「まずは対話の場を作りませんか」
お返事例
対話の場は必要かもしれません。
ただし、対話が調査の代わりになることは避けたいです。
当事者が経験を語り、研究者が学び、互いの理解が深まった。
それだけで終わるなら、また証言が聞き手の正しさの更新へ回収されます。
対話の前後に、
- 何を調査するか
- 誰が責任を持つか
- どの資料を確認するか
- いつまでに何を報告するか
を明確にしてください。
対話を、未回答を包む柔らかい布にしないでください。
13.「知らなかったことを反省しています」
お返事例
反省を否定するつもりはありません。
ただし、反省と検証は別です。
私が求めているのは、反省文だけではありません。
- 何を知らなかったのか
- なぜ知らなかったのか
- どの資料があったのか
- なぜ読まれなかったのか
- 誰の研究課題にならなかったのか
- 今後、何を調べるのか
を示してください。
「学びました」は感想です。
回答欄には、調査内容を書いてください。
14.「具体的に、何を研究してほしいのですか」
お返事例
たとえば、次のような研究を望みます。
書誌と引用の調査
- 主要な女性史、リブ史、フェミニズム誌で、部落女性がいつ、どの文脈で扱われたか
- 部落女性に関する既存研究が、どの論文や書籍で引用されたか
- 引用の連鎖がどこで止まったか
- 総合的な女性史へ、なぜ統合されなかったか
運動史の調査
- 部落解放運動とウーマンリブ・女性運動の人的交流
- 同和教育、労働運動、女性運動の接点
- 共同声明、集会、機関誌、研究会の記録
- 接点があった場合、なぜ継続しなかったか
分類と管轄の調査
- 部落女性の問題が、女性問題ではなく地域問題・階級問題・福祉問題へ振り分けられた過程
- 女性史が、どのような女性像を中心に構成されたか
- 複数領域をまたぐ女性が、どの分類からも落ちた可能性
公娼制・性労働・戦時性暴力の調査
- 吉原を支えた非人小屋の労働と、そこにいた女性
- 公娼、からゆきさん、「慰安婦」、RAA、赤線における部落女性の可能性
- 出身を名乗ることの危険性が、証言収集へ与えた影響
- 名乗れない人を、歴史研究がどう扱うか
労働・生殖・生活の調査
- 部落女性の賃金労働、家業、農業、内職
- 結婚差別と家族形成
- 妊娠、出産、中絶、家族計画
- 暴力、健康、医療アクセス
- 保育、識字、教育、地域活動
私は答えを先に決めてほしいのではありません。
調べてほしいのです。
15.研究協力を受ける前に、確認してよいこと
部落女性当事者は、研究者へ次のことを尋ねてよい。
- あなたは、なぜこの研究をするのですか
- これまで部落女性について何を読みましたか
- 既存研究を何本確認しましたか
- 私へ聞かなければ分からないことは何ですか
- 私の話を、どの理論へ当てはめる予定ですか
- 語りを切り取る権限は誰にありますか
- 私が望まない部分を削除できますか
- 研究成果は私へ返されますか
- 私の地域や親族が特定される危険はありませんか
- 研究終了後、資料はどう保存されますか
- 将来、別の研究へ再利用されますか
- 私が途中で協力をやめられますか
- 語ることで生じる負担を、研究側はどう引き受けますか
- この研究は、あなたの業績以外に何を残しますか
これらを尋ねることは、研究を妨害することではない。
研究に参加するかどうかを判断するために必要な情報である。
16.言ってよい短い返事集
長く説明する力がない時は、短く返してよい。
私は代表者ではありません。私の経験として聞いてください。
当事者性の証明として、家族史を差し出すつもりはありません。
既存研究を先に確認してください。
私への聞き取りが必要な理由を、書面で説明してください。
傷の承認ではなく、研究史の欠落を検証してください。
対話の前に、調査項目を示してください。
「学びました」ではなく、何を調べるか答えてください。
部落女性を研究する前に、なぜ研究しなかったかを研究してください。
サイロ化は免責理由ではなく、研究対象です。
名乗らなかったことを、存在しなかった証拠にしないでください。
当事者カードを切らせないでください。
私は研究協力を断ります。
最後の一文だけでも、十分である。
17.研究する側に求めたい返答の形式
部落女性当事者から問いを向けられた研究者は、次のように答えることができる。
現時点で、私たちは十分に調べていません。
既存研究の確認が不足していました。
部落史と女性史が別分野として扱われ、接続が検討されていませんでした。
まず書誌調査と引用関係の確認を行います。
当事者への追加聞き取りを始める前に、自分たちの研究史を点検します。
出身を名乗る危険性を、証言研究の設計へ入れます。
分からない点は、分からないまま記録します。
調査結果を公開し、当事者にも返します。
完璧な答えでなくてよい。
すぐに結論が出なくてもよい。
必要なのは、責任主体として答え始めることである。
18.これは断罪文ではない
私は、フェミニズム研究者や女性史研究者を、一括して断罪したいのではない。
誰かが意図的に、
部落女性を無視しよう。
と決めたと思っているわけでもない。
だからこそ問うている。
誰も排除を命じなかったのに、なぜ長く取りこぼされたのか。
既存研究があったのに、なぜ中心史へ入らなかったのか。
当事者性や権力勾配が語られてきたのに、なぜ部落女性の名乗れなさは研究設計へ入らなかったのか。
これは、善悪判定だけで終わる問題ではない。
研究史、出版史、運動史、分類、資源配分の問題である。
私が求めているのは、謝罪だけではない。
検証である。
結び
部落フェミニズムとは、研究を待つことでもある
部落フェミニズムは、部落女性が自分の傷を語ることだけではない。
部落女性自身が、部落女性史を背負って掘ることだけでもない。
部落女性が、
ここに欠落がある。
と指し示し、その欠落を生んだ側が、自分たちの歴史を研究することを待つことでもある。
当事者カードを切らせないでほしい。
当事者は、好きでカードを出しているわけではない。
名乗らなければ、そこにいたことさえ認識されないから、名乗っている。
私の家族史や共同体の痛みを、研究を開始させるための入場券にしないでほしい。
部落女性の語られなさにこそ、リプロダクティブ・ジャスティスが存在することを、どうか忘れないでほしい。
産むこと。
産まないこと。
子どもを育てること。
働くこと。
暴力から逃れること。
家族を作ること。
自分の身体について語ること。
それらを選ぶ条件を奪われながら、部落女性であることも、貧困も、性被害も、労働も、出産も語れなかった女性たちがいた。
何も語らなかったのではない。
語れば、自分だけでなく、子どもやきょうだい、親族の生活まで壊れかねない社会のなかで、語ることを許されなかった。
名もなき、名乗れず、何も語ることができなかった部落女性たちのために。
部落女性を、特殊な誰かとしてではなく、あなたと同じ、女性として生きた人間として見てほしい。
そして、なぜ彼女たちがあなたたちの女性史に現れなかったのかを、あなたと同じ女性として、どうか考えてほしい。
これは、傷の承認問題ではない。
存在の見えなさの問題である。
私は、あなたたちを断罪していない。
答えを待っている。
答えやすいように、質問項目も書いておいた。
どうか、回答欄へ具体的に記入してほしい。

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