発生する身体と、その身体から勝手に始まってしまう社会

妊娠は意思を待たない。だからリプロは、道徳ではなく「期限付き身体」の権利である

女性は、自分が今日排卵するのかどうかを知らない。

今日の避妊が成功したのかどうかも、その場では分からない。受精した瞬間を知ることもできない。着床したかどうかも分からない。妊娠したことに気づかないまま、身体の中だけで時間が進んでいることもある。

妊娠週数には整った数え方がある。しかしそれは、私たちが発生の時間を後から管理しやすくするための棚札であって、女性本人が「この日に私は妊娠した」と身体の内側から確認できるわけではない。

生殖する身体では、本人の認識や覚悟より先に、何かが始まる。

私はHuman HPOで、女性というアイデンティティだけを見ているのではない。

発生する身体と、その身体から勝手に始まってしまう社会を見ている。

妊娠は「決めた後」に始まるとは限らない

妊娠をめぐる議論では、しばしば「選択」という言葉が使われる。

産む選択。
産まない選択。
避妊する選択。
性行為をする選択。

もちろん、選択は重要だ。

しかし妊娠は、女性がすべてを理解し、心を整え、人生設計を済ませ、「それでは始めます」と許可を出してから始まるものではない。

排卵は意思で止められない。
受精したかどうかは、その時点では分からない。
着床も自覚できない。
妊娠に気づいた時には、すでに身体の時計が動いている。

妊娠は、本人の物語より先に始まる。

そして、いったん始まれば、胚や胎児の発生は社会の議論を待たない。

国会が審議している間にも、細胞は分裂する。
運動の方針がまとまらない間にも、週数は進む。
家族が話し合っている間にも、中絶可能な時間は減っていく。

社会には「後で考えましょう」がある。

身体にはない。

身体が、本人より先に社会を呼び込む

妊娠が分かった瞬間から、女性の周囲には社会が立ち上がる。

病院。
妊娠検査。
費用。
相手の男性。
親。
職場。
住居。
戸籍。
出産。
中絶。
養子。
育児。
福祉。

本人がまだ何も決めていなくても、身体が社会との接続を始めてしまう。

産めば、子どもとの関係が始まる。たとえ出生後すぐ養子に出したとしても、「自分が産んだ」という事実そのものを存在しなかったことにはできない。

産まなくても、何も起きなかった身体へ完全に戻るわけではない。

流産しても、中絶しても、産んでも、妊娠を知った時点で、女性の世界は一度ぐるりと回転してしまう。

ここには、「正しい選択をすれば元通り」という出口がない。

どの道を選んでも、妊娠する前とまったく同じ場所には戻れない。

「妊娠する前の身体に戻りたい」を裁かないでほしい

私は鑑定室で、女性がこう泣くのを聞く。

こんなことを言ったらいけないと思うんですけど、妊娠する前に戻りたい。

この声を、覚悟が足りないと退けないでほしい。

「妊娠はそういうものだと分かってセックスしたのでしょう」
「自己責任でしょう」
「産むか産まないか、早く決めなさい」

そう言っても、彼女の身体は妊娠前には戻らない。

「妊娠する前に戻りたい」は、責任逃れの言葉ではない。

それは、不可逆になってしまった身体時間への悲鳴である。

まだ誰かを産みたいとも、産みたくないとも整理できていない。
中絶を望んでいるのかどうかすら、言葉になっていない。

ただ、

私の身体が、私の理解より先へ行ってしまった。

と泣いている。

この声を道徳裁判へ送って、何になるのだろう。

裁いても、時計は戻らない。
責めても、身体は元に戻らない。
罪悪感を増やしても、選択肢は増えない。

必要なのは判決ではない。

正確な情報、間に合う医療、費用、相談できる場所、そして、どの選択をしても女性一人にすべてを背負わせない制度である。

男女の非対称性は、怒鳴り合っても消えない

男性も責任を負える。

費用を負担できる。
そばにいることもできる。
育児もできる。
逃げずに話し合うこともできる。

しかし、男性は妊娠しない。

父親であっても、身体的には観客席しか用意されていない。

排卵しない。
着床しない。
つわりにならない。
流産しない。
中絶しない。
出産しない。

これは男性の人格を責める話ではない。

肉体の非対称性の話である。

この非対称性を「男は分かっていない」と男性へぶつけ続けても、男性の身体が妊娠するようにはならない。

だから私は、怒りを増幅させることより、社会が分担できる荷物を増やしたい。

妊娠そのものは分担できない。

しかし、

  • 避妊
  • 緊急避妊薬へのアクセス
  • 中絶費用
  • 医療情報
  • 妊娠中の生活保障
  • 出産後の育児
  • 障害児養育
  • 流産、死産、中絶後の悲嘆
  • 職場や住居の不利益

は分担できる。

女の腹にしか起きないことと、女の腹だけに背負わせる必要のないことを分けなければならない。

ジェンダーは重要だ。しかし時計の砂は止めない

これはトランスパーソンの否定でも、性別本質主義でもない。

性自認、社会的承認、性役割、ジェンダー規範は、人間の生を大きく左右する。

しかし、妊娠している身体の前では、それとは別の層が作動している。

今、排卵したか。
受精したか。
妊娠何週か。
中絶可能な期間に間に合うか。
出血しているか。
胎児が発達しているか。

ここでは、社会理論より先に身体の時計が進む。

だからEC運動で私が何度も感じたのは、

今、肉体の話をしています。

という噛み合わなさだった。

「男にコンドームを付けてと言える女性になろう」
「男に都合のいい、いつでもセックスできる女になるな」

そうした議論は、思想としてどこかで存分にやればいい。

しかし、緊急避妊薬が必要な女性には時間制限がある。

その人を前にして、正しい女性のあり方を説いている場合ではない。

先に薬を渡す。
先に医療へつなぐ。
思想の議論はその後である。

学問も運動も、身体の時計を止めることはできない。

人類史は、女の腹で博打してきた

人類史には、女の腹を通らない社会がない。

婚姻。
血統。
相続。
王位継承。
家制度。
人口政策。
戦争後の人口回復。
奴隷制。
植民地支配。
優生政策。
中絶規制。

社会は、誰が誰の子を産むのかを管理しようとしてきた。

腹そのものを直接支配できないから、婚姻、貞操、宗教、法律、家族制度、医療、道徳で女性の周囲を囲った。

人類は、女の腹で社会を博打してきた。

産まれるか。
生き残るか。
男児か女児か。
家を継ぐか。
労働力になるか。
国家の人口になるか。

それほど女の腹に依存してきたのに、その腹で起きる苦しみだけは、女性個人の覚悟と責任へ押し戻してきた。

これはイーブンではない。

Human HPOは「裁いてどうする」と問う

Human HPOが投げかけたい問いは、単純だ。

生殖する身体による苦しみは、誰かに裁かれなければならないものなのか。

望まない妊娠をした女性。
中絶した女性。
中絶できなかった女性。
障害児を産んで苦しむ女性。
産んだことを後悔する女性。
産まなかったことを後悔する女性。

その苦しみに向かって、

「正しい選択をしなかった」
「命を大切にしなかった」
「覚悟が足りなかった」
「自己決定したのだから責任を取れ」

と裁判を始めて、何を解決するのだろう。

裁いても、発生は巻き戻らない。
裁いても、女性の肩の荷は軽くならない。
裁いても、次の女性が同じ場所で泣かなくなるわけではない。

ならば、やることは別にある。

避妊を届かせる。
ECを届かせる。
中絶を安全にする。
費用を下げる。
産む選択を支える。
障害児を育てる家庭を孤立させない。
中絶後や死産後の悲嘆を受け止める。
女性一人の腹で、社会問題を処理させない。

Human HPOは、フェミニズムを壊すためのものではない。

フェミニズムにドリルで風穴を開け、そこへもう一度、

発生する身体
止められない身体時間
腹から勝手に始まってしまう社会

を通すためのものだ。

裁くな。まず発生を見ろ

人間は、自分がどのように発生したかを覚えていない。

だから妊娠を、母性、家族、責任、愛、罪、ジェンダーといった物語で包みやすい。

しかし、その物語の下には、もっと単純で残酷な身体の世界がある。

排卵する。
受精する。
着床する。
発生する。
成長する。
時間が進む。

本人の意思を待たずに。

だから私は言いたい。

裁くな。
まず発生を見ろ。
身体の時計を見ろ。
女の腹に載せられた荷を見ろ。
そして、社会へ分けろ。

女性の身体を好きになれと命じる前に、女性が自分の身体を嫌いになる理由を減らしたい。

「女の子に生まれたくなかった」と泣く人を減らしたい。

女の子、楽しいと思えたらいいね。

そのために、女の子、苦しいを少しずつ減らそう。

女の腹で、社会のすべてを博打するのは、もうやめよう。

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