日本のリプロダクティブ・ジャスティスを、部落の生活改善史から見てみてください

ブラック・フェミニズムの視点で、日本のフェミニズムと部落解放運動の断絶を問う

日本でリプロダクティブ・ジャスティスを語るとき、どこから始めるのだろう。

優生保護法。
強制不妊手術。
中絶の権利。
避妊。
緊急避妊薬。
性教育。
妊娠や出産をめぐる自己決定。

もちろん、どれも重要である。

だが私は、もう一つ、ほとんど正面から扱われていない入口があると思っている。

それは、部落地域における生活改善、地域医療、母子保健、保育所要求、公衆衛生、家族計画、住宅、教育、就労をめぐる歴史である。

日本のフェミニズムは「女のからだ」を語ってきた。

しかし、国家予算による大規模な同和対策事業が行われ、国、県、自治体、地域運動、医療者、政党、家族が複雑に絡みながら、女性の妊娠、出産、避妊、育児、就労、生存条件を大きく変えた地域の歴史を抜いたまま、「日本の女のからだ」を語ることができるのだろうか。

私は部落女性を、新しいフェミニズムの象徴にしたいのではない。

むしろ、フェミニズムにも、部落解放運動にも、国家の善政史にもきれいには回収されない女性たちの歴史が、ここにあるのではないかと思っている。

そして私は、その歴史を完成された答えとして示したいのでもない。

ここを見てほしい。
ここには、まだ十分に問われていない問題がある。

そのことを言いたい。

私が知りたいのは、部落女性史そのものではない

私が知りたいのは、部落女性の網羅的な歴史ではない。

日本のフェミニズムと部落解放運動は、どちらも戦後左翼運動の大きな流れの中にあった。

労働。
貧困。
教育。
医療。
差別。
国家。
家族。
生活。

扱っていた問題は、かなり重なっている。

それなのに、なぜ両者は、女性の身体と生殖を共通の政治課題として形成できなかったのか。

なぜ、ここまで交差しなかったのか。

日本のフェミニズムは学問として、第二波、第三波、第四波を語る。

ブラック・フェミニズムも、インターセクショナリティも、リプロダクティブ・ジャスティスも紹介されている。

だが、運動としてそれらを本当に通過したのだろうか。

国内に存在した反差別運動との断絶を掘り返さないまま、輸入された概念だけを導入してはいないか。

私はそこを問いたい。

部落解放運動には、明確な「解放テーゼ」があった

部落解放運動の側には、非常に明確な解放の言葉があった。

部落だから差別されても仕方がないと思ってはいけない。
泣き寝入りしてはいけない。
差別されたら抗議する。
一人で抱えず、組織へ持っていく。
そのための運動である。

私の母は七十一歳だが、何かを差別だと感じると、

「いや、差別やわ。どこそこに言うていかな」

と、ほとんど反射のように言う。

これは、あとから学んだ人権啓発の言葉ではない。

何度も使われ、現実に抗議し、行政や学校や会社へ要求を届けるために使われてきた言葉なのだと思う。

そこには、まず被害を語り、内面を整理し、自分が悪くないと確認し、それから政治化するという順番がない。

差別を見つける。
一人にしない。
抗議先へつなぐ。
是正を要求する。

現実解決までが、一つの文の中に入っている。

これは、非常に強い回路である。

部落解放運動が糾弾という方法をとってきたことについては、当然、行き過ぎや権力性も検証されなければならない。

しかし、部落が日常的に差別を投げつけられ、個人では抗議を握りつぶされる時代に、集団で抗議し、相手に説明と反省を迫る仕組みが、差し迫って必要だったことも私は理解する。

「部落は怖い」と言われようと、戦わなければならない現実があった。

この闘争性は、ある意味ではリブ的であり、泣き寝入りを許さない女たちの直接行動にも近い。

しかし、その闘争の主語は、必ずしも「女」ではなかった。

女たちは、女としてではなく「部落のもん」として闘ったのではないか

女たちも闘った。
女たちも地域を回した。
女たちも抗議へ行った。
女たちも行政を動かした。

だが、そのとき彼女たちは、「部落の女」としてより先に、「部落のもん」として闘っていたのではないか。

部落解放運動が強く対抗したのは、共同体の外から加えられる差別だった。

就職差別。
結婚差別。
教育差別。
行政差別。
地域に対する侮辱。
出自を理由とした排除。

こうした外部からの差別には、

部落のもんが差別された

という共通の主語を立てることができた。

しかし、婚家や家庭の中で起きることは、もっと複雑だったはずである。

夫からの暴力。
姑との関係。
家事と育児の負担。
妊娠や出産への圧力。
女性の就労。
家族内部の沈黙。

そこでは相手も同じ部落の人間であるかもしれない。

外からの差別には苛烈に闘えても、共同体内部の女性差別には、同じ回路を使いにくい。

「部落の解放」という共同の旗のもとでは、女の側から共同体内部を告発することが、結束を壊す行為のように受け取られることもあっただろう。

女性部が存在したとしても、その女性部が、女自身の身体、欲望、婚姻、暴力、生殖、離脱を主語にした組織だったのか、それとも女性が部落解放運動を支えるための組織だったのかは、分けて見なければならない。

闘う女はいた。

しかし、「女として闘う」ための言葉と回路が、同じ強さで存在したとは限らない。

視点はブラック・フェミニズムに近い

この構造は、ブラック・フェミニズムが問い続けてきたものに近い。

反人種差別運動の中では「黒人」として見られ、女であることが後回しになる。

主流フェミニズムの中では「女」として見られ、黒人であることが消える。

どちらの運動も必要である。
しかし、どちらも黒人女性を完全には捉えない。

部落女性にも、似た位置があったのではないか。

部落解放運動では「部落民」として見られ、女であることが薄くなる。

フェミニズムでは「女性」として見られ、部落差別と地域共同体の現実が薄くなる。

ここで重要なのは、差別の足し算ではない。

部落差別と女性差別が二重に存在した、というだけでは足りない。

問われるべきなのは、どの運動が誰を標準的な主体とし、誰の経験を見えなくしたかである。

ブラック・フェミニズムが突きつけたのは、

少数者も包摂しましょう

という道徳ではない。

あなたたちが「女一般」と呼んできた主体は誰なのか。
その主体は、誰を消すことで成立したのか。
消された女性たちを中心に置いたとき、運動の目的と方法はどう変わるのか。

という、運動構造そのものの問い直しだった。

日本のフェミニズムがブラック・フェミニズムを肉体で理解するとは、黒人女性の歴史へ共感することではない。

日本の中で、二つの運動の間から誰が落ちたのかを探すことだ。

ただし、ブラック・フェミニズムの結論まで輸入してはいけない

ここは非常に重要である。

ブラック・フェミニズムやリプロダクティブ・ジャスティスの歴史には、強制不妊、出生抑制、子どもの剥奪、産む権利の否定が深く刻まれている。

差別される集団の女性が、国家から「産むべきではない」と見なされ、身体を管理された歴史である。

しかし、部落女性の生殖を考えるとき、最初から同じ結論を置いてはいけない。

私は現在、部落出身であることを直接の理由として、部落女性に組織的な出生抑制が行われたことを示す資料を持っていない。

差別的な言動や制度に対して、強く抗議してきた部落解放運動の文化を考えると、

部落のもんは子どもを産むな

という露骨な介入が広範に行われながら、まったく問題化されなかったとは、私は想定しにくい。

しかし、これは不在の証明ではない。

運動が把握できなかった介入。
個々の家庭や医療現場で起きたこと。
記録されなかった経験。
地域によって異なる運用。

それらが存在した可能性は残る。

だから私は、

部落女性への出生抑制はなかった

と断定したいのではない。

逆に、

優生保護法体制下なのだから、部落女性も当然、出生管理の対象だったはずだ

と推定したいのでもない。

どちらも、資料なしには言えない。

視点はブラック・フェミニズムから借りる。

しかし、見えている景色は部落固有のものでなければならない。

眼鏡は借りる。
症例名までは借りない。

優生保護法との接続を切ってはいけない

もちろん、同和対策事業の時代に行われた母子保健、家族計画、避妊指導が、優生保護法体制の外にあったわけではない。

「不良な子孫」という国家的な選別思想が、障害、疾病、貧困、地域差別とどのように接触したのかは、別途、検証されなければならない。

ハンセン病や障害者に対する強制不妊の歴史は、国家が生殖を選別したことをはっきり示している。

その国家が、部落地域だけでは一切その発想を持たなかったと、先に無罪判定することもできない。

しかし同時に、

優生保護法が存在した
だから部落女性の家族計画も優生的出生管理だった

と短絡することもできない。

必要なのは、

  • 優生保護法
  • 家族計画
  • 母子保健
  • 同和対策事業
  • 地域医療
  • 保健婦活動
  • 解放運動
  • 女性本人の経験

が、地域ごとにどう組み合わされたのかを見ることである。

私は「管理ではなく改善だった」と言い切りたいのではない。

より正確には、

部落女性の生殖経験は、国家による管理だけでは捉えられない。改善と解放として経験された大きな歴史がある可能性を、もっと正面から見てほしい。

と言いたい。

同和改善事業は、生殖と子育ての条件を変えた

同和対策事業では、国家予算が大規模に投入された。

国、県、自治体、地域運動が関わり、

  • 住宅
  • 上下水道
  • 道路
  • 医療
  • 診療所
  • 保育所
  • 母子保健
  • 公衆衛生
  • 生活改善
  • 貧困対策
  • 教育
  • 就労

などが整備された。

これらは一見すると、環境整備や福祉政策である。

しかし、すべて女性の身体と生殖に直結している。

水が通る。
衛生環境が改善する。
病院へ行ける。
妊婦健診を受けられる。
子どもを預けられる。
乳幼児が生き延びる。
女が働ける。
避妊や家族計画の知識へアクセスできる。
出産と子育ての負担が変わる。

これは、リプロダクティブ・ポリティクスそのものである。

しかも、国家が一方的に恩恵を与えたのではない。

部落側が要求した。
予算を取らせた。
施設を作らせた。
行政を動かした。
差別によって奪われていた生活条件を、権利として取り返した。

地域は、政策の受け皿だっただけではない。

要求し、監視し、利用し、足りなければ抗議する主体でもあった。

だから、部落地域における国家介入を、

国家が部落女性の身体を管理した

という一方向の物語だけで説明することはできない。

少なくとも、医療、衛生、保育、住宅、教育の改善が、産み、育て、生き延びる条件を拡張した歴史がある。

それは、リプロダクティブ・ジャスティスとして読むべき歴史ではないか。

産む権利だけではなく、育てられる条件を獲得した歴史

リプロダクティブ・ジャスティスは、産まない権利だけではない。

産む権利。
子どもを持つ権利。
安全で尊厳ある環境で子どもを育てる権利。
家族を維持する権利。

住宅、上下水道、医療、保育、教育、雇用、差別への抗議回路は、すべてリプロダクティブ・ジャスティスの条件である。

部落地域の生活改善史は、まさにこの条件を、国家へ要求し、地域へ引き込んだ歴史だったのではないか。

ここで、部落女性の生殖史は、

国家に産むことを禁じられた女性史

というより、

差別と貧困によって奪われていた、産む、産まない、育てる、生き延びるための条件を、共同体闘争によって獲得していった女性史

として見えてくる可能性がある。

ただし、その集合的な改善が、女個人の自己決定をどこまで保障したかは別問題である。

地域全体の生活条件が改善した。
医療へ行けるようになった。
保育所ができた。
子どもが生き延びやすくなった。

それは大きな解放である。

しかし、その中で女本人が、

  • 何人産むか
  • 産むか産まないか
  • 避妊を使うか
  • 中絶を選ぶか
  • 働くか
  • 婚家を離れるか
  • 子どもを持たないか

を、どこまで自分の主語で決められたかは、別に問わなければならない。

集合的解放と、個人の身体的自己決定は、重なるが同じではない。

一番知りたいことほど、記録に残っていない

ここで、問題がある。

行政に残るのは、

  • 家族計画講習会を何回実施した
  • 母子保健指導を何件行った
  • 保健婦が何世帯訪問した
  • 乳幼児健診率が上がった
  • 保育所を設置した
  • 診療所を整備した

という事業記録である。

部落解放運動に残るのは、

  • どの要求を掲げたか
  • どの予算を獲得したか
  • どの施設を建てさせたか
  • 生活改善がどこまで進んだか

という成果記録である。

しかし、私が知りたいのは、その下にある。

誰が避妊の話を持ってきたのか。
女たちはどう受け止めたのか。
家族の中で誰が子どもの数を決めたのか。
避妊は自由を広げたのか。
医療者の助言は助けになったのか。
圧力として感じられたことはなかったのか。
保育所ができたことで、女は働けるようになったのか。
産むことへの恐れは減ったのか。
差別される子どもを産み育てる不安は、誰に語られたのか。
婚家の中で、女は何を黙ったのか。

こうした経験は、行政資料にも、運動史にも、ほとんど残らない。

残るとしても、

  • 生活改善
  • 婦人活動
  • 母子保健
  • 保健指導
  • 保育所運動
  • 診療所史
  • 地域聞き取り

という別々の箱に入っている。

女性の生殖経験として索引されていない。

だから、日本のフェミニズムと部落解放運動の断絶は、思想の断絶だけではない。

その断絶が、そのまま史料の欠落になっている可能性がある。

行政は事業を数えた。
解放運動は成果を数えた。
フェミニズムは女性の自己決定を語った。

しかし、部落女性の身体で、それらがどのように経験されたのかを問う主体がいなかったのではないか。

「記録がない」は、「何もなかった」という意味ではない

ここは慎重に区別しなければならない。

記録をまだ見つけていないことは、不在の証明ではない。

解放運動が見つけられなかったこともあるだろう。
個々の家庭で起きたことは、共同体の議題にならなかったかもしれない。
医療者と女性のあいだで交わされた言葉は、書類に残らない。
行政が成果として数えなかった経験は、最初から記録されない。

だから、

抗議記録がないから、差別的な介入はなかった

とは言えない。

しかし同時に、

記録がないから、隠された出生抑制があったはずだ

とも言えない。

必要なのは、空白へこちらの期待する物語を流し込むことではない。

空白がどのように作られたのかを問うことである。

全国の部落女性を、一つの経験にまとめてはいけない

もう一つ、重要な問題がある。

部落は全国どこでも同じではない。

西日本と東日本。
都市部落と農村部落。
大規模部落と小規模部落。
解放運動の強い地域と、別の組織系列が強い地域。
同和対策事業が濃く入った地域と、そうでない地域。

国家政策の降り方も、地域運動の強さも、医療へのアクセスも、女性の生活も違うはずである。

私の観測は、奈良県内の比較的大きく、解放運動と改善事業の回路が濃かった部落地域で育った経験を起点としている。

これを、全国の部落女性の経験へ一般化することはできない。

むしろ、地域差を比較することで、

  • 国家政策がどう違って降りたのか
  • 地域運動がどう媒介したのか
  • 医療や保育がどう整備されたのか
  • 女の身体と生殖にどう異なる作用をしたのか

が見えてくるはずである。

「部落女性」という一語で均質化しないことも、ブラック・フェミニズムから学ぶべき視点の一つだろう。

日本のフェミニズムは、ブラック・フェミニズムを肉体で理解できるか

日本のフェミニズムは、学問としてブラック・フェミニズムを知っている。

インターセクショナリティも知っている。
リプロダクティブ・ジャスティスも知っている。
多様性や連帯を語ることもできる。

しかし、知っていることと、運動として通過したことは違う。

ブラック・フェミニズムが壊したのは、単に「女性」の定義ではない。

運動の中心にいる主体が、誰を消してきたのかという構造だった。

ところが日本では、国内の反差別運動との断絶を掘り返さないまま、

交差性が大切です
多様な女性と連帯しましょう
LGBTも含めて考えましょう

という倫理語へ移っているように見える。

これでは、交差性は中心を壊す刃ではなく、配慮項目を増やす言葉になる。

部落女性は、単に「フェミニズムから排除された女性」ではない。

彼女たちは、別の運動の内部にいた。

部落のもんとして闘った。
地域を運営した。
行政へ要求した。
診療所や保育所や生活改善を支えた。
外からの差別には抗議した。
しかし、家の中では黙ったかもしれない。

この女性たちを、

昔からフェミニストだった

と回収するだけでは足りない。

なぜフェミニズムは、彼女たちの政治実践を女性運動として読めなかったのか。

なぜ部落解放運動は、女たちの力を使いながら、女の身体を十分に主語化できなかったのか。

そこまで問わなければ、ブラック・フェミニズムを通過したことにはならない。

フェミニズムにも、解放運動にも都合の悪い女性史

ここにあるのは、きれいな英雄史ではない。

共同体に守られ、共同体を支えた女。
国家資源によって生活を改善され、政策の対象にもなった女。
外部差別へは闘い、家族内部では黙った女。
フェミニズムを知らず、それでも泣き寝入りを許さなかった女。
男たちと共闘し、男たちから自由ではなかった女。
運動家ではないと言いながら、運動の財政と生活を支えた女。

この女性たちは、フェミニズムにも、解同にも、国家にも、都合よく英雄化できない。

フェミニズムには、

お前らが来る前から闘っていた。
でも、お前らのいう女像とも違う。

と返す。

解放運動には、

部落の解放というて、女の身体と家の中はどこまで解放したのか。

と返す。

国家には、

改善事業は確かに生活を変えた。
では、その政策を女たちはどう経験したのか。

と返す。

私は、この三方向すべてを蹴飛ばす女性史が、ここにあるのではないかと思っている。

日本のリプロダクティブ・ジャスティスを、ここから見てほしい

だから私は提案したい。

日本のリプロダクティブ・ジャスティスを、優生保護法と中絶の権利だけから見ないでほしい。

同和改善事業。
地域医療。
母子保健。
保育所要求。
家族計画。
公衆衛生。
住宅改善。
生活改善。
差別への抗議回路。

そこからも見てほしい。

そして問うてほしい。

日本のフェミニズムと部落解放運動は、同じ左翼運動圏にありながら、なぜ女性の身体、生殖、医療、家族を共通の政治課題として形成できなかったのか。

部落女性の生殖条件は、国家と地域運動によってどのように改善されたのか。

優生保護法、家族計画、母子保健、同和対策事業は、地域でどう組み合わされたのか。

その改善を、女性たちは身体でどのように経験したのか。

なぜ、その経験はフェミニズム史にも、部落解放運動史にも、十分に保存されなかったのか。

地域によって、その経験はどれほど違ったのか。

これは、部落女性を新しい象徴にするための問いではない。

日本のフェミニズムが「女のからだ」を語るとき、どの身体を見落としてきたのかを問うための問いである。

部落解放運動が「解放」を語るとき、女の身体と家の中をどこまで解放できたのかを問うための問いである。

そして、日本のリプロダクティブ・ジャスティスを、輸入された言葉ではなく、この国の地面と身体から組み直すための問いである。

私には、この研究を完成させる装備がない

私は研究者ではない。

全国の解放同盟機関紙、自治体資料、保健婦記録、診療所史、地域生活史へ横断的にアクセスする研究環境もない。

大学のデータベースにも、地方資料館の書庫にも、自由に出入りできるわけではない。

個々の女性への聞き取りも必要になるだろう。

行政資料だけでは足りない。
運動史だけでも足りない。
フェミニズム史だけでも足りない。

同和行政史。
部落解放運動史。
女性史。
家族計画史。
母子保健史。
地域医療史。
優生政策史。
生活史。

それらを接続して読む必要がある。

本稿は、結論を提示する研究ではない。

これまで別々の棚に保存されてきた歴史を、同じ机の上に置いてほしいという提案である。

私はただ、この断絶の場所には、日本のリプロダクティブ・ジャスティスを考えるための、まだ生きている何かがあると思っている。

女のからだを語るなら、国家予算の重機が掘り返したムラの地面まで降りてきてほしい。

そこには、保健婦がいる。
診療所がある。
保育所要求がある。
生活改善がある。
抗議へ走る女たちがいる。

そして、その女たちが何を選び、何を諦め、何を勝ち取ったのかは、まだ十分に語られていない。

だから、ここから見てみてください。

日本の「女のからだ」を。

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