「いい薬だから怖がらないで」で、女性を守ったことになるのか
ジエノゲストと骨密度をめぐる「知らなかった」の大行列
ネチネチネチネチと、ジエノゲストのストーカーのようになっているラッキー・ランタンタンです。
私はこれまで、ジエノゲストをめぐる婦人科医療の妙な善意について、何度も書いてきた。
ジエノゲストは、月経困難症や子宮内膜症などの症状を軽くし、血栓症のリスクを避けながら使えることもある、大切な治療薬だ。
その価値を否定したいわけではない。
問題は、ジエノゲストについて何か不安材料が語られた時、一部の産婦人科医がすぐに、
「いい薬です」
「不安を煽らないでください」
「低用量なら骨密度への影響はほとんどありません」
と、ピシャリと話を閉じようとすることだ。
今回、整形外科医が、ジエノゲストの長期服用では骨密度低下にも注意してほしいと投稿した。
これに対して複数の産婦人科医が、0.5mg製剤と1mg製剤では扱いが違う、0.5mg製剤について骨密度低下を過度に心配させるべきではない、と反応した。
用量によってリスクの程度が違うという訂正自体は必要だ。
だが、その引用欄に集まった女性たちの声を見ると、別の、もっと深刻な問題が露出していた。
「10年近く飲んでいるけれど、骨密度の話は一度も聞いていない」
「閉経まで飲んでよいと言われた」
「何年も飲んでいるけれど、骨密度を測ったことがない」
「骨密度はどこで測るの?」
「婦人科で頼めるの? 整形外科へ行くの?」
「副作用はほとんどないとだけ言われた」
「20代で服用していたら骨密度が大きく下がり、中止した」
もちろん、SNSの引用欄は医学的な統計ではない。
服用している製剤、1日の総量、年齢、疾患、服用期間、体格、栄養、運動、喫煙、他の薬なども分からない。個々の骨密度低下がジエノゲストだけによるものとも断定できない。
しかし、これほど多くの長期服用者が、
「知らなかった」
「説明されたことがない」
「どこで調べればよいか分からない」
と並ぶこと自体は、別の警報である。
これは薬の危険性を証明する列ではない。
長期服用に必要な情報が、患者まで届いていないことを示す列だ。
「婦人科へ相談してください」では答えにならない
産婦人科医は、心配な人は婦人科へ相談してください、と言う。
だが引用欄にいる女性たちは、すでに何年も婦人科へ通っている。
婦人科で処方され、婦人科で診察を受け、婦人科の管理下で飲み続けている。それでも骨密度について聞いたことがないと言っている。
ならば問題は、相談先を知らないことではない。
通常の診療で何を説明し、何年ごとに何を確認し、誰が長期管理を担うのかが明示されていないことだ。
骨密度を測定しないという医学的判断はあり得る。
しかし、
「現時点ではこの条件なので、定期測定までは必要ないと考えます」
と説明した上で測らないことと、骨密度という論点そのものを知らせず、十年間測らないことは同じではない。
前者は判断である。
後者は情報の断裂である。
0.5mgと1mgは違う。だからこそ、正確に説明しなければならない
ジエノゲストには、0.5mg錠と1mg錠がある。
月経困難症に用いられる0.5mg錠は、通常1回0.5mgを1日2回服用するため、1日の総量は1mgになる。
子宮内膜症や子宮腺筋症に用いられる1mg錠は、通常1回1mgを1日2回服用し、1日の総量は2mgになる。
つまりSNSで単に、
「0.5mgは大丈夫」
「1mgは注意」
と書くと、錠剤の規格と1日の総量が混ざる。
患者が「私は1mgを飲んでいます」と言った時、それが0.5mg錠を1日2回なのか、1mg錠を1日1回なのか、1mg錠を1日2回なのか分からない。
用量によって扱いが違うと強調するなら、患者へは錠剤の名前だけではなく、
- 何の病気に対して使っているのか
- 1回量はいくつか
- 1日の総量はいくつか
- どの程度の期間を想定しているか
まで渡さなければならない。
「医師同士には分かる省略」を、そのまま一般向けに流してはいけない。
低用量なら「何年飲んでも何も考えなくてよい」のか
低用量のジエノゲストは、より高用量の治療と比べて骨密度への影響が小さいと考えられている。
それは重要な情報だ。
しかし、
「影響が小さい」
と、
「思春期から十年、二十年飲んでも影響を考えなくてよい」
は同じではない。
特に月経困難症で使う0.5mg製剤は、思春期や若年女性にも処方される。
ならば問うべきなのは、薬を開始した直後の安全性だけではない。
初経後の十代から飲み始めた場合、いつまで飲むのか。
最大骨量を獲得する時期とどう両立するのか。
何年ごとに治療の利益と負担を再評価するのか。
低体重、栄養状態、運動不足、骨折歴、他の薬などを、誰が確認するのか。
骨密度測定を考える基準は何か。
中止すれば症状が再燃する場合、次の選択肢は何か。
こうした長期運用の設計が必要になる。
公式資料も、若年者や長期投与について、何も考えなくてよいとは書いていない。
低用量は高用量より心配が少ない可能性がある。
しかし、長期の不確実性まで消滅したわけではない。
昔の婦人科医療は、女性に我慢を命じた
昔の婦人科医療では、
「生理は病気ではない」
「その程度は我慢しなさい」
「女性なら誰でも通ることです」
と、女性の痛みが軽視されてきた。
女性は、自分の苦痛を判断する主体ではなく、医師から「我慢できる程度」を決められる子どものように扱われた。
現在は変わった。
「痛みは我慢しなくてよい」
「月経を止めてもよい」
「使える薬があります」
「怖がらずに治療しましょう」
これは大きな前進だ。
しかし、女性の扱われ方は本当に変わったのだろうか。
昔は、我慢させられる赤ちゃんだった。
今は、安心させて服薬させる赤ちゃんになっていないか。
治療へアクセスするところまでは支援される。
だが、治療によって何を得て、何を監視し、どんな不利益を引き受ける可能性があり、いつ再評価するのかという「収支」は、医療者側に置かれたままだ。
女性には、
「いい薬です」
「怖がらなくて大丈夫です」
という結論だけが渡される。
これでは、女性を責任主体として扱ったことにならない。
女性を守るとは、不安を感じさせないことではない
「ピルは性に奔放な女が飲むものだ」
「薬で月経を止めるのは不自然だ」
このような偏見に対しては、はっきり反論すればよい。
しかし、
「長期服用で骨密度はどうなるのか」
「思春期から何年使えるのか」
「必要なら検査できるのか」
という問いは、治療を妨げる偏見ではない。
薬を使う本人が当然持ってよい医学的な問いである。
そこへ、
「不安を煽らないで」
と返すのはおかしい。
女性を守るとは、不安になる情報を医師が選別し、安心できる結論だけを渡すことではない。
必要なのは、
「現在のデータでは、この用量の影響はこの程度と考えられています」
「ただし、この年齢や服用期間については、まだ分からないことがあります」
「あなたの場合は、現時点では検査不要と考えます」
「この条件に当てはまる場合は、骨密度測定を検討できます」
「何年後に治療全体を見直しましょう」
と、座標を渡すことだ。
不安を消してあげるのではない。
本人が不安を扱い、利益と負担を比較できるだけの情報を渡す。
それが、女性を判断主体として扱うということだ。
「いい薬」には、請求書がないのではない
ジエノゲストには、大きな利益がある。
痛みが軽くなる。
出血が減る。
月経に生活を支配されずに済む。
エストロゲンを含む薬が使いにくい人にも、治療の選択肢が生まれることがある。
だから「いい薬」と評価される。
だが、いい薬とは、何の負担も不確実性もない薬という意味ではない。
利益が大きく、必要な請求書を監視しながら運用できる薬という意味のはずだ。
治療によって身体が楽になる。
その代わりに、何を観察するのか。
どんな条件なら検査するのか。
どこまでの不正出血なら経過を見るのか。
いつ貧血を確認するのか。
骨密度を誰が見るのか。
何年後に継続を再評価するのか。
その請求書の読み方まで、本人へ渡さなければならない。
医師だけが請求書を持ち、女性には安心だけを配るのなら、女性は自分の治療の所有者ではない。
古い婦人科は我慢を命じ、新しい婦人科は安心を命じる
今回の引用欄に並んだ「知らなかった」は、女性が愚かだから生まれたのではない。
長期服用者に必要な情報が、診療の中で十分に配られてこなかった可能性を示している。
それを見てもなお、
「低用量は安全です」
「怖がらせないでください」
「心配なら主治医へ相談を」
だけで閉じるなら、また女性の声が置き去りになる。
問われているのは、ジエノゲストを使うか、使わないかではない。
使う女性を、薬を受け取る客体として扱うのか、自分の身体の長期収支を理解し、選択し、引き受ける主体として扱うのか。
昔の婦人科は、女性へ我慢を命じた。
新しい婦人科は、女性へ安心を命じる。
言葉は優しくなった。
治療の選択肢も増えた。
しかし、女性の代わりに医師が情報の温度を決める構造は、まだ残っている。
女性を守るとは、何も知らないまま安心させることではない。
体を楽にする選択肢を渡し、その治療の収支と、請求書の管理方法まで渡すことだ。
「いい薬だから、怖がらないで」
では足りない。
「いい薬です。あなたの場合は、こう使い、こう見守り、ここで見直します」
そこまで言って、初めて女性は自分の治療の主体になれる。

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