「からだの性」は、なぜジンジャーブレッドの股間に置かれたのか|2022年のLGBT性教育に見る、善意による分類事故

「からだの性」は、なぜジンジャーブレッドの股間に置かれたのか

2022年のLGBT性教育に見る、善意による分類事故

2022年7月4日、国土社から『からだの性 LGBTだけじゃない!わたしの性』という本が発売された。

監修は長谷川奉延、佐々木掌子。

出版社によるシリーズ紹介には、次のように書かれている。

思春期の読者が自分の性を大切にしていけるよう、さまざまな性のありかたを学べるシリーズ。手にとるのが恥ずかしくない大きさやデザインを採用し、学校や友人関係などで生じる具体的な悩みや疑問を丁寧に紹介していきます。

目的は善意である。

LGBTの子どもを孤立させないこと。
性について悩む子どもが、自分だけではないと知ること。
性のあり方は一つではなく、違いを理由に人を傷つけてはいけないと伝えること。

その目的そのものを、私は否定しない。

しかし、善意で作られた教材であっても、分類、因果、身体発達の説明が雑であれば、子どもの理解を助けるどころか、かえって自己理解を混乱させる。

この本には、その危うさがかなり鮮明に現れている。

人間には「4つの性」があるのか

本書では、人の性を理解するための要素として、概ね次のようなものが一枚の図に収められている。

  • からだの性
  • ジェンダー・アイデンティティ
  • 性別表現
  • 性的に好きになる相手
  • 恋愛的に好きになる相手

いわゆるジンジャーブレッド・パーソン型の説明である。

一人の人型の中へ、

  • 身体
  • 自己認識
  • 他者への欲望
  • 恋愛感情
  • 服装や振る舞い

を全部配置する。

見た目には分かりやすい。

しかし、これらは同じ種類の変数ではない。

「からだの性」は身体発達の問題である。

「ジェンダー・アイデンティティ」は、自分をどの性別として捉えるかという自己認識の問題である。

「好きになる相手」は、恋愛指向や性的指向の問題である。

「性別表現」は、服装、髪型、声、仕草、他者への提示、他者からどう見られたいかという社会的行為の問題である。

同じ人間の中に存在するからといって、同じ種類の部品になるわけではない。

冷蔵庫に牛乳、電池、診察券、猫のおもちゃが入っていたとしても、それを「冷蔵庫を構成する4つの食品」とは呼ばない。

種類の違うものを一枚の図へ収納したことで、子どもには「性には4つ、あるいは5つの部品があり、その組み合わせによって本当の自分が決まる」と見えてしまう。

これは性教育というより、自己分類の宿題になりかねない。

身体発達の因果を教える前に、「あなたの性を探そう」が始まる

私が思春期に教わった性教育は、かなり理科的だった。

思春期になると、視床下部、脳下垂体、卵巣などを通じてホルモン系が働き始める。

そのために乳房が発達し、体毛が生え、排卵や月経が始まる。

月経では、子宮内膜が周期的に変化し、妊娠が成立しなければ出血として排出される。

まず身体で何が起きているかを理解し、次に、その変化へどう対処するかを教わった。

月経が始まったら、ナプキンやタンポンを使う。
タンポンを使えば水泳もできる。
毛が生えてくるのは思春期の身体変化であり、異常ではない。
痛みや出血が強い場合には、医療へ相談する。

つまり、

仕組みを知る
変化を予測する
ケア方法を知る

という順番だった。

私はこの順番によって、思春期の身体変化を「私は何者なのか」という存在問題ではなく、身体に起きる現象として受け取ることができた。

現在、不正出血が起きても同じである。

器質性なのか、機能性なのか。
子宮内膜はどうなっているのか。
ミレーナによって内膜が薄くなっているなら、どこから出血しているのか。
毛細血管が脆くなっている可能性はあるか。

まず身体で何が起きているかを考える。

身体に人格や物語を要求しない。

ところが、「人には複数の性があります」「あなたの性について考えてみましょう」から始まる教育では、因果とケアの前に自己探索が起動する。

胸が大きくなった。
月経が始まった。
毛が生えた。

そのとき子どもが先に問わされるのが、

これは私のからだの性なのか
こころの性と一致しているのか
私は本当は何者なのか

であるなら、身体変化は管理できる現象ではなく、自己存在を揺らす材料になる。

感受性が強く、物事を深く考える子どもほど、終わらない自己分析へ巻き込まれる可能性がある。

「からだの性は性器だけではない」と言いながら、図では股間に置く

本書の目次には、

からだの性=外性器、だけじゃない!?

という項目がある。

さらに身体の性には、

  • 外性器
  • 内性器
  • 性腺
  • 染色体
  • ホルモン

など、複数の要素があると説明している。

ここまでは分かる。

ところが、ジンジャーブレッド・パーソンの図では、「からだの性」を示す表示が股間付近に置かれている。

文章では、

身体の性は性器だけではない

と説明しながら、視覚情報では、

身体の性はパンツの中にある

と教えている。

子ども向け教材では、文章より図の印象が強く残ることもある。

多層性を説明したいなら、脳、胸、腹部、生殖器、全身など、身体発達に関係する複数箇所を示す方法もあったはずである。

それを股間の一地点へ収納したなら、少なくとも図は本文の説明と矛盾している。

2022年、女性は「股間で性別を判断するな」と辱められていた

この本が発売された2022年は、女子トイレなどの女性空間をめぐり、激しい議論が続いていた時期でもある。

女性が、

女子トイレへ男性に見える人が入ってくると不安になる

と語ると、一部のトランス活動家やアライから、

壁の向こうにいる人の股関節の間ばかり考えているのか
性別を股間で判断しているのか
他人の性器に執着している

と辱められることがあった。

私は2017年頃から2024年頃まで、この言説を継続的に観測している。(2024年以降は、アライやトランスパーソン、活動家がブルースカイやマストドンに移動していったので、これらの言説がなくなったわけではないが、まばらになった)

女性が身体特徴を手がかりに性別を認識し、不安を感じたこと自体が、差別的な心の持ち方として矯正対象にされた。

ところが同じ2022年、子ども向け性教育教材では、「からだの性」がジンジャーブレッドの股間へ置かれていた。

つまり同じ時代に、

女性が身体から性別を認識することは差別的である

という言説と、

身体の性はここです

と股間を指し示す教材が、同時に存在していた。

女性が認識すると差別。
教材が図示すると教育。

これは時代差ではない。

同時代の、同じ善意圏内部にある矛盾である。

身体の性はスペクトラムなのか、パンツの中身なのか

本書では、身体の性を構成する要素にはさまざまな組み合わせがあり、スペクトラムとして理解できると説明される。

しかし「スペクトラム」という言葉にも注意が必要である。

身体を構成する性関連形質に個人差や発達上の変異があることと、人間の性全体が一本の連続した定規に並ぶことは同じではない。

染色体、性腺、内外性器、ホルモン、二次性徴には、それぞれ異なる仕組みと発達経路がある。

複数の変数があるなら、一本のグラデーションへまとめるより、まず別々の変数として教えた方がよい。

ところが本書は、

身体の性は複数要素からなる
身体の性はスペクトラムである
からだの性はジンジャーブレッドの股間にある

という説明を同時に行っている。

多層モデルなのか。
一本の連続体なのか。
外性器を代表値とするのか。

教材内でも、分類方法が安定していない。

人間は魚類ではない

本書には、カクレクマノミなど、成長や群れの状態によって性を変える生物が紹介されている。

生物界に多様な性決定や生殖戦略が存在することを教えるのは面白い。

しかし、魚類の性転換と、人間の胎児期の性分化や思春期の二次性徴は、別の仕組みである。

人間は哺乳類であり、卵生ではない。
種も、生殖様式も、性決定や発達の仕組みも異なる。

したがって、

魚には性転換する種類がいる
だから人間の性も自由で多様である

という印象上の橋を架けるべきではない。

教えるなら、

生物によって性の仕組みは異なります。
魚にはこういう仕組みがあります。
人間には人間の身体発達があります。

と分ければよい。

比較生物学を、多様性思想の比喩として使用すると、子どもは「人間の身体も魚のように性転換するのか」と誤解する可能性がある。

善意のために生物学を借りるなら、なおさら機序を分けなければならない。

「表現する性」も、一つの性ではない

性別表現も、教材では一つの要素として扱われる。

しかし、

  • 男性的な服が好き
  • 男性に見られたい
  • 男性として扱われたい
  • 男性らしく見せたい
  • 男性へ向けて魅力的に見せたい
  • 社会的役割として男性的に振る舞う

は、同じではない。

「男性に見られたい」と「男性に見せたい」は違う。

前者は他者からの分類や社会的承認に関係する。
後者は演出、提示、欲望、対人関係に関係することがある。

単にズボンや短髪が好きな子どもへ、「あなたの表現する性は男性寄りです」と説明すれば、服装の好みを性別の手がかりへ変えてしまう。

それは性役割からの解放ではなく、むしろ新しい性役割判定にもなりうる。

「好きになる性」も、性別ではない

誰に恋愛感情や性的欲望を抱くかは、性別そのものではなく、性的指向や恋愛指向である。

さらに、人が惹かれる対象も単純ではない。

性別カテゴリーへ惹かれることもある。
顔、声、体格、乳房、髭、筋肉、匂いなど、二次性徴へ惹かれることもある。
人格や関係性を中心に惹かれる人もいる。

したがって、「好きになる性」という表現では、

自分の性別
相手の性別
相手の性徴
恋愛感情
性的欲望

が混ざってしまう。

これも、独立したテーマとして一つずつ教えればよい。

なぜ、全部をジンジャーブレッドへ突っ込まなければならないのか。

善意による圧縮事故

この教材の問題は、LGBTの子どもを守ろうとしたことではない。

  • 身体発達
  • ジェンダー・アイデンティティ
  • 性別表現
  • 恋愛指向
  • 性的指向

という別種類の概念を、「性の多様性」という一袋へ圧縮したことにある。

圧縮したことで、一枚の図で説明できるようになった。

その代わり、因果、機序、変数の違いが失われた。

善意は、ときに悪意より修正しにくい。

教材の分類を批判すると、

LGBT教育に反対なのか
多様性を否定するのか
子どもを傷つけたいのか

と受け取られる可能性があるからだ。

そのため、雑さに気づいた人も黙る。

あるいは、善意の教材なのだから正しいのだろうと、「人には4つの性がある」という新しい学説を、そのまま受け入れる。

こうして、仮説的で不安定な分類が、学校教育を通じて基本知識へ変わっていく。

多様性教育と、理科教育を対立させる必要はない

本来は、もっと単純に教えられる。

身体の発達

人間の身体には、主に男性型と女性型の発達経路がある。
思春期になると、ホルモンの働きによって二次性徴が起きる。
典型とは異なる発達をする人もいる。
身体変化にはケア方法があり、困った時には医療へ相談できる。

自己認識

自分を男性、女性、どちらでもないと感じる人もいる。
性別を強く意識しない人もいる。
自己認識と身体発達は、同じものではない。

性別表現

服装、髪型、振る舞いの好みは人それぞれである。
何を着ても、その人の身体や人格の価値は変わらない。
服装の好みだけで、性別や性的指向を決める必要はない。

恋愛指向と性的指向

誰を好きになるか、誰に性的に惹かれるかは人によって異なる。
恋愛感情と性的欲望が一致しない人もいる。

これらを別々に教えたうえで、

どのような身体、自己認識、表現、惹かれ方であっても、いじめたり辱めたりしてはいけません

と伝えればよい。

分類を正確にすることは、差別ではない。

違うものを違うまま教え、その違いによって人を傷つけてはいけないと伝える方が、むしろ壊れにくい。

子どもに「あなたは何者か」と問う前に

思春期の子どもには、まず自分の身体に何が起きるかを知る権利がある。

胸が発達する理由。
月経が起きる仕組み。
声が変わる理由。
体毛が生える理由。
性欲や身体感覚が変化する理由。
どうケアするか。
どんな時に受診するか。

それを教えずに、

あなたの性はどこにありますか
からだの性、こころの性、表現する性、好きになる性を考えてみましょう

と始めることは、身体教育を自己存在の探索へ置き換える。

身体を理解する前に、自己像を探させる。

それによって助かる子どももいるかもしれない。
しかし、因果と仕組みを必要とする子どもを、かえって不安定にする可能性もある。

多様性教育が守るべきなのは、強いジェンダー・アイデンティティを持つ子どもだけではない。

性別をほとんど内面化しない子ども。
身体変化を理科として理解したい子ども。
服装の好みを性別判定へ利用されたくない子ども。
自分が何者かを急いで決めたくない子ども。

そうした子どもも、多様性の中に含まれる。

善意を守るために、善意を監査する

『からだの性』は、子どもを守ろうとして作られた本である。

だからこそ、分類の雑さ、生物学的説明の飛躍、図と本文の矛盾を、差別批判によって封じてはいけない。

LGBT教育に反対する必要はない。

ただし、

身体は身体として教える
自己認識は自己認識として教える
表現は表現として教える
指向は指向として教える
魚類と哺乳類は分ける

それだけは必要である。

善意によって作られた教材が、善意によって監査不能になった時、理論の不整合は子どもの頭の中へそのまま入っていく。

2022年、日本では女性が身体から性別を認識することを辱められる一方、子ども向け教材では「からだの性」がジンジャーブレッドの股間へ配置されていた。

性は身体ではない。
性は身体でもある。
身体の性は複数要素である。
身体の性はスペクトラムである。
しかし図では、身体の性はパンツの中にある。

善意が目的に合わせて「性」の定義を揺らし続ければ、教育を受ける子どもは、その揺れごと引き受けることになる。

人間は魚類ではない。
恋愛指向は身体発達ではない。
服装の好みは性別ではない。
身体の仕組みを知ることは、多様性の否定ではない。

子どもを守るための教育なら、まず子どもへ、絡まっていない配管図を渡してほしい。

資料情報

書名
『からだの性』

シリーズ名
『LGBTだけじゃない!わたしの性』

監修
長谷川奉延
佐々木掌子

出版社
国土社

発売日
2022年7月4日

ISBN
978-4-337-22002-7

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