選べるだけでは、身体は取り戻せない|2026年、フェミニズムは医療監査をどこへ置いてきたのか

選べるだけでは、身体は取り戻せない

2026年、フェミニズムは医療監査をどこへ置いてきたのか

最近、ジエノゲストというホルモン剤が社会でどのように語られているかを調べていた。

血栓症のリスクがある低用量ピルに代わり、月経痛を強く抑え、定期的な出血も起こさず、思春期から閉経まで使える薬として紹介する婦人科サイトがある。

月経は我慢しなくてよい。

薬で月経を止めることは、不自然で恐ろしいことではない。

そのことを女性へ伝えるのは大切である。

しかし、そこから、

月経のない人生は快適です。
ジエノゲストは女性の人生を軽やかにする第一選択です。

という物語へ進むと、私は少し立ち止まる。

低用量ピルが「薔薇色のライフデザインドラッグ」と呼ばれていた頃から、女性向けホルモン剤が社会でどう売られ、何が語られ、何が語られなかったかを見てきたからである。

そして、もう一つ気になることがある。

かつて女性解放運動が担当していたはずの、女性の身体に対する医療監査が、近年のフェミニズムの目立つ言説から薄くなっていないだろうか。

これは、2026年時点での私の観察である。

これは「近年のフェミニズム全体」への断罪ではない

最初に範囲を限定しておきたい。

現在も、薬害、月経、妊娠、出産、中絶、不妊治療、医療格差を追っている研究者や活動家はいる。

女性の身体を扱う医療について、地道に情報を集めている人もいる。

したがって、

現代のフェミニズムは、女性の身体にまったく関心がない。

と一般化するつもりはない。

私が見ているのは、SNS、メディア、政策提言などで可視性の高いフェミニズム言説の重心である。

その重心が、

  • 表象
  • 言葉
  • アイデンティティ
  • 承認
  • 差別防止
  • 社会制度上の選択肢

へ大きく移る一方で、長期的な身体介入の監査が相対的に見えにくくなっている。

そこに私は、少しため息をついている。

リブが医療から取り戻そうとしたもの

女性解放運動は、単に、

男性医師ではなく、女性自身が決めるべきだ。

と主張しただけではなかった。

そもそも女性は、自分の身体について知らなくてよいとされていた。

月経、妊娠、避妊、中絶、出産、性器、性的快楽について、詳しいことは医師が知っていればよい。

女性は医師の指示に従えばよい。

男性や夫や家族が、女性の身体を管理してくれる。

その状態から脱却するために、女性たちは互いの経験を集めた。

自分の身体の構造を学んだ。

医療者に何をされるのかを調べた。

薬の効果と副作用を知ろうとした。

異常だと言われた自分たちの感覚へ、言葉を与えた。

解放とは、選択肢の数を増やすだけではなかった。

自分の身体で何が起きているかを知り、医療者と話し、自分で判断できるところまで身体知を取り戻すこと。

それが重要だった。

日本のリブには、理念が身体を追い越す部分もあったと思う。

それでも、医療という権威へ、

女性本人へ説明したのか。
その治療は誰の利益なのか。
被害を女性の体質や我慢不足で片づけていないか。

と問い続ける回路はあった。

「選択肢が増えた」と「選べる」は同じではない

近年は、

選択肢が増えた。
本人が希望した。
だから身体主権が実現した。

という短い回路が使われることがある。

しかし、メニューが増えただけでは、人は選べない。

薬を選ぶには、

  • どこに作用するのか
  • どの効果が期待できるのか
  • どの副作用があるのか
  • 何がまだ分かっていないのか
  • 何年分のデータがあるのか
  • 何を定期的に検査するのか
  • どの条件で中止や変更を考えるのか

を知る必要がある。

痛みが強いとき、不安が強いとき、受験や仕事を休めないとき、人は完全に自由な状態で選択するわけではない。

医師と患者のあいだには、知識と権威の差もある。

親、学校、職場、費用、通院可能性も選択へ入る。

だから身体主権とは、

好きな薬を選び、同意書へ署名すること

ではない。

情報と支援を受け、利益と負担を理解し、条件が変われば選び直せる状態にいること。

である。

選択肢を増やすだけなら、市場にもできる。

フェミニズムが担ってきたのは、その選択肢の奥にある権力、身体負担、沈黙まで監査する仕事だったはずである。

「産ませる支配」には敏感で、「止めて働かせる力」には鈍い

現在のフェミニズムは、女性の身体を国家や社会が利用して、

  • 子どもを産ませる
  • 中絶を制限する
  • 妊娠可能性を家族や国家へ奉仕させる
  • 母親役割へ固定する

ことには強く反応する。

これは必要な監査である。

しかし一方で、

  • 月経を止める
  • 排卵やホルモン変動を抑える
  • 月経痛やPMSを減らす
  • 身体の周期を社会の時間割へ合わせる
  • 長期的にホルモン剤で身体を調整する

ことについては、

月経から解放されるのは素晴らしい。
女性が働きやすくなる。
選択肢が増えるのはよいことだ。

と、監査が早々に終了することがある。

しかし、

女性を産む装置として利用すること

だけでなく、

女性の身体周期を薬で調整し、休まず稼働できる身体へすること

も、社会的な監査対象になりうる。

薬を使うことが悪いのではない。

私自身、低用量ピル、ミニピル、ノアルテン、ミレーナなど、複数のホルモン剤を使ってきた。

月経痛や過多月経を我慢するべきだとも思わない。

ただし、痛みが消えた利益を学校や職場も受け取りながら、出血、通院、検査、骨密度、長期的不確実性を本人だけが引き受けるなら、その分配は見なければならない。

利益は近く、身体の請求書は遠い。

女性の身体を産ませる方向に使う場合だけでなく、止め、抑え、調整する場合にも、その請求書は存在する。

ホルモン剤は長期使用になりやすい

女性向けホルモン剤には、独特の条件がある。

月経、排卵、妊娠、産褥、閉経は、一度きりの出来事ではない。

何十年にわたって反復する。

そのため薬も、

  • 数か月ではなく数年間使われる
  • 思春期から閉経まで複数の薬を渡り歩く
  • 効果はすぐ生活へ現れる
  • 累積的な負担は遠い将来に現れる可能性がある
  • 処方した医師が老年期まで追跡するとは限らない

という特徴を持つ。

HPO軸は、薬を入れれば一つの症状だけが都合よく消える装置ではない。

視床下部、下垂体、卵巣、子宮内膜、骨、代謝、血管、受容体臓器が、互いに反応する。

カスのピタゴラスイッチである。

そのため、痛みを止めるという近い効果だけでなく、年齢、投与量、期間、体格、栄養、併用薬、個体差を含めた長期観察が必要になる。

女性の身体はドリーミングではない。

「自分らしい人生」「軽やかな毎日」という物語を読んで反応するのではなく、投与された物質と時間へ反応する。

トランス医療を「善」にした瞬間、監査が止まっていないか

ここで、さらに複雑な問題がある。

トランスジェンダーの人が、差別されず、必要な医療へアクセスできることは大切である。

性別違和や身体への苦痛を軽減する医療を、最初から悪と決めつけるべきではない。

しかし、

トランスジェンダーのホルモン治療は善である。
治療への疑問や監査は、差別へ加担する。

という回路になれば、医療として危うい。

肯定的な医療と、無監査の医療は違う。

ホルモン治療である以上、

  • 心身への利益
  • 血栓や心血管系への影響
  • 骨量
  • 代謝
  • 性腺や生殖器官の状態
  • 妊孕性
  • 投与量
  • 治療開始年齢
  • 長期使用
  • 中止や中断時の変化

を観察する必要がある。

これはトランスジェンダーの人を否定することではない。

むしろ、治療を受ける本人を守るために必要な仕事である。

医療アクセスを守るためにリスクを語らないのであれば、本人は医療の主体ではなく、政治的な物語の材料になる。

それは、かつて女性が男性医師の管理下へ置かれた構造と、それほど遠くない。

社会的尊重と、医学的に同じ身体であることは別である

「トランス女性は女性である」という言葉は、社会的な尊重、差別防止、生活上の扱いについて使われることがある。

しかし、それを、

トランス女性と、典型的な女性の性発達をたどった身体には、医学的な差が何もない。

という意味に広げることはできない。

どの性腺があるか。

どの生殖器官があるか。

どのような思春期を経たか。

どのホルモンを自分の身体で分泌しているか。

どの薬を、何歳から、何年間使ったか。

必要な検査や疾患リスクは、身体履歴によって異なる。

これは優劣ではなく、医療情報である。

社会的な尊厳を守ることと、身体履歴を正確に記録することは両立する。

むしろ両立させなければ、どの身体にどの治療が行われ、何が起きたのかを集計できなくなる。

そのとき最も不利益を受けるのは、治療を受ける当事者である。

「性別はグラデーション」という言葉が監査変数を溶かすとき

性発達には、染色体、性腺、内外生殖器、ホルモン、二次性徴など、複数の層がある。

典型から外れる発達も存在する。

社会的な性表現やジェンダー・アイデンティティにも多様性がある。

しかし、それらを一本の「性別のグラデーション」へ溶かすと、

  • 卵巣があるか
  • 精巣があるか
  • 子宮があるか
  • どの思春期を経験したか
  • どのホルモンを投与したか
  • どの臓器を検査する必要があるか

という医療上の変数が見えなくなる。

尊重のために使われたL2の言葉が、L1の薬剤監視を壊してしまう。

複雑性を守るとは、すべてを曖昧にすることではない。

違う層を分けて保存することである。

なぜ監査が薄くなったのか

これはまだ仮説であり、さらに観察が必要である。

ただ、いくつかの要因は考えられる。

1.アクセス制限への警戒

ホルモン治療のリスクを語れば、薬を禁止したい勢力に利用されるかもしれない。

その恐れから、アクセスを守る側が副作用や不確実性を語りにくくなる。

2.善悪の物語に入りやすい

医療アクセスは善。

治療を疑問視する者は悪。

この図式は分かりやすい。

しかし、医療は善悪ではなく、利益、負担、適応、個体差、経過観察で動く。

3.身体監査は地味で遅い

言葉や表象の問題は、その場で反応できる。

一方、骨量、血栓、代謝、妊孕性、長期使用の影響は、何年も追跡しなければならない。

運動やSNSの時間軸と、身体の時間軸が合わない。

4.市場と「選択」の言葉が接続しやすい

商品や医療サービスを増やすことは、自己決定の拡大として宣伝できる。

企業の「選べます」と、フェミニズムの「選ばせろ」が接続すると、その選択肢を誰がどう売り、何を隠しているかという監査が抜けることがある。

5.女性身体の集団分類が語りにくくなった

女性の身体を集団として語ることが、排除や差別と結びつけられやすくなると、女性特有の薬剤影響を集計し、追跡するための言語まで弱くなる。

しかし集団分類なしに、薬害や医療格差を発見することは難しい。

取り戻すべきなのは、薬を拒否するフェミニズムではない

必要なのは、昔へ戻り、女性は自然な月経を守るべきだと主張することではない。

月経を止めてもよい。

ホルモン剤を使ってもよい。

トランスジェンダーの人も必要な医療を受けられるべきである。

選択肢は増えてよい。

ただし、すべての身体介入について、

誰が利益を受けるのか。
誰が長期的な負担を引き受けるのか。
何が分かっていて、何が分かっていないのか。
合わなかった人はどこへ消えたのか。
何年後まで誰が追跡するのか。
本人は途中でやめ、変更し、選び直せるのか。

を問う。

それが、身体を取り戻すということだったはずである。

選択肢を増やすだけなら、市場にもできる。

夢を売るだけなら、製薬営業にも医療広告にもできる。

フェミニズム固有の役割は、その夢の背後で、身体から何が差し引かれているかを監査することではなかったか。

Human HPOは、語られたことと語られなかったことを保存する

私はHuman HPOを、正解を並べる教科書として作ったのではない。

その時代に、

  • どの薬が希望として語られたか
  • どんな言葉が流行したか
  • どのリスクが小さく扱われたか
  • 何が患者へ説明されなかったか
  • 事故後に誰が沈黙したか
  • どの身体が統計から消えたか

を放り込んでおく倉庫として作っている。

低用量ピルを飲み始めた時代から、私はホルモン剤が女性の人生へ何をもたらし、社会がそれをどう語るかを見てきた。

だから、新しい薬を見て急に怖がっているのではない。

同じ薬ではなくても、同じような夢の配管が再び組まれていないかを確認している。

そして、かつて女性の身体を医療支配から取り戻そうとしたフェミニズムが、その監査に興味を失っているように見えるとき、私は少しため息をつく。

そこは、あなたたちが最も執拗に見張っていた場所ではなかったか。

女性の身体は、理念でも、アイデンティティでも、広告文でもない。

時間を持ち、臓器を持ち、薬へ反応し、老いていく。

女性の身体はドリーミングではない。

だから、選択肢が増えたその先で、身体に何が起きているかを見続けなければならない。

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