2014〜2021年型ポリコレ・フルデッキを振り返る
- 左派・リベラル・アカデミアがTwitterでブイブイしていた時代
- 1.2014〜2021年型ポリコレ・フルデッキ
- 2.反発側の語彙は、なぜ少なかったのか
- 3.rurikoと多摩湖は、どこにいたのか
- 4.フェミ界隈からアンチフェミ扱いされ、アンチフェミ側からも殴られる
- 5.なぜ多摩湖は、部落女性だと名乗らなかったのか
- 6.在日コリアンをめぐる反レイシズムと、部落の不可視性
- 7.文化交流は、政治より先に壁を壊した
- 8.「アンチフェミ」という分類は、何を消したのか
- 9.意図ではなく影響でしたよね
- 10.「学びました」ではなく、何を調べるのか
- 11.2014〜2021年のTwitterは、なぜあれほど濃かったのか
- 12.これは懐古ではなく、歴史監査である
- 結び
左派・リベラル・アカデミアがTwitterでブイブイしていた時代
rurikoと多摩湖は、なぜフェミニズムとアンチフェミの両方から殴られたのか
2014年から2021年ごろまでのTwitterには、独特の言論空間があった。
アカデミアの言葉。
左派運動の言葉。
リベラルの言葉。
フェミニズムの言葉。
英語圏から輸入された反差別語彙。
それらが、研究会や論文のなかだけでなく、日常の口論、炎上、告発、説教、断罪、連帯、学び直しの呼びかけにまで降りてきた。
当時のTwitterでは、毎年のように新しい言葉が現れた。
トーンポリシング。
ガスライティング。
シーライオニング。
マンスプレイニング。
マイクロアグレッション。
インターセクショナリティ。
ポジショナリティ。
マジョリティ特権。
権力勾配。
当事者性。
不可視化。
周縁化。
構造的差別。
認識的不正義。
説明責任。
応答責任。
アンラーン。
アップデート。
沈黙は加担。
中立は強者を利する。
意図ではなく影響。
「そんなつもりはなかった」は免責にならない。
指摘された側は防衛的になるな。
まず聞け。
当事者に教育労働を要求するな。
怒りの表現を審査するな。
被害者に礼儀を求めるな。
マイノリティは、お願いや感謝をしなくてよい。
この時代のTwitterには、いわば巨大なポリコレ・カードゲームがあった。
カードには、それぞれ効能が書かれていた。
トーンポリシング
相手の内容ではなく口調を問題にした時、発動。
ガスライティング
相手の認識や経験を疑わせた時、発動。
マジョリティ特権
自分には見えない構造的優位を自覚しない時、発動。
シーライオニング
誠実な議論を装いながら、執拗に証拠と説明を求め続ける時、発動。
意図ではなく影響
悪意はなかったという弁明を無効化する。
沈黙は加担
傍観者を責任主体へ引きずり出す。
当時のTwitterは、これらの言葉が猛烈な速度で流通する場所だった。
研究者が使う。
活動家が使う。
フェミニストが使う。
一般ユーザーが覚える。
一週間後には、喧嘩の最中に全員が使っている。
誤用もあった。
乱用もあった。
しかし、それだけ大量の語彙が同時に流通したという事実そのものが、当時の言論空間で、左派・リベラル・フェミニズム・アカデミア由来の言葉が、強い可視性と権威を持っていたことを示している。
反発側にも語彙はあった。
ポリコレ棒。
ツイフェミ。
フェミナチ。
お気持ち。
言葉狩り。
キャンセルカルチャー。
表現規制。
被害者ビジネス。
差別利権。
男性差別。
ミサンドリー。
反日。
学者様。
しかし、語彙の数と精度は明らかに非対称だった。
反発側の言葉は、多くの場合、相手をひとまとめにして嘲笑する短いラベルだった。
一方、左派・リベラル・フェミニズム側には、
- 会話の進め方
- 誰が話すか
- 誰が説明を求められるか
- 誰の感情が尊重されるか
- 誰の無知が特権として扱われるか
- 誰が沈黙した時に責任を負うか
- 誰が歴史へ記録されるか
- 誰が知識を生産するか
まで細かく裁く語彙が大量にあった。
つまり、当時のTwitterでブイブイ言わせていたのは、単に人数の多い陣営ではない。
世界をどう読み、誰をどう裁くかを決める言葉を、多く持った陣営
だった。
1.2014〜2021年型ポリコレ・フルデッキ
この時代の語彙を、いくつかの棚へ分けてみる。
会話や反論の作法を裁くカード
- トーンポリシング
- シーライオニング
- ガスライティング
- マンスプレイニング
- ディレイリング
- Whataboutism
- ゴールポストを動かす
- ストローマン
- 論点ずらし
- 冷笑
- 揚げ足取り
- お気持ち扱い
- 無知を装った質問攻め
- マイノリティへ証明責任を押しつける
- 当事者へ教育労働を要求する
この棚の言葉は、相手の主張内容だけでなく、
どのような態度で話しているか。
誰に説明責任を押しつけているか。
誰の時間と労力を消費しているか。
を問題にした。
それまで、議論の形だけが中立であるかのように扱われてきたところへ、
誰が質問する側で、誰が説明させられる側なのか。
という権力差を持ち込んだ。
有用な批判だった。
同時に、内容へ答えず、
その質問はシーライオニングです。
その反論はトーンポリシングです。
と、議論そのものを停止する札にもなった。
怒りや感情を守るカード
- 被害者の怒りを審査するな
- マイノリティに穏やかさを求めるな
- 被害者へ礼儀を要求するな
- 加害者の居心地を優先するな
- 対話を被害者へ強制するな
- 和解を被害者へ強制するな
- 説明しない権利
- 距離を取る権利
- ブロックする権利
- 境界線
- バウンダリー
- セルフケア
- 感情労働
これは、それまで「感情的」「ヒステリック」「言い方が悪い」と処理されてきた女性やマイノリティの発言を守るための語彙だった。
怒りは、非合理性の証拠ではない。
被害を受けた側が、加害者の理解力に合わせて穏やかに説明する義務もない。
その認識は重要だった。
しかし同時に、
自分の怒りは構造的に正当である。
相手の反論はトーンポリシングである。
という、自己防御用の無敵札として使われることもあった。
特権と位置性を問うカード
- マジョリティ特権
- 男性特権
- 白人特権
- シス特権
- 異性愛者特権
- 健常者特権
- 日本人特権
- 学歴特権
- 階級特権
- 権力勾配
- ポジショナリティ
- 立場性
- スタンドポイント
- 当事者性
- lived experience
- エスニシティ
- インターセクショナリティ
- 複合差別
- 多重差別
- 周縁化
- 不可視化
この棚では、
一つの軸で弱者であっても、別の軸では多数者になりうる。
と教えられた。
女性であっても、白人女性は人種的特権を持つ。
女性であっても、健常者、高学歴者、異性愛者、シスジェンダー、日本国籍者には、別の場面で相対的な優位がある。
ならば当然、
部落外女性であり、高学歴であり、大学や研究機関へ所属する女性には、学歴のない部落女性に対して相対的な特権がある。
という自己適用も可能になる。
この理論は、他人へ使う時だけ有効で、自分へ返された時には無効になるのだろうか。
それが、今問われている。
差別の見えにくさを扱うカード
- マイクロアグレッション
- アンコンシャス・バイアス
- 無意識の偏見
- 善意の差別
- 悪意のない差別
- ステレオタイプ
- ラベリング
- 他者化
- エキゾチック化
- トークン化
- 表象の暴力
- 語りの収奪
- 経験の搾取
- 研究対象化の暴力
- performative allyship
- 見せかけの連帯
ここでは、
悪意がなかった。
差別するつもりはなかった。
属性を知らなかった。
という説明では免責されないと教えられた。
ならば、
部落女性だと知らなかったから、部落女性を批判したことにはならない。
という弁明も、そのままでは成立しない。
知らなかったこと。
名乗らなければ当事者として認識されなかったこと。
部落女性の権利要求が、部落女性の声として保存されなかったこと。
それ自体が、分析対象になる。
連帯と傍観者責任のカード
- 沈黙は加担
- 中立は強者を利する
- 傍観者も構造の一部
- 非当事者も無関係ではない
- アライ
- allyship
- マイクを渡す
- 当事者の声を増幅する
- 特権を使って介入する
- 声を奪わず後ろに立つ
- 説明責任
- 応答責任
- 加害性の自覚
- 学び直し
- アップデート
- アンラーン
このカード群も、今後自己適用されなければならない。
フェミニズムを名乗る人々が、緊急避妊薬の市販薬化に反対し、条件を増やし、女を教育してから薬を渡せと主張していた時。
それを止めなかった者は、傍観者ではなかったのか。
沈黙は加担ではなかったのか。
相対的な特権を持つ研究者や運動家は、なぜ介入しなかったのか。
答えは、当時の言葉で問うことができる。
知識生産と記録を問うカード
- 認識的不正義
- 証言的不正義
- 解釈的不正義
- 誰が語るのか
- 誰が語られるのか
- 当事者不在
- Nothing about us without us
- アーカイブの沈黙
- 誰が記録されるか
- 誰の声が史料になるか
- 正史
- カノン
- カウンター・ナラティブ
- 声なき声
- 沈黙させられた声
- 代表する暴力
- 代弁の危険
- 研究倫理
- インフォームド・コンセント
- 成果還元
- 採取的研究
この棚が、現在の部落女性史の問いへ直結する。
部落女性は、なぜ女性史に書かれなかったのか。
部落女性がいなかったのではなく、記録装置が部落女性として数えなかったのではないか。
名乗らなかった女性は、存在しなかったことにされたのではないか。
2014〜2021年型ポリコレ・フルデッキは、こうした問いを可能にする語彙を、すでに持っていた。
だから今、それを返す。
2.反発側の語彙は、なぜ少なかったのか
反ポリコレ、反フェミニズム、表現の自由派にも語彙はあった。
- ポリコレ棒
- ツイフェミ
- フェミナチ
- お気持ち
- 表現規制
- 言葉狩り
- キャンセルカルチャー
- 被害者ビジネス
- 男性差別
- ミサンドリー
- 反日
- 差別利権
- 学者様
- 女性様
しかし、これらは多くの場合、
相手は過剰だ。
相手は感情的だ。
相手は権力を振りかざしている。
相手は被害者性を利用している。
という反発を、短いラベルへ圧縮したものだった。
左派・リベラル・フェミニズム側のように、
- 会話の非対称
- 知識生産
- 説明責任
- 感情労働
- 当事者性
- 権力構造
- 無意識の偏見
- 記録の不在
- 研究倫理
まで細分化された語彙は、少なかった。
この非対称は重要である。
言葉が多い側は、世界を細かく分類できる。
分類できる側は、相手へ名前を付けられる。
名前を付けられる側は、議論のルールを作れる。
当時のTwitterでは、左派・リベラル・フェミニズム・アカデミア由来の語彙が、明らかにその力を持っていた。
だからこそ、
アンチフェミ
という一語の分類が、本人の発言内容よりも強く働いた。
3.rurikoと多摩湖は、どこにいたのか
rurikoさんと多摩湖は、単純なフェミニズム対アンチフェミニズムの二項対立には収まらなかった。
二人が求めていたのは、女性の権利だった。
緊急避妊薬へアクセスする権利。
知る権利。
表現する権利。
性的な情報へ触れる権利。
女性自身が、欲望や表現を選ぶ権利。
だから、
表現の自由は、女性の権利である。
と考えていた。
表現規制は、女性を守るためのものとして語られる。
しかし規制は同時に、
- 女性が性について知る権利
- 女性が欲望を言語化する権利
- 女性が性的表現を作る権利
- 女性が多様な表現へ触れる権利
- 女性が男性と同じ情報環境へアクセスする権利
を奪いうる。
女性を危険な表現から遠ざける。
女性を性的情報から守る。
女性へ適切な表現だけを見せる。
この発想は、一見、女性保護に見える。
しかし同時に、
女性は何を見てよいか、自分で判断できない。
女性は性的表現に影響されやすい。
女性の性欲は保護と管理の対象である。
という古い女性観を温存する。
多摩湖は、この点でラディカル・フェミニズムと衝突した。
女性の性欲の発露を、どう考えるのか。
女性が性的表現を好む可能性は、どこへ置くのか。
女性が描き、書き、読み、欲望する権利は、なぜ保護主義の外へ追い出されるのか。
この問いは、単にオタク文化を守る話ではない。
女性の知る権利と表現の自由を、女性の権利として考える話だった。
rurikoさんと多摩湖は、緊急避妊薬の市販薬化でも、同じ構造を見ていた。
女を正しく教育してから、薬を渡す。
避妊行動を改善してから、アクセスを認める。
依存や乱用を恐れて、選択肢を制限する。
これも女性保護の顔をしている。
しかし実際には、
正しい女にならなければ、権利を使えない。
という条件付き権利である。
表現規制も、薬へのアクセス制限も、根は同じだった。
女性を守るために、女性の選択肢を減らす。
rurikoさんと多摩湖は、その構造へ抵抗した。
4.フェミ界隈からアンチフェミ扱いされ、アンチフェミ側からも殴られる
多摩湖の位置は、かなり奇妙だった。
フェミニズム界隈からは、
アンチフェミ。
表現の自由派。
オタク側。
女性の権利を弱める者。
として扱われた。
一方、アンチフェミや表現の自由派の一部からは、
話が通じるフェミニスト。
女性差別を問題にしつつ表現の自由も守る人。
フェミニズムと対話できる窓口。
として受け入れられた。
さらに、本物のアンチフェミからは、
- 女性差別を問題にする
- 緊急避妊薬の市販薬化を求める
- フェミニズムを完全否定しない
- 男性中心の表現の自由論にも乗らない
ため、粘着や攻撃を受けた。
フェミニズム側からはデマを流され、厚生労働省へ薬機法違反であるかのように通報されたこともあった。
本物のアンチフェミ側からも、執拗な粘着やデマがあった。
つまり、
- フェミニズム純化派からは裏切り者
- 反フェミニズム純化派からは敵
- 表現の自由派からは交渉可能なフェミニスト
- アンチフェミ寄りの女性からは陳情窓口
- 緊急避妊薬運動では制度実装を急ぐ者
という、複数の位置を同時に引き受けていた。
これは「中立」ではない。
単に両陣営の真ん中にいたのでもない。
表現の自由も女性の権利である。
緊急避妊薬へのアクセスも女性の権利である。
女性を守るという理由で、女性の選択肢を奪うな。
という、一貫した権利論があった。
しかし陣営化したTwitterでは、内容より所属が先に読まれる。
だから、
フェミニズムを批判したからアンチフェミ。
表現規制に反対したからオタク側。
女性差別を問題にしたからツイフェミ。
男性中心の反フェミ言説に乗らないから裏切り者。
となる。
分類できない者は、複数の陣営から殴られる。
5.なぜ多摩湖は、部落女性だと名乗らなかったのか
多摩湖は当時、部落女性だと名乗っていなかった。
それは、自分の出自を恥じていたからではない。
部落女性であることを脱ぎ捨てていたからでもない。
単純に、名乗ることのメリットがほとんどなく、デメリットの方が大きかった。
フェミニズム側には、部落問題との配管がないか、あっても薄すぎた。
部落女性だと名乗っても、
それなら部落女性の声として聞きましょう。
部落女性の権利要求として扱いましょう。
となる期待は、ほとんど持てなかった。
一方、アンチフェミ側の一部には、
- 部落特権
- 同和利権
- 生活保護
- ナマポ
- 逆差別
という雑な差別語彙があった。
部落出身と名乗れば、攻撃材料を追加する可能性が高かった。
すでにフェミニズム側からも、本物のアンチフェミ側からも粘着されていた。
そこへ部落という属性を出しても、守りのカードにはならない。
防御力は増えず、攻撃面だけが増える。
それなら、
言わんとこ。
となる。
これは自己否定ではない。
当時の言論環境に対する、合理的な判断だった。
部落という属性は、当時のTwitterにおいて、ポリコレカードとして十分に機能していなかった。
在日コリアンであること、外国人であること、性的少数者であることなど、可視化されつつあった属性には、攻撃と同時に、カウンター言論や連帯の配管もあった。
しかし部落には、その配管が薄かった。
名乗っても、主語として拾われにくい。
だが、差別の材料にはなりうる。
その非対称のなかで、多摩湖は名乗らなかった。
名乗らなかったことは、部落女性ではなかったことを意味しない。
名乗らなかったことは、当時の空間で名乗ることが割に合わなかったことを意味する。
6.在日コリアンをめぐる反レイシズムと、部落の不可視性
同じ時代、在日コリアンをめぐるレイシズムは、非常に可視的だった。
在特会などが街頭で暴れ、嫌韓デモや怒鳴り込みを行った。
在日コリアンの人々や、コリアンタウンは、決して守られていたわけではない。
むしろ、直接的に攻撃されていた。
その現場へ対応したのが、しばき隊をはじめとするカウンターだった。
しばき隊は、きれいな存在ではなかった。
暴れた。
衝突した。
問題も起こした。
しかし同時に、
誰も来なかった現場へ、最初に来た。
という側面もあった。
彼らが大きく動いたからこそ、カウンターへ人が集まり、レイシズムへのプロテストへ向かう人が増えた。
後から、
正しい反差別運動だった。
間違った過激派だった。
のどちらか一色へ塗ると、当時の現実が消える。
必要なのは、
- 暴力的だった
- 問題があった
- それでも誰も来なかった現場へ来た
- カウンターを可視化した
- 人々をプロテストへ動かした
という複数の事実を同時に持つことである。
部落差別も、在特会の攻撃に被弾していた。
水平社博物館への突撃もあった。
しかし少なくとも、多摩湖が見ていたTwitter言論では、部落問題が反レイシズム言説の中心的な主語として、在日コリアンほど太く扱われていた感覚はなかった。
在日コリアンをめぐる反レイシズムには、
- ヘイトスピーチ
- レイシズム
- 在特会
- カウンター
- 街宣
- コリアンタウン
- 在日差別
という可視的な配管があった。
部落差別には、
- 同和利権
- 部落特権
- 身元調査
- 地名晒し
- 生活保護
という攻撃語彙はあっても、守りや連帯の配管は薄かった。
そのため、
部落だと名乗れば、反レイシズムの主語として守られる。
という感覚より、
部落だと名乗れば、差別材料だけ増える。
という感覚の方が強かった。
7.文化交流は、政治より先に壁を壊した
同じ時代、もう一つの変化が起きていた。
ヨン様の時代を越え、若い世代が、
- 韓国の音楽
- 韓国のアーティスト
- コスメ
- ファッション
- 映画
- ドラマ
- 食文化
を通じて、嫌韓の垣根を越え始めた。
反レイシズム運動が街頭でヘイトと戦っていた一方で、若者たちは別のルートから壁を壊した。
差別をやめよう。
と説得されたからではない。
好きだから。
かっこいいから。
欲しいから。
聞きたいから。
見たいから。
で越えた。
政治より先に、欲望と文化が境界を踏み越えた。
在日コリアンの年配の友人が、
韓国人なの?羨ましい!韓国人になりたいんです!
と若者から言われ、たいそう驚いたことがあった。
かつてなら、隠す理由になった属性が、文化的憧れの対象へ反転した。
友人は、
そんな日が来るなんて、嬉しかった。
とこぼした。
その言葉を聞いたことは、私にも嬉しかった。
もちろん、それで在日差別が消えたわけではない。
嫌韓も、レイシズムも残った。
それでも、社会の感情配線が変わり始めた瞬間ではあった。
在日コリアンの場合、韓国という国家、言語、音楽、食、芸能、コスメがあり、
韓国人であること
へ新しい肯定的意味が流れ込んだ。
属性が、新しい文化的価値を得ながら可視化された。
一方、部落には、それに相当する巨大な外向きの文化産業がない。
部落差別の弱まりは、
部落文化が人気になった。
部落アイデンティティが格好よくなった。
という形では進まなかった。
部落という区別そのものが、だんだん社会的意味を失う。
という形で進んだ。
在日コリアンは、文化的価値を得ながら可視化された。
部落は、社会的効力を失いながら不可視化された。
どちらにも差別の弱まりはある。
しかし、終わり方が違う。
8.「アンチフェミ」という分類は、何を消したのか
多摩湖をアンチフェミと分類した時、消えたものがある。
- 緊急避妊薬の市販薬化を求めていたこと
- 女性の身体的自己決定を求めていたこと
- 女性の知る権利を守ろうとしていたこと
- 女性の性欲と表現の自由を論じていたこと
- 女性を保護する名目で権利を制限する政治を批判していたこと
- 当事者からの相談を受けていたこと
- フェミニズムとアンチフェミの両方の言説を観測していたこと
つまり、
アンチフェミ
という札は、本人が行っていた女性運動を見えなくした。
そして後年、その人物が部落女性だったと分かる。
すると、消えていたものはさらに増える。
- 部落女性が緊急避妊薬の市販薬化を求めていた
- 部落女性が表現の自由を女性の権利として論じていた
- 部落女性がフェミニズム内部の保護主義を批判していた
- 部落女性が女性の性欲と知る権利を語っていた
これらが、部落女性史にも女性運動史にも記録されなかった。
部落女性が発言していなかったのではない。
発言者が部落女性だと知られず、しかもアンチフェミという別の棚へ送られたため、部落女性の政治的実践として保存されなかった。
これが、名乗らなかった部落女性が歴史から消える仕組みである。
9.意図ではなく影響でしたよね
当時のポリコレ語彙を、ここで返すことができる。
私たちは、部落女性を批判したわけではない。
はい。
部落女性だと知らなかったのでしょう。
しかし、
意図ではなく影響を見る
のではなかったか。
知らなかったこと自体が、マジョリティの無知という特権
ではなかったか。
名乗らない当事者を、存在しないものとして扱うことは、不可視化
ではなかったか。
相手をアンチフェミと分類し、その権利要求を聞かなかったことは、証言的不正義
ではなかったか。
フェミニズム内部で緊急避妊薬へのアクセスを妨げる言説が流通していた時、沈黙は加担
ではなかったか。
高学歴で、研究機関や出版回路を持つ女性には、学歴のない部落女性に対する相対的な特権
があるのではないか。
難しいことを言っているわけではない。
当時、他人へ向けて配られていたカードを、発行元へ返しているだけである。
10.「学びました」ではなく、何を調べるのか
ここで欲しいのは、傷の承認だけではない。
つらい思いをさせてしまいました。
当事者の声を大切にします。
今後は交差性を意識します。
それだけでは足りない。
必要なのは、
- 当時の緊急避妊薬市販薬化をめぐるログ
- フェミニズム側の反応
- 市販薬化へ反対・慎重論を示した論拠
- 誰が推進し、誰が沈黙したか
- 表現の自由と女性の権利をめぐる論争
- 多摩湖がどのようにアンチフェミと分類されたか
- その分類によって、どの発言が歴史から落ちたか
- なぜ部落女性だと名乗ることが、当時の空間では合理的でなかったのか
- 在日コリアンをめぐる反レイシズムと、部落差別をめぐる配管の太さにどんな差があったか
を調べること。
さらに、
名乗らなかった部落女性が、すでに女性運動をしていた。
という主語を、後から歴史へ戻すこと。
これは自己顕彰ではない。
記録の欠落を修正する作業である。
11.2014〜2021年のTwitterは、なぜあれほど濃かったのか
当時のTwitterは、複数の言論圏が同じ場所へ押し込められていた。
- 大学教員
- 研究者
- ライター
- 活動家
- フェミニスト
- オタク
- 表現の自由派
- 右派
- 左派
- 医療者
- 当事者
- 一般ユーザー
全員が、ほぼ同じタイムライン上で言葉を奪い合っていた。
新しい概念が広がる。
誤用される。
反発される。
ミームになる。
数日後には、敵味方とも同じ語を使う。
この混線によって、Twitterは巨大な言論実験場になった。
そして、そこで最も多くの語彙を供給したのが、左派・リベラル・フェミニズム・アカデミアだった。
だから、彼らの言葉は強かった。
同時に、その言葉で他人を裁いた履歴も残った。
今、その履歴を、当時の語彙で検証する時が来ている。
12.これは懐古ではなく、歴史監査である
トーンポリシング。
シーライオニング。
ガスライティング。
マジョリティ特権。
権力勾配。
意図ではなく影響。
沈黙は加担。
アンラーン。
アップデート。
今読むと、少し時代劇のように見える言葉もある。
しかし、これらは単なる流行語ではなかった。
人を裁いた。
人を分類した。
人を黙らせた。
人を救った。
人へ言葉を与えた。
そして時には、具体的な権利要求を、正しさの審査へ変えた。
だから、この語彙を懐かしむだけでは足りない。
誰が誰へ使ったのか。
その結果、何が見え、何が消えたのか。
その理論は、自分たち自身へ適用されたのか。
を問う必要がある。
結び
当時配られたカードは、まだ有効ですか
rurikoさんと多摩湖は、表現の自由を女性の権利として考えた。
緊急避妊薬へのアクセスを、女性の権利として求めた。
女性を守るという理由で、女性の選択肢を減らすなと訴えた。
そのため、ラディカル・フェミニズムと衝突した。
フェミニズム界隈からアンチフェミと呼ばれた。
アンチフェミ側からも攻撃された。
表現の自由派からは、話の通じるフェミニストとして受け入れられた。
その複雑な位置は、単純な陣営史から落ちた。
さらに、多摩湖は当時、部落女性と名乗っていなかった。
名乗ることで守られる配管がなかった。
フェミニズム側には、部落問題との接続が薄かった。
アンチフェミ側では、部落特権、同和利権、生活保護といった差別語彙へ接続される危険があった。
すでに両側から粘着されている空間で、部落女性だと名乗ることは、権利要求を通す助けにはならず、攻撃材料を増やす可能性の方が高かった。
だから名乗らなかった。
それは自己否定ではない。
合理的な生存戦略だった。
同じ時代、在日コリアンへのレイシズムは可視化され、カウンター言論も太くなった。
しばき隊は暴れ、問題を起こし、それでも誰も来なかった現場へ最初に来た。
若者たちは政治とは別の場所で、韓国の音楽、コスメ、映像、食文化を通じて、嫌韓の境界を越え始めた。
在日コリアンであることは、新しい文化的意味を得ながら可視化された。
部落であることは、社会的な効力を失いながら不可視化された。
その差もまた、2010年代日本の反差別言論史として記録されるべきである。
今、その人物が、当時の言葉を返している。
トーンポリシングはしませんよね。
シーライオニングはしませんよね。
ガスライティングするつもりではないですよね。
マジョリティ特権を自覚してください。
意図ではなく影響を見てください。
沈黙は加担でしたよね。
当事者に教育労働を要求せず、まず自分で調べるんでしたよね。
難しいことは、何も言っていない。
なぜ、部落女性のことが書かれていないのか。** *なぜ、そこにいた部落女性を、部落女性として認識できなかったのか。* *なぜ、彼女の権利要求を、アンチフェミという棚へ送ったのか。* **なぜ、部落女性と名乗ることが、当時の言論空間では合理的でなかったのか。
調べてほしい。
当時配られたカードは、まだ有効だろうか。
有効なら、今度は発行元が使う番である。

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