女に権力を持たせれば、女は解放されるのか?

『一妻多夫の淫らな世界で』から考える、母権社会と生殖の逃げられない非対称性

『一妻多夫の淫らな世界で』というティーンズラブ小説を読んだ。

タイトルだけ見ると、いかにも「たくさんの美男子から愛される逆ハーレムもの」である。

実際、その期待にはちゃんと応えてくれる。

女性が極端に少ない異世界で、女性は複数の夫を持ち、夫たちは妻を大切にし、家事をし、妻の衣服まで整え、性生活についても教育を受ける。

女性は希少である。

だから大切にされる。

夫たちから愛され、尽くされ、守られる。

ところが私は読みながら、だんだん別のところを掘り始めてしまった。

いつものことである。

🪼「この社会、かなり面白いな」

と思ってツルハシを振るってみたら、逆ハーレムの床下から、妊孕性と人口再生産という巨大な岩盤が出てきた。

そして私は考え始めた。

女に権力を持たせれば、女は生殖から解放されるのだろうか?

どうやら、そう簡単な話ではない。

『一妻多夫の淫らな世界で』は、意外なほど社会設定が細かい

この作品の世界では、男女比が大きく偏っている。

男性に対して女性が極端に少ない。

そのため、一人の女性が複数の男性を夫として持つ一妻多夫制が社会制度として成立している。

ここで面白いのは、単に、

「女が少ないぞ! だからイケメンがいっぱい寄ってくるぞ!」

では終わっていないことだ。

女性の希少性は、婚姻制度、家制度、労働、教育、性生活、相続など、社会のあちこちへ影響している。

作中では、妻と複数の夫によって家庭が構成される。

女性は家を継ぐ側であり、男性は妻の家へ入る。

場合によっては兄弟がまとめて一人の女性の夫となる。

男性側からすれば、女性の家へ夫として迎えられること自体が重要な社会的ポジションになる。

そして夫たちは、妻を「共有する男たち」というだけではない。

家政を担い、妻を支え、妻にふさわしい夫となるための教育を受ける。

妻のドレスを仕立てる技能まで要求される描写がある。

性生活についても、女性を満足させることが夫の教養として扱われている。

つまりこれは、単純な男女逆転ではない。

「女性が希少である」という人口条件から、男性の社会的役割そのものが再編されている。

私はここがかなり面白かった。

しかも、女性が少ないのに乳幼児死亡率まで高い

さらに、この世界は魔法が存在するにもかかわらず、どうやら乳幼児死亡率を十分に下げられていない。

ここが妙にシビアである。

女性が希少なら、当然ながら女児はものすごく大切になる。

ようやく生まれた女児が成人する前に死亡してしまえば、女家そのものの存続に関わる。

作中でも、娘が誘拐されかける。

これも設定を考えれば当然なのだ。

希少な女性は、単なる「可愛い女の子」ではない。

次世代を産める存在であり、家を継ぐ存在であり、婚姻ネットワークの中心となる存在でもある。

女児そのものが巨大な社会資本になる。

だから女性には権力がある。

財産もある。

夫を選ぶ力もある。

複数の夫から大切にされる。

ここだけを見るなら、強烈な女性優位社会である。

では、女性は解放されたのだろうか。

私はここでツルハシを入れてしまった。

女を権力者にしても、「産む個体」は女のままである

仮にこの世界で、一人の女性に5人の夫がいるとする。

夫たちは優秀だ。

一人は家政が得意。

一人は乳幼児の世話が得意。

一人は外で稼ぐ。

一人は家業を管理する。

一人は護衛や対外交渉を担当する。

妻は家の主人であり、財産についても大きな決裁権を持つ。

夫たちは妻を尊重する。

暴力も振るわない。

妻の意思を無視して性交を要求することもない。

家事も育児も「女の仕事」とはされない。

かなり徹底して、現代フェミニズムが批判してきた男女の権力勾配を逆転させてみる。

ところが、最後まで夫たちに移管できない仕事が一つ残る。

妊娠である。

そして出産である。

ここだけは、夫を5人にしても10人にしても代替できない。

これがHuman HPO的には猛烈に面白い。

一人の女性が一年に産める子どもの数は、夫の人数では増えない

男性が5人いれば、理論上は同時期に複数の女性を妊娠させられる。

しかし女性一人に夫を5人配置しても、その女性の妊娠期間が5分の1になるわけではない。

妊娠には時間が必要である。

出産したら産褥がある。

身体の回復が必要になる。

授乳する場合には、さらに母体へエネルギー需要がかかる。

次の妊娠へ進むにも、身体状態を考えなければならない。

だから男余り社会で、

女性一人+夫5人

という家族を作ったところで、生殖能力そのものは五倍にはならない。

むしろ夫5人は、

女性にしかできない仕事以外を5人で引き受けるための人的インフラ

になっていく。

ここで逆ハーレムの意味が変わる。

「5人のイケメンから愛される女性」

であると同時に、

「一人しかいない生殖担当者を5人の成人で支える家政システム」

でもある。

途端に夢がなくなってくる。

だが、社会制度としては猛烈に面白くなる。

女児が生まれなかったら、誰が女主人に「もう一人産め」と命令するのか

もっと嫌なところまで考えてみよう。

ある女主人が結婚した。

第一子。

男児。

第二子。

男児。

第三子。

男児。

第四子。

また男児。

夫たちは誰も妻を強制していない。

母親も父親たちも、

「あなたの身体が一番大切よ」

と言ってくれる。

法律上も、女性には完全な生殖自己決定権がある。

では、これで出産圧は消えるだろうか。

消えない可能性がある。

女主人自身が家系図を見るからだ。

自分が産まなければ、この家を継ぐ娘がいない。

そして次の妊娠で女児が生まれる保証もない。

第五子を産んでも男児かもしれない。

女児が生まれても、乳幼児期を生き延びる保証もない。

ここまで来ると、女主人を圧迫している主体が見つからない。

夫ではない。

父親でもない。

母親でもない。

宗教でもない。

国家でもない。

確率である。

そして、

人間の生殖システムそのものである。

これは非常に嫌な岩盤だ。

抑圧者を消しても、生殖確率は消えない

女性解放を考えるとき、私たちはしばしば「誰が女性を抑圧しているのか」を探す。

男性。

夫。

父。

家父長制。

宗教。

国家。

社会規範。

もちろん、それらによる抑圧は存在する。

だから取り除けばいい。

しかし、すべて取り除いた世界を作ってみても、問題が残ることがある。

妊娠には時間がかかる。

身体は疲労する。

出産にはリスクがある。

加齢によって妊孕性は変化する。

希望した性別の子どもが生まれるとは限らない。

子どもが成人するまで生存するとも限らない。

そして人間社会は、次世代が生まれなければ縮小する。

ここには悪人がいない。

人間が哺乳類であることそのものが制約になっている。

だから私は、女性の生殖を考えるときに、何でも「男女の権力勾配」だけで説明することに違和感がある。

権力勾配を反転させても、身体負荷は反転しないからだ。

女性が希少なら、むしろ「早く産め」ではなく「身体を壊すな」になる

ここからは作品そのものの設定を足場に、私がさらにシミュレーションした部分である。

この世界ほど女性が希少なら、名門女家は娘をかなり慎重に育てるのではないか。

初経が来た。

では結婚してすぐ妊娠。

とは、むしろならない可能性がある。

希少女児の身体を若年妊娠で壊してしまうことは、家にとって巨大な損失だからだ。

だから、

婚姻可能年齢と推奨初産年齢が分離する。

16歳、17歳頃から女主人としての教育を受ける。

しかし妊娠は18歳以降を推奨する。

年齢だけではない。

十分な成長があるか。

栄養状態はよいか。

貧血はないか。

月経周期はどうか。

日常生活に耐えられる体力があるか。

病気はないか。

そうしたものを確認してから妊娠へ進む。

女児は幼少期から、

よく食べる。

よく眠る。

よく身体を動かす。

極端に痩せない。

病気を放置しない。

十分な栄養を与えられる。

つまりこの社会では、

「健康な女性の身体を作ること」が家の資本形成になる。

美しく痩せた娘より、

よく食べ、よく眠り、丈夫に育った娘の方が名門女家の誇りになるかもしれない。

女性に権力を持たせたら、女性の身体の商品化が消えると思ったら、

別の方向から女性の身体が猛烈に資本化されてしまった。

また、しょっぱい。

「大切にされること」と「資本として保護されること」が重なってしまう

そして、この世界で一番面白いのはここだと思う。

女児は本当に大切にされる。

父親たちは娘を愛している。

母親も娘を愛している。

最高の食事を与える。

教育を与える。

身体を守る。

危険な場所へ一人では行かせない。

良い夫を選ぶ。

妊娠したら夫たちが身の回りを支える。

出産したら徹底的に休ませる。

全部、本当の愛情であっていい。

ところが同時に、

娘が希少な生殖資本だから大切にすることにも合理性がある。

この二つが分離できなくなる。

「私だから愛されている」

と、

「女家を継ぐ女性だから大切にされている」

が重なる。

これは、単純な「女性差別」とも「女性優遇」とも言いにくい。

権力者である。

しかし身体には社会的期待が集中する。

選択権がある。

しかし自分自身も家の存続を望んでいる。

誰にも強制されていない。

しかし女児が生まれなければ家は途絶える。

自由と負荷が同じ人物に同居する。

私はこの構造がとても面白い。

権力勾配と身体負荷は、同じ軸ではない

この思考実験から見えてくるのは、ここだ。

女性が財産を持てば、妊娠負荷が消えるわけではない。

女性が夫を選べても、出産負荷は消えない。

女性が性的決定権を持っても、妊孕性の時間制約は消えない。

男性が家事をすべて担っても、妊娠そのものを男性へ移管できるわけではない。

つまり、

社会的権力と生殖上の身体負荷は別の変数である。

ここを同じ一本の「男女の権力勾配」で説明しようとすると、どうしても取りこぼすものが出る。

だから私は、

「女に権力を渡せば解放される」

にも、

「男のミソジニーをなくせば解放される」

にも、完全には乗れない。

どちらも必要な局面はある。

しかし、それだけでは生殖システムそのものには届かない。

では、女性を生殖負荷から解放してきたものは何だったのか

ここまで掘ると、別のものが見えてくる。

科学技術である。

避妊技術によって、性交と妊娠をある程度分離できるようになった。

産科医療によって、妊娠出産による死亡や重篤な合併症を減らしてきた。

人工栄養によって、乳児の栄養を母乳だけに依存しなくてもよくなった。

家電やインフラによって、家庭内労働の身体負荷が減った。

保育制度によって、養育を母親一人から外部へ移せる。

生殖補助医療によって、性交と受精さえ分離できるようになった。

将来、人工子宮が十分に実用化されるなら、妊娠そのものまで女性の身体から部分的あるいは大幅に切り離せる可能性がある。

ここまで来て初めて、

女性解放は思想革命である以前に、あるいは思想革命と並行して、インフラ革命でもあったのではないか

という問いが出てくる。

女性を尊重する思想だけでは、妊娠期間は短くならない。

夫が完全にミソジニーを克服しても、妻の妊娠を代われない。

しかし科学技術は、人間の身体条件そのものへ介入できる。

これは思想にはできない仕事である。

家父長制を批判するなら、「何を処理していた制度なのか」まで掘りたい

ここで私は、家父長制を正しいと言いたいわけではない。

むしろ逆である。

本当に家父長制を乗り越えたいなら、家父長制が何を処理していたのかまで理解しなければならないと思っている。

生殖。

子どもの所属。

相続。

財産。

扶養。

養育。

老後。

親族ネットワーク。

労働力。

これらを家父長制がどう束ねてきたのか。

そして、その制度を解体するとき、束ねられていた機能をどこへ移すのか。

「男が女を支配する悪い制度だった」

だけでは、代替制度は設計できない。

悪い制度にも、何らかの処理機能があることがある。

制度の加害性を認めることと、制度の機能を分析することは両立する。

床板が腐っているなら剥がせばいい。

しかし、その床下に水道管が通っていたなら、

床板と一緒に配管まで捨ててはいけない。

女性の解放とは、いったい何なのだろう

『一妻多夫の淫らな世界で』は、もちろんティーンズラブである。

複数の夫から愛される。

大切にされる。

性的にも満たされる。

女性優位の世界で、女性が中心となって家庭を築く。

そういう楽しさを持った物語だ。

でも、その世界設定を真面目に回してみると、とても面白い問いが出てきた。

女性を権力者にする。

財産を女性へ渡す。

夫を複数持たせる。

男性に家事をさせる。

女性の性的自由を保障する。

女性に生殖自己決定権を与える。

そこまでやっても、

妊娠する身体は女性の身体だった。

すると最後に残る問いは、

「誰が女性を抑圧しているのか」

だけではなくなる。

人間の生殖という仕組みそのものと、どう付き合うのか。

そこまで降りて初めて、「女性の解放」という言葉を私は考えられる気がする。

男を悪人にして終わるのでもない。

女を権力者にして終わるのでもない。

母権制を理想郷にするのでもない。

家父長制を自然だから仕方ないと肯定するのでもない。

私はただ、ツルハシを持っている。

🪼⛏️

「女性の解放って、なんだぁ?」

そう言いながら掘っている。

そして今のところ、地中から出てきているのは、理想社会ではなく、

妊孕性、胎盤、産褥、授乳、乳児死亡率、相続、家政、夫5人。

なんとも人間くさい地層である。

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