女性が希少な社会では、「大切にされること」と「身体を管理されること」は分離できるのか
『一妻多夫の淫らな世界で』というティーンズラブ小説を読みながら、私は女性が極端に少ない社会について考えている。
この世界では、一人の女性が複数の夫を持つ。
女性は家の中心であり、男性が女性の家へ入る。
女児は希少である。
だから大切にされる。
夫たちは妻を支え、家事をし、身の回りを整える。女性を守ることも男性たちの重要な仕事になる。
ここまでなら、
「男女の権力関係を逆転させた女性優位社会」
として読むことができる。
しかし私は、ここからさらに人口条件を動かしてみた。
仮に女児が、男児5人あるいは6人に対して1人程度しか生まれないとする。
そして科学技術はまだ十分に発達していない。
人工子宮はない。
出生前に子の性別を選べない。
安全な生殖補助医療もない。
妊娠・出産は、今まで通り一人の女性の身体で行われる。
この条件で母系社会を長期間維持しようとすると、女児の意味が変わってくる。
女児は、単なる「大切な娘」ではなくなる。
家の継承者である。
財産の継承者である。
複数の男性を婚姻によって家へ接続する者である。
そして何より、
次世代の女児を産む可能性を持つ、希少な身体である。
ここまで来ると、女性が権力を持つ社会なのに、奇妙なことが起きる。
女性の身体の商品価値が、むしろ今より露骨になる。
女児一人が生まれるまで、母は何人産むのか
男女比が1対1程度なら、家に女児が一人もいないことは珍しくないにしても、それだけで社会全体が危機に陥るわけではない。
しかし女性が極端に少ない社会では事情が違う。
仮に男女の出生比が、
女1:男5
だったとする。
女家に7人の子どもが生まれた。
男児6人。
女児1人。
この家は、
「賭けに勝った」
と言っていい。
ようやく次代の女主人がいる。
母親は七回妊娠・出産した。
その結果として、次世代へ家を接続できる一人の娘を得た。
そうなると、その娘に対する家の扱いは、兄弟たちとは大きく違うはずである。
兄弟たちも大切な子どもである。
しかし男児は多い。
婚姻できる男性には限りがある。
優秀なら別の女家へ夫として迎えられるかもしれない。
家政能力、教養、職能、容姿などを磨き、「良い夫」としての価値を高める教育が行われるだろう。
しかし全員が婚姻できるとは限らない。
一方、娘は違う。
娘がいなくなれば、家そのものが終わる。
ここで男女の子育てに投入される資本量が、大きく分かれ始める。
「娘にはたくさん食べさせなさい」という社会
この世界の女児教育を考えていると、私はかなりHuman HPO的なところへ入ってしまう。
もし娘が将来、複数回の妊娠・出産を担うことを社会全体が予測しているなら、
痩せた女児を作ることに価値がなくなる可能性がある。
むしろ逆である。
よく食べる。
よく眠る。
十分なタンパク質と脂質を取る。
身体を動かす。
筋力をつける。
骨を育てる。
病気を放置しない。
月経が始まったら、その周期を観察する。
極端な体重減少を避ける。
身体が成熟するまで妊娠を急がせない。
そういう文化が成立しても不思議ではない。
なぜなら、
娘の身体を壊すことが、そのまま女家の資本を毀損することになるからだ。
現代社会では、若い女性の身体へ「細いこと」「小さいこと」「華奢であること」といった美的価値が載ることがある。
しかしこの母権社会では、
「そんなに痩せてどうする」
となるかもしれない。
娘が食事を残したら、
「もっと食べなさい」
と言われる。
夜更かしをすれば、
「寝なさい」
と言われる。
無理な運動や食事制限を始めれば、家族全員が止める。
父が5人もいるなら、5人から言われる。
鬱陶しい。
非常に鬱陶しい。
しかし全員、本気で娘を大切にしている。
初経は「妊娠可能になった日」ではなく、身体監視の開始になるかもしれない
ここは重要である。
科学技術が十分に発達していない社会なら、
初経=すぐに妊娠させる
という文化になるようにも思える。
女性が少ないのだから、一刻も早く産んでもらいたい。
しかし、本当に合理的だろうか。
希少な女児を早すぎる妊娠・出産によって傷つければ、その後の生殖可能性まで損なうかもしれない。
一回の出産を早く得るより、身体を十分成熟させ、その後に複数回の妊娠・出産へ耐えられる方が、家にとっては合理的である。
そうすると初経の意味も変わる。
「女になった。さあ嫁へ行け」
ではなく、
「HPO軸が動き始めた。ここから数年間、身体を育てながら観察する」
になるかもしれない。
月経周期が安定しているか。
栄養状態はどうか。
貧血はないか。
成長は続いているか。
身体能力はどうか。
慢性的な疾患はないか。
もちろん前近代社会なら、現代医学のようにHPO軸という概念を持っているわけではない。
しかし経験則として、
「初経が来たこと」と、
「安全に何度も妊娠・出産できる身体になったこと」
が同じではない、と理解する文化は成立しうる。
女家にとって重要なのは、
一度妊娠できる娘ではなく、長期間生殖可能な状態を保てる娘
だからである。
すると早婚と早期妊娠は、むしろ分離する
この世界では、婚姻年齢と初産年齢が一致しない可能性もある。
若いうちに夫候補を迎える。
しばらく一緒に生活する。
家政能力を見る。
性格を見る。
妻への態度を見る。
夫同士の協働能力も見る。
しかし妊娠はまださせない。
女主人としての教育を続ける。
家政を管理する方法。
財産管理。
夫たちの役割分担。
親族間の交渉。
使用人の管理。
子どもの教育。
そして、自分自身の身体管理。
つまりこの社会の名門女児には、
女主人教育と身体教育が並行して行われる。
王侯貴族の後継者教育に、アスリートのコンディショニングが合体したようなものになる。
かなり大変である。
しかし、彼女は社会的には圧倒的な強者でもある。
ここが面白い。
「男腹」という侮蔑が生まれるかもしれない
そして、さらに嫌な文化も生まれる可能性がある。
女児が極端に希少なら、
何人産んでも男児ばかりの女性に対して、
「男腹」
のような言葉が生まれるかもしれない。
もちろん実際の子の性別決定を女性の能力として扱うことに科学的根拠はない。
しかし科学が未発達な社会では、そんなことは分からない。
七人産んで女児が一人いる女性。
三人産んで三人とも女児だった女性。
八人産んで全員男児だった女性。
経験的な結果だけが見える。
すると、
「女児を産める血統」
という概念が作られる可能性がある。
女児を多く産んだ女家は、婚姻市場でさらに価値を上げる。
娘の価値も上がる。
「この家の女性は娘をよく産む」
という評判が立つ。
逆に男児ばかり続く家では、娘本人の権力が高くても、生殖能力への評価が傷つく。
ここでもまた、
女性優位社会なのに、女性の身体評価が猛烈に強い。
そして「不妊の女主人」はどう扱われるのか
さらに厳しい問題がある。
女主人が妊娠しない。
しかし科学が未発達なので、原因が妻にあるのか夫にあるのか分からない。
夫は5人いる。
誰との間にも子ができない。
ではどうするのか。
まず夫を入れ替えるかもしれない。
一人離縁する。
別の男性を迎える。
それでも妊娠しない。
さらに入れ替える。
複数の男性との間で妊娠が成立しなかったところで、
ようやく、
「どうやら女主人側に原因があるらしい」
と推定される。
これは残酷である。
しかし母系社会では、女性の価値が高いからこそ、すぐには女性側の不妊を認めない可能性もある。
まず男性側を疑う。
夫を交換する。
別の夫を試す。
それでも妊娠しない。
ここまでやって初めて、女主人の不妊が認識される。
そして面白いのは、離縁された夫たちである。
彼らは別の女家へ再婚できるかもしれない。
家政能力が高い。
乳児保育経験がある。
他の夫と協働できる。
ならば、
「妊娠には至らなかったが、夫としての職能には問題なし」
として再婚市場へ戻る。
婚姻が猛烈に産業化する。
女児を死なせない男には、高い価値がつく
さらに、乳幼児死亡率が高い社会なら、男性の価値にも面白い変化が起きる。
たとえば寡夫になった男性がいる。
妻との間で何人もの子を育てた。
乳児の扱いに慣れている。
夜泣きにも対応できる。
離乳食も作れる。
病気の兆候を早く見つけられる。
そして何より、
その男性が世話をした女児の生存率が高い。
こういう男は、再婚市場で猛烈に価値が上がるだろう。
「この男が育児を担当した家では、乳児をほとんど死なせていない」
となれば、名門女家が欲しがる。
若く美しい男より、
乳児を死なせない40歳の寡夫
の方が第三夫として高値になる可能性すらある。
しょっぱい。
しかし合理的である。
ここでは男性の身体もまた、
女家を維持するための職能資本
として評価される。
女児は生殖資本。
夫はケア資本。
母系社会だからといって、人間が資本評価から自由になるわけではない。
評価される項目が変わっただけである。
女児誘拐が「家族犯罪」ではなく国家犯罪になる世界
女児がこれほど希少なら、女性の誘拐は極めて重い犯罪になるだろう。
一人の女性を奪うことは、一人の人間を誘拐するだけではない。
一つの女家の継承可能性を奪う。
複数の夫の婚姻基盤を奪う。
将来生まれるはずだった子どもたちまで失わせる。
地域の人口再生産能力にも影響する。
そうなれば国家が女性誘拐集団に対して、非常に強い刑罰を科す社会も想像できる。
女性は徹底的に守られる。
護衛がつく。
一人歩きを止められる。
夜間外出を制限される。
危険な地域へ行かせてもらえない。
ここでまた、奇妙な逆転が起きる。
女性の価値が高すぎるために、女性の自由が減る。
誰も女性を軽蔑していない。
むしろ尊びすぎている。
だから外へ出せない。
これは「女性蔑視」という一本の概念では、かなり説明しにくい。
保護は、自由の反対側へ回り込むことがある
私はここが、この思考実験で特に重要だと思う。
女性の価値を高くすれば、女性は自由になる。
必ずしもそうではない。
価値が高すぎるものは、
守られる。
守られるものは、
管理される。
管理されるものは、
勝手に動かせなくなる。
宝石を大切にするから金庫へ入れるような単純な比喩で女性を物扱いしたいわけではない。
むしろ問題は、人間の場合、
本人の意思と社会が感じる損失リスクが衝突する
ことである。
娘は言う。
「一人で町へ行きたい」
父親たちは言う。
「危険だから駄目だ」
娘は言う。
「私は女主人になるんでしょう。自分で決める」
父親は言う。
「だからこそ駄目なんだ」
ここには、
「女だから劣っている」
という論理がない。
正反対である。
「お前の価値が高すぎるから自由にできない」
なのである。
女性の社会的価値を上げれば女性差別が消える、という単純なモデルでは、この問題を扱えない。
「大切にされる」と「自由である」は同じではない
そしてこれは、母権社会の思考実験だけの話でもないと思う。
人間はしばしば、
大切にすること
と、
自由を与えること
を混同する。
しかし両者は一致しない。
大切だから管理することがある。
愛しているから止めることがある。
失いたくないから選択肢を狭めることがある。
社会的価値が高いから身体へ規律を要求することもある。
だから女性解放を、
「女性の社会的価値を高めること」
だけで定義するのは危険だと思う。
価値を高めた結果、
「あなたは重要な存在なのだから、身体を大切にしなさい」
となり、
そこから、
「痩せてはいけない」
「夜更かししてはいけない」
「危険な場所へ行ってはいけない」
「身体が成熟するまで妊娠してはいけない」
「しかし成熟したら家のために妊娠を考えなさい」
まで、一続きにできてしまうからである。
一つ一つには合理性がある。
一つ一つには善意もある。
そして全部合わせると、
女児の身体には猛烈な社会管理がかかっている。
母権社会でも、身体政治は消えない
ここまでシミュレーションすると、私は一つの結論へたどり着く。
家父長制を母権制へ反転させても、身体政治は消えない。
女性の身体が生殖のボトルネックである限り、その身体には社会的価値が発生する。
価値が発生すれば、
保護される。
投資される。
評価される。
比較される。
管理される。
場合によっては取引される。
つまり、
女性の価値を下げることだけが女性の身体の商品化ではない。
女性の価値を猛烈に上げても、身体の商品化は起こりうる。
むしろ、
「この女性一人が産める子どもの数には限界がある」
という希少性が強くなるほど、身体資本としての価値は高くなる。
これはかなり嫌な結論である。
しかし、私はこういう嫌な結論を埋め戻したくない。
女性の身体を資本から解放するには、何が必要なのか
では、どうすればいいのだろう。
男を教育するだけでは足りない。
女性へ財産を渡すだけでも足りない。
母系相続にしても足りない。
夫を5人にしても足りない。
女主人に完全な決裁権を与えても足りない。
なぜなら最後まで、
次世代を作るために女性の身体を必要としている
からである。
ここまで来ると、また科学技術が見えてくる。
安全な避妊。
安全な妊娠・出産。
人工栄養。
生殖補助医療。
配偶子保存。
そして将来的には人工子宮。
これらは単に便利な医療技術なのではない。
社会が女性の身体そのものへ依存する割合を下げる技術
でもある。
女性が社会的に強くなるだけではなく、
女性の身体を使わなければ次世代を作れないという依存そのものを減らす。
そこまで行って初めて、身体資本としての女性から少しずつ離れられるのかもしれない。
女児を大切にする社会は、女児を自由にする社会なのか
『一妻多夫の淫らな世界で』から始まった思考実験は、ずいぶん遠くまで来てしまった。
女性が希少なら、女性は大切にされる。
家を継ぐ。
財産を持つ。
夫を選ぶ。
複数の夫から支えられる。
しかし、その社会をもう少し長く回してみると、
女児には最高の栄養を与える。
身体を鍛える。
初経後も成熟を待つ。
妊娠出産を見据えて健康を管理する。
護衛をつける。
危険から遠ざける。
良い夫を選ぶ。
乳児を死なせない夫を高く評価する。
そして娘を産める身体が高く評価される。
という社会が見えてくる。
女性は強い。
女性は尊ばれる。
女性は愛される。
そして、
女性の身体は猛烈に社会化されている。
この四つは同時に成立する。
だから私は、
「女性の価値を高めれば女性は解放される」
とも、
「女性が権力を持てば身体政治は終わる」
とも思わない。
むしろ問わなければならないのは、
誰が権力を持っているかだけではなく、社会が誰の身体を必要としているのか。
そこだと思う。
女性が希少な母権社会を作ってみた。
すると女性差別が消える代わりに、
女性の身体が国家級の重要資本になった。
🪼⛏️
またしても、宝箱ではなく配管が出てきた。
女性の解放という地層は、どうやら相当深い。

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