乳児死亡率と粉ミルクから考える、女性解放を可能にしたケア技術
『一妻多夫の淫らな世界で』を読みながら、私は女性が極端に少ない社会について考えている。
この作品では、一人の女性が複数の夫を持つ。
女性は希少であり、家の中心となる。
男性たちは女性の家へ夫として入り、妻を支え、家事を担い、家庭を維持する。
ここまでの思考実験で私は、
女性が希少なら、女児は家の継承者であると同時に、次世代を産む可能性を持つ非常に大きな社会資本になるのではないか、
と考えてきた。
ところが、この作品にはさらにシビアな設定がある。
魔法がある世界なのに、乳幼児死亡を十分に克服できていないらしい。
これが大きい。
なぜなら、生殖とは、
妊娠して、産めば終了
ではないからである。
産んだ子どもを、生かさなければならない。
特に女性が極端に少ない社会なら、
女児を成人まで生かすことそのものが、社会の存続に関わる重大事業になる。
そうなると、この社会で高く評価される「良い夫」の姿も、私たちの社会とはかなり違ってくるはずである。
女児を産んだ。ここからが本番である
ある女主人が何度も妊娠し、ようやく女児を産んだとする。
家中が喜ぶ。
次代の女主人である。
しかし乳児死亡率の高い社会なら、ここで安心することはできない。
感染症。
下痢。
脱水。
栄養不足。
事故。
さまざまな理由で乳児は死亡する。
つまりこの社会において、
女児出生数と、次世代の女性人口は一致しない。
女児を産む。
乳児期を越える。
幼児期を越える。
成長する。
成人する。
そこまで行って初めて、女家は次世代へ接続できる。
すると、妊娠出産と同じくらい、
乳児を死なせない技術
が重要になる。
ここで夫たちの価値が変わってくる。
「乳児を死なせない男」は高級人材になる
この世界では男性が余っている。
ならば単に男性であることには、それほど希少価値がない。
美しい男。
若い男。
性的魅力の高い男。
もちろん、それらにも価値はあるだろう。
しかし女家が夫を何人も持てるなら、五人目、六人目あたりから採用基準が変わってきてもおかしくない。
一人目は家業に強い。
二人目は家政全般。
三人目は外で稼ぐ。
四人目は教養があり、子どもの教育が得意。
では五人目は?
乳児保育の専門家を入れよう。
となるかもしれない。
夜泣きへの対応がうまい。
乳児の体調変化に気づく。
衛生管理ができる。
食事を作れる。
離乳を進められる。
病気の兆候を見逃さない。
母親が産褥で寝ている間も、新生児を安全に扱える。
そして何より、
過去にこの男が育てた子どもの生存率が高い。
これは猛烈な実績になる。
「三人の女児を乳児期から育て、全員成人まで育て上げました」
なんて経歴があれば、
🪼「採用」
である。
顔?
後で見る。
🤣
寡夫が婚姻市場で強くなる奇妙な社会
すると面白い逆転が起こる。
若くて婚姻経験のない男性より、
妻を亡くした40歳の寡夫
の方が婚姻市場で人気になる場合が出てくる。
なぜなら実務経験があるからだ。
妻の妊娠を何度も支えた。
産褥ケアを知っている。
新生児を抱ける。
夜間対応ができる。
乳児の排泄物を見て体調を判断できる。
上の子を世話しながら赤ん坊も見られる。
他の夫との役割分担にも慣れている。
こういう男性なら、女主人側からすると、
即戦力である。
しかも妻を亡くしているなら、彼自身も新しい女家への所属を必要としているかもしれない。
結果として、
「寡夫。42歳。家政経験20年。乳児5人養育。うち女児2人。乳児死亡なし」
みたいな婚姻市場が成立する。
なんだこの職務経歴書は。
しかし、この社会なら極めて合理的である。
離縁された夫にも「乳児保育経験」という資本が残る
同じことは離縁された夫にも起きる。
女主人との相性が悪かった。
他の夫とうまく協働できなかった。
あるいは女主人側の事情で婚姻が解消された。
普通なら、
離縁された男
という経歴は婚姻市場でマイナスになりそうである。
しかし、
「乳児三人を育てた経験があります」
となると話が変わる。
特に女児を無事に育てた経験があるなら強い。
つまり男性にも、
生殖そのものではなく、生殖後のケアによって獲得できる身体資本・職能資本
が発生する。
女性が産む。
男性が生かす。
もちろん実際にはそんな単純な役割分担にはならないが、この方向へ社会的専門化が進むことはあり得る。
ところが、どうしても男へ移管できない仕事がある
夫が五人いる。
全員優秀。
料理できる。
掃除できる。
洗濯できる。
赤ん坊を抱ける。
夜泣き対応できる。
排泄ケアもできる。
上の子たちの面倒も見る。
母親は産後、徹底的に休ませてもらえる。
素晴らしい。
ところが一つだけ、
どうしても男性だけでは完結しないものがある。
授乳である。
もちろん母乳を与えない選択肢が十分に安全な社会なら問題は変わる。
しかし安全で安定した代替乳が存在しない時代なら、乳児の栄養は母乳へ強く依存する。
そこで普通の歴史社会なら、
乳母
という解決策が出てくる。
別の授乳可能な女性に乳児を預ける。
しかし、この一妻多夫社会ではそれが難しい。
なぜなら、
女性そのものが少ない。
女が少ない社会では、乳母まで足りない
ここ、かなり重要だと思う。
女性が人口のごく一部しかいないなら、授乳可能な女性はさらに少ない。
妊娠・出産直後の女性しか乳母になれない。
しかも、その女性自身にも乳児がいる可能性が高い。
さらにこの社会では女性に、
「できれば複数の子を産んでもらいたい」
という人口再生産上の需要まである。
そんな貴重な女性を、
他家の子どもの授乳専従者として長期間拘束できるのか。
かなり難しい。
裕福な女家なら、貧しい女家の女性へ高額を支払って乳母を雇うことはあるかもしれない。
すると乳母の賃金は猛烈に高騰する。
あるいは貧困女性の身体が、富裕女家によって利用されるという新しい階級問題が発生する。
女性優位社会を作ったのに、
授乳可能な女性の身体をめぐる市場
が生まれてしまう。
またしても、しょっぱい。
ここへ「粉ミルク」が登場する
そこで、この世界へ一つだけ技術を投入してみる。
安全な乳児用代替乳。
たったこれだけで、社会構造がかなり変わる。
母親が授乳しなくても乳児を育てられる。
すると、
夫Aが夜の授乳を担当できる。
夫Bが朝を担当できる。
夫Cが昼間を見る。
母親は睡眠を取れる。
母親が病気になっても乳児の栄養供給が止まらない。
母乳分泌が十分でなくても乳児を育てられる。
母親が亡くなっても、授乳可能な別の女性を探さなくていい。
つまり代替乳は単なる食品ではない。
乳児の生命維持を、授乳可能な女性の身体から切り離す技術である。
ここで初めて、男性たちだけでも乳児ケアをかなりの範囲まで完結できるようになる。
これは巨大な変化である。
粉ミルクは「男にも育児ができます」という技術ではない
私はここを少し強く言いたい。
粉ミルクを、
「お父さんも赤ちゃんにミルクをあげられるようになりました」
程度の話にすると、小さすぎる。
もっと根本的には、
乳児の生存に必要だった女性身体への依存を、一部分離した技術
である。
もちろん授乳には栄養供給だけでなく、免疫学的・身体的・心理的な複数の側面がある。
そして母乳育児にも人工栄養にも、それぞれ医学的条件や個別事情がある。
ここで私は母乳と人工栄養の優劣を論じたいのではない。
社会構造として見たい。
安全な代替乳が存在しない社会では、
出産した女性の身体が、その後もしばらく乳児の生命維持装置として必要になる。
代替乳が安定供給される社会では、その結合を弱めることができる。
これは女性の身体時間を社会へ戻す技術でもある。
妊娠・出産・授乳は、ひと続きに見えて全部違う
Human HPOとして見るなら、ここはかなり大切である。
私たちは、
妊娠・出産・育児
を一つの塊として語りがちだ。
しかし身体の仕事として分解すると違う。
受精。
妊娠維持。
出産。
産褥。
授乳。
乳児の保温。
排泄ケア。
食事。
睡眠管理。
病気への対応。
情緒的ケア。
このうち現代でも女性身体にしかできない部分は、実は限定されている。
妊娠は移管できない。
出産も移管できない。
授乳は、母乳そのものなら授乳可能な身体が必要になる。
しかし、
それ以外の大量のケア労働は他者へ移管できる。
そして代替乳があれば、授乳という大きな部分まで移管可能になる。
つまり技術発展とは、
「母親にしかできない仕事」の範囲を少しずつ削ってきた歴史
としても見ることができる。
洗濯機も、冷蔵庫も、上下水道も女性解放技術である
ここから見ると、女性解放史の景色が少し変わる。
避妊具。
経口避妊薬。
産科医療。
抗菌薬。
安全な帝王切開。
乳児用代替乳。
哺乳瓶。
冷蔵技術。
上下水道。
洗濯機。
掃除機。
調理家電。
保育施設。
これらは普通、それぞれ別の歴史として語られる。
しかし一つの軸で並べることもできる。
女性身体と女性時間へ集中していた再生産労働を、技術・男性・市場・公共インフラへ移管する装置。
もちろん、それぞれ成立した時代も目的も違う。
すべてが「女性解放のため」に開発されたわけでもない。
しかし結果として、
女性でなければならない仕事、母親がその場にいなければならない時間
を減らしてきた。
思想が女性に、
「あなたには自由になる権利がある」
と言った。
しかし洗濯物は消えない。
赤ん坊も腹を減らす。
水も必要である。
食事も必要である。
そこで技術が、
「その仕事、別の方法でもできます」
と言った。
この二つが揃って初めて、現実の自由が増える。
「男も育児をしろ」だけでは、歴史的には無理だった仕事がある
これは男性の意識改革を否定する話でもない。
現代社会なら、男性が乳児ケアを担うことは当然可能である。
しかし歴史的条件を変えて考えると、
「男も同じだけ育児をしろ」
だけでは解決できなかった仕事がある。
安全な代替乳がない。
清潔な水がない。
哺乳器具を安全に消毒できない。
冷蔵できない。
乳児感染症への治療法も乏しい。
この条件なら、
母乳を出せる身体そのものが乳児生存の重要なインフラになる。
夫がどれほど善良でも、その身体機能を代替できない。
だからここでも、
「男性の意識が悪かった」
だけでは歴史を説明できない。
逆に技術条件が変われば、
昨日まで「母親にしかできなかった仕事」が、
今日から「誰でもできる仕事」に変わる。
ジェンダー規範を壊す技術的条件が先に整う場合がある。
ここはかなり重要だと思う。
女性解放には「代替可能性」が必要だったのではないか
私は女性解放を考えるとき、
代替可能性
という言葉を置いてみたい。
女性にしかできない仕事が多いほど、女性の身体は社会に拘束される。
他者へ移管できる仕事が増えるほど、女性の選択肢は増える。
妊娠したくない。
避妊技術がある。
母乳を与えられない。
代替乳がある。
子どもを預けたい。
保育がある。
洗濯に一日使いたくない。
洗濯機がある。
食材を毎日調達したくない。
冷蔵庫がある。
水を汲みに行きたくない。
水道がある。
一つ一つは地味である。
しかし全部積み重なると、
女性の一日が変わる。
そして女性の一生が変わる。
これは思想だけでは作れない自由である。
母権社会を作っても、技術がなければ母体から逃げられない
ここで『一妻多夫の淫らな世界で』の思考実験へ戻る。
女主人には5人の夫がいる。
家事は全部やってくれる。
育児もしてくれる。
妻を大切にする。
社会的権力も妻にある。
それでも安全な代替乳が存在しなければ、
産後しばらくの乳児は母親の身体へ接続されたままである。
夫を一人から五人へ増やしても、
乳房は五倍にならない。
ここが、生殖の非対称性の嫌なところである。
しかし代替乳を投入した瞬間、
夫5人という人的資源が初めて最大限に働ける。
夜間授乳を任せられる。
妻は眠れる。
産褥からの回復へ身体資源を回せる。
上の子どもたちの世話も夫へ任せられる。
そして次の妊娠を望むとしても、少なくとも「授乳しているから母親が乳児から長時間離れられない」という拘束は弱くなる。
つまり、
技術が家族内の権力関係を変える。
思想によってではなく、
「その仕事を誰ができるか」
という条件そのものを変更することで。
女性解放史には、思想史だけでなく「配管史」がある
私はフェミニズムの思想史を軽視したいわけではない。
権利を要求した女性たちがいた。
教育を求めた女性たちがいた。
参政権を求めた女性たちがいた。
生殖自己決定権を求めた女性たちがいた。
その闘争は必要だった。
しかし、それと同時に私は、
上下水道が来た。
洗濯機が来た。
冷蔵庫が来た。
安全な代替乳が来た。
避妊技術が来た。
産科医療が改善した。
保育制度ができた。
という歴史も、女性解放史の中へもっと大きく置いていいと思う。
女性の意識だけが変わったのではない。
男性の意識だけが変わったのでもない。
身体を取り巻く物質環境そのものが変わった。
それによって初めて、
「母親でなくてもできる」
「妻でなくてもできる」
「家の外へ出ても大丈夫」
という領域が増えた。
これはHuman HPOから見ると、とても大きい。
社会思想の下には身体がある。
身体の周囲には技術がある。
その技術を支えるインフラがある。
自由は、ときどき理念ではなく、
水道管や哺乳瓶の形をしてやってくる。
女児を生かすことから、女性の自由まで
女性が極端に少ない母権社会を考えた。
そこで女児は希少資本になった。
すると女児を産むだけでは足りなかった。
生かさなければならなかった。
だから乳児を死なせない夫の価値が上がった。
寡夫の育児経験が婚姻市場で資本になった。
離縁された男にも、乳児保育経験という職能が残った。
しかし最後に授乳という、女性身体から剥がしにくい仕事が残った。
そこで代替乳を置いてみた。
すると突然、
男性だけでも乳児ケアをかなり完結できる社会
が見えてきた。
これは単なる便利グッズの話ではない。
女性の身体に接続されていた仕事を、一つ社会へ引き渡したのである。
だから私は、粉ミルクを見るとき、
単なる「母乳の代用品」としてだけではなく、
女性身体と乳児生存を部分的に切り離した文明技術
としても見てみたい。
もちろん、それによって母乳育児の価値が下がるわけではない。
母乳を与えたい女性が与える自由もある。
重要なのは、
それしか方法がないことと、選べることは違う
ということだ。
女性の解放とは、女性を褒めることでもない。
男性を叱ることだけでもない。
「好きなようにしなさい」と言うだけでもない。
その人が本当に別の選択肢を取れるよう、
身体が担っていた仕事を代替できる技術と人手と制度を用意すること。
私はそちらまで含めて、自由と呼びたい。
🪼⛏️
女性解放の地層を掘っていたら、今回出てきたのは思想書ではなかった。
哺乳瓶と粉ミルクと水道管だった。
たぶん、こういうものも文明を変えてきたのである。

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