核兵器は特殊生態である|「使えないのに持つ価値がある」80年物の厄介兵器

核兵器について教わるとき、私たちはまず、その破壊力を教わる。

爆風。
熱線。
放射線。
放射性降下物。
そして広島と長崎で起きたこと。

もちろん、それらは核兵器を理解するために必要な知識だ。

けれど私は、ここでずっと引っかかっていた。

そんなに悲惨で、そんなに危険で、実際には簡単に使うこともできない兵器を、なぜ世界は80年以上も捨てられないのだろう。

核兵器が単純に「恐ろしい兵器」でしかないなら、話はもう少し簡単だったはずだ。

ところが現実には、核兵器はなくならない。

それどころか国家は莫大な費用をかけて維持し、更新し、運搬手段を整え、指揮命令系統を作り、敵の攻撃を受けたあとにも反撃できるよう備え続ける。

どうやら核兵器は、単なる「ものすごく強い爆弾」として考えると分からなくなる兵器らしい。

私はむしろ、

核兵器は特殊生態である

くらいに考えた方が理解しやすいと思っている。

核兵器は「一発買えば終わり」ではない

核兵器について考えるとき、私たちはつい弾頭そのものを想像する。

しかし国家が核戦力を持つというのは、倉庫に核弾頭を何個か置いておくことではない。

必要なのは、それを運ぶ仕組みだ。

航空機なのか。
弾道ミサイルなのか。
潜水艦なのか。

さらに、それを誰が管理するのか。

誰が発射を命令できるのか。
命令が本物であることをどう確認するのか。
通信網が破壊されたときはどうするのか。
事故や誤認による発射をどう防ぐのか。
敵から先制攻撃を受けたあとにも反撃能力を残せるのか。

核戦力を成立させるには、兵器だけではなく、巨大な制度が必要になる。

人員がいる。
施設がいる。
警戒網がいる。
通信がいる。
保守がいる。
更新がいる。
そして最後には、古くなったものを安全に処理する問題まで残る。

だから核兵器は、買い切り商品というより、

国家が何十年も飼育し続けなければならない巨大な生態系

に近い。

しかも、ものすごく金がかかる。

ものすごく危険である。

管理を間違えることも許されない。

そして不思議なことに、

できれば一度も実戦で使わないことが望ましい。

なんだこの兵器。

「使えない」のに「持つ意味」がある

ここが核兵器のややこしいところだ。

通常の兵器なら、基本的には使うために持つ。

戦車なら走らせる。
戦闘機なら飛ばす。
砲なら撃つ。

ところが核兵器では、

実際に使わないまま、相手に「使う可能性がある」と思わせること

そのものが重要になる。

つまり核兵器は、物理的な破壊装置であると同時に、政治的な信号でもある。

「こちらを壊せば、あなたも無傷では済みません」

という巨大な看板を国家が掲げているようなものだ。

だから、

「核兵器なんて使ったら大変なことになる」

という説明だけでは、核兵器がなくならない理由を十分には説明できない。

そんなことは核保有国だって知っている。

むしろ、

大変なことになるからこそ、持つことに政治的価値が生まれる

という逆転が起きる。

ここが核問題の嫌なところであり、同時に一番理解しなければならないところだと思う。

「核兵器は悪い」だけでは80年間を説明できない

私は、核兵器そのものに人格的な善悪があるとは考えていない。

兵器は兵器だ。

問題は、

誰が、
何のために、
どんな条件で、
どれほどの危険と費用を引き受けて保有するのか、

である。

だから私は、日本の核武装について考えるときにも、

「被爆国だから絶対に持ってはいけない」

だけでは、議論として足りないと思っている。

もっと嫌な質問をした方がいい。

日本が独自核武装するとして、

何発持つのか。

何発なら抑止になるのか。

誰を抑止するのか。

中国なのか。
ロシアなのか。
北朝鮮なのか。

一種類の核戦力で全部に対応できるのか。

相手から先に攻撃されたあとにも反撃できるようにするのか。

その場合、どこへ配備するのか。

誰が指揮するのか。

何十年間維持するのか。

いくらかかるのか。

事故、誤認、盗難、サイバー攻撃、内部不正への安全対策はどうするのか。

そして現在、日本が米国との同盟によって得ている拡大抑止と比較して、

独自核武装によって何が増え、何が減り、その差額はいくらなのか。

ここまで計算して初めて、

「日本は核武装すべきか」

という問いが具体的になる。

私は今のところ、

こんな面倒くさい特殊生物を日本が独自に飼育するくらいなら、米国の核抑止に依存している現在の構造の方がまだ合理的では?

と思っている。

これは美しい反核思想ではない。

ずいぶん世知辛い。

しかし核兵器という制度を査定するなら、こういう反対の仕方があってもいいと思う。

「被爆国だから反対」から離れても、反対できる

これは意外と重要だ。

日本の反核言説は長いあいだ、広島と長崎の記憶に大きく支えられてきた。

その歴史的重みは消えない。

けれど、

日本が被爆国でなかったとしても、独自核武装が合理的とは限らない。

ここを説明できることには意味がある。

核兵器の破壊力。
保有コスト。
事故リスク。
外交上の影響。
軍拡競争。
指揮統制。
第二撃能力。
通常戦力との関係。
同盟との関係。

それらを一つずつ査定した結果、

「いや、これ自前で飼うの、割に合わなくない?」

という結論に到達することもできる。

反核は必ずしも、

「核兵器は絶対悪です」

から始めなくていい。

核兵器について詳しくなった結果、要らないと判断する。

それも立派な反核だと私は思う。

核廃絶が難しい理由も、そこから見えてくる

逆に言えば、この構造を理解すると、なぜ核廃絶が難しいのかも分かる。

「こんな恐ろしい兵器はなくしましょう」

というだけなら、とても簡単だ。

しかし実際の国家は、

「では、それを手放したあと、現在この兵器によって得ている安全保障上の機能を何で代替するのか」

と考える。

ここを埋めない限り、核兵器は残る。

核保有国が核兵器を愛している必要はない。

核戦争を望んでいる必要さえない。

捨てたときの不利益が、持ち続ける不利益より大きいと判断しているだけで十分なのだ。

だから核廃絶を本当に考えるなら、

核兵器の残酷さを証明し続けるだけでは足りない。

その残酷さについては、すでに80年前から十分すぎるほど証拠がある。

次に必要なのは、

核兵器が現在担っている政治的機能を、どうすれば核兵器なしで代替できるのか

という問題になる。

ここから先は、倫理だけでは解けない。

外交。
安全保障。
軍備管理。
検証制度。
同盟。
国際法。
通常戦力。

いろんなものを総動員する必要がある。

核兵器は、悪いから残っているのではない。

厄介なのに、ある条件下では役に立ってしまうから残っている。

そこを見なければ、80年間なくならなかった理由も、これからなくす方法も見えてこない。

子どもにも「核兵器がなぜ残っているのか」を教えていい

だから私は、これからの平和教育では、

「核兵器を使うとこんなに悲惨です」

だけで終わらなくてもいいと思っている。

もちろん広島と長崎は学ぶ。

そのうえで、

なぜ米国は持っているのか。
なぜロシアは持っているのか。
なぜ中国は持っているのか。
なぜ北朝鮮は核開発を進めたのか。
なぜ核を手放すことが国家にとって難しいのか。
核抑止とは何なのか。
核軍縮とは何を交渉しているのか。

そこまで教えてしまえばいい。

子どもに、

「核兵器は悪いものです」という答えを渡すのではなく、核兵器という制度を査定できる道具を渡す。

そして大人になったとき、

核武装論が出てきたなら、自分で考えてもらえばいい。

何発必要ですか。
費用はいくらですか。
運搬手段は。
第二撃能力は。
誰を抑止しますか。
現在の同盟より安全になりますか。

それでも必要だと思うなら、その理由を聞けばいい。

要らないと思うなら、その理由を説明すればいい。

私は、そういう市民の方が核兵器に強いと思う。

恐怖を植え付けられたから反対する人ではない。

誰かから「忘れないで」と言われ続けなければ反対できない人でもない。

核兵器について知っているから、自分で判断できる人だ。

核兵器は、とても変な兵器だ。

高い。
危険。
維持が大変。
実際に使えば世界規模の政治的災害になり得る。

なのに、

使わないまま持っていることに価値が発生する。

だから80年以上も捨てられない。

私は、この厄介な特殊生態を、

「恐ろしいものだから見てはいけません」

とも、

「恐ろしいものだから絶対悪です」

とも言いたくない。

むしろ檻の前まで行って、説明書を読む。

何を食うのか。
年間いくらかかるのか。
なぜ国家は飼っているのか。
逃げ出したらどうなるのか。
本当に飼う必要があるのか。

そこまで調べてから、

「……いや、やっぱりこれ、うちでは飼わなくていいっスね」

と言える社会の方が、私はずっと強いと思っている。

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