家父長制は「男の心根」だけでは説明できない

徳治主義を降ろし、セックスを文明資源として見直す

家父長制を批判するとき、私はどうしても一つ引っかかる。

それは、

「男が女を支配したかったから」

という説明だけで、なぜこれほど多くの社会で父権的な制度が繰り返し現れ、維持されてきたのかを説明できるのだろうか、ということだ。

もちろん、男による権力独占はあった。

女性の自由を制限する制度もあった。

女性の性、生殖、財産、移動、教育を縛る規範もあった。

それらを批判することに私は異論がない。

しかし、

制度が不正であったことと、その制度が何を処理していたのかは別の問いである。

ここを分けずに、

「男のミソジニーが家父長制を作った」

で終えてしまうと、家父長制が処理していた機能まで一緒に見失ってしまう。

私はそこを掘りたい。

家父長制は、何を処理していたのか

人間の生殖には非対称性がある。

一人の男性は、短期間に複数の女性を妊娠させることが理論上可能である。

一人の女性は、妊娠が成立すれば、その期間は次の妊娠に進めない。

出産には時間がかかる。

産褥がある。

授乳がある。

身体の回復がある。

さらに前近代なら、母体死亡、乳児死亡、感染症、栄養不足も大きい。

つまり、生殖は単なる性行為ではない。

時間、身体、労働、財産、相続、子の所属、親族関係を一緒に動かす巨大なシステムだった。

すると共同体は、当然そこを放置しにくい。

誰の子なのか。

誰が育てるのか。

誰が財産を継ぐのか。

誰が扶養するのか。

誰が老後を見るのか。

誰と誰の婚姻を禁止するのか。

誰の血統を家として継ぐのか。

家父長制は、これらを父系へ寄せる一つの処理方式だった。

それが公正だったとは限らない。

むしろ多くの場面で女性に不利益を強く集中させた。

しかし、処理方式として存在したことと、それが正しいことは別である。

なぜ多くの社会が父権的制度を選び続けたのか

ここで私は、父権制の成立を生殖だけで説明しようとは思わない。

土地。

農耕。

家畜。

戦争。

財産。

労働力。

相続。

居住形態。

親族連合。

国家形成。

こうしたものが重なっている。

ただ、そこに妊孕性の非対称が含まれていたことは無視できないと思う。

父系社会では、男の権力を家へ固定しやすい。

男性は妊娠しない。

出産もしない。

妊娠によって政治活動を中断することもない。

世襲権力の継承において、男性本人の身体が妊娠によるリスクに晒されない。

これだけでも、権力と妊娠する身体を分離する制度上の利点はある。

だからといって、

「だから男が支配するのは自然だった」

にはならない。

母系相続もできる。

姉妹の子を継承者にしてもいい。

養子でもいい。

共同統治でもいい。

つまり生物学的制約は一つでも、制度解は複数ある。

でも逆に、

生物学的制約そのものを無かったことにして制度だけ批判する

のも雑だと思う。

「男の内なるミソジニーをなくせ」で社会は変わるのか

ここで徳治主義の話になる。

私は、人間の心根を改善すれば社会問題が解決する、という設計をあまり信用していない。

男性が女性を尊重する。

家事をする。

育児をする。

暴力を振るわない。

それは大切である。

しかし、

善良な男を作ることと、善良でなくても壊れにくい制度を作ることは別である。

ここを混ぜると、制度設計が弱くなる。

たとえば、

「夫が妻を愛していれば搾取しない」

という。

では愛が冷めたら?

「男性がミソジニーを克服すれば、女性を大切にする」

では克服しなかった男性がいたら?

「夫婦でよく話し合えば家事分担できる」

では話し合いが成立しない家庭は?

そこで私は、

「その個体が失敗したとき、制度はどうなっていますか」

と聞きたくなる。

善人だけの一妻多夫世界を作ってみても、生殖負荷は残った

『一妻多夫の淫らな世界で』というティーンズラブ小説を材料に、女性が極端に少ない母権社会を考えてみた。

女性が家を継ぐ。

夫は複数いる。

夫たちは家事をする。

妻を大切にする。

妻の性的決定権を尊重する。

財産は女家にある。

夫たちは善良である。

ミソジニーをかなり除去した社会である。

さて。

何が残るのか。

妻が妊娠する。

ここは変わらない。

夫が五人いても、妊娠期間は五分の一にならない。

夫が七人いても、出産を七人で分担できない。

善良さでは代替できない。

思想では代替できない。

そして女児が生まれなければ、女主人自身が「もう一人」と考える可能性がある。

ここまで来ると、

抑圧主体が男ではない問題

が出てくる。

身体。

時間。

確率。

妊孕性。

死亡。

これらには、内面のミソジニーがない。

徳治主義では、身体条件を変えられない

だから、

女性解放を男性の内面教育へ過剰に寄せるのは限界がある

と思う。

男性がどれだけ良い人でも、

妻の妊娠を代われない。

夫がどれだけ育児をしても、

安全な代替乳がなければ授乳を完全には代替できない時代がある。

夫がどれだけ理解していても、

妊産婦死亡率が高ければ妻は危険に晒される。

ここで必要になるのは徳ではない。

医療、技術、インフラ、制度である。

避妊。

産科医療。

粉ミルク。

上下水道。

家電。

保育。

所得保障。

これらは、男性の心根を変えずとも、女性の現実的な選択肢を増やす。

もちろん思想と権利は必要である。

しかし思想だけでは、身体の仕事を減らせない。

「人間を善くする」より「壊れにくい制度を作る」

私は徳を否定しているわけではない。

人間が善良であることは素晴らしい。

しかし社会制度に、

「全員が善良なら動きます」

と書いてはいけない。

鍵のない家を、

「住人はみな善人だから」

で設計しないのと同じである。

暴力を振るう人間は出る。

育児をしない人も出る。

嫉妬する。

欲もかく。

逃げる。

無責任になる。

だから制度は、

そこそこ愚かで、弱くて、欲深い人間が混じっていても破綻しにくい形

にした方がいい。

これが私の徳治主義への不信である。

そして家族制度も同じだと思う。

夫一人に全てを期待する。

妻一人に全てを期待する。

愛に全部を載せる。

それで壊れたら人格を責める。

それより、

人手を増やす。権限を分ける。退出路を作る。社会サービスへ外部化する。

こちらの方が私は信頼できる。

セックスは本当に「無料」になったことがあるのか

ここからさらに、性売買の話へ行く。

上野千鶴子が、

「以前は、性売買の敵はタダのセックスだと思っていた」

と語ったことがある。

つまり、女性が性的に自由になり、性交を無料で楽しむようになれば、性売買の市場は弱くなるのではないか、と。

私はこの発想にかなり引っかかる。

なぜなら、

セックスとその成果物が、文明発生後ずっと本当に無料だった時代があるのだろうか

と思うからだ。

もちろん、金銭を払わない性交はある。

しかし、

金を払わないことと、交換価値がないことは違う。

性交は、生殖・婚姻・親族・財産とずっと接続してきた

性交には妊娠可能性がある。

妊娠すれば子が生まれる。

子には所属が必要になる。

誰が育てるのか。

誰の家を継ぐのか。

誰が扶養するのか。

誰の財産を相続するのか。

誰と婚姻できるのか。

つまり性交は長いあいだ、

生殖へのアクセス権

でもあった。

そして生殖は、

親族形成へのアクセス権

であり、

相続へのアクセス権

であり、

家産形成へのアクセス権

でもあった。

ここまで来ると、

「性交に金銭を払っていない」

だけで、

その性交が無料だった

とは言いにくい。

持参金。

婚資。

扶養。

住居。

相続。

家格。

身分。

労働。

これらが性交と婚姻の周囲で交換されてきた。

性は、巨大な資源体系の中心にいた。

男女比を反転しても、性市場は消えなかった

そこで私は、性比を動かしてみた。

女性が極端に少ない社会。

男が五人、女が一人。

女性の性交アクセスは希少になる。

すると男たちは、

「結婚できなくても女性と性交したい」

と思う。

金銭を払う。

性市場ができる。

では逆に、男が極端に少ない社会。

女が五人、男が一人。

今度は男性への性交アクセスが希少になる。

女性が男性へのアクセスに金を払う市場ができる。

『大奥』にも、希少な男性を家が時間単位で貸すような描写がある。

ここで見えてくるのは、

性売買が存在することそのものと、男性支配は同義ではない

ということだ。

市場は、

需要があり、希少性があり、交換可能なら発生する。

そこに権力関係は後から重なる。

だから、

「性売買がある=ミソジニー」

だけでは、発生条件の説明として弱い。

なぜ生活困難がなくても身体を売るのか

女性が生活に困っていない。

それでも性を売る。

なぜか。

一つの答えは単純である。

換金できるから。

市場価値がある。

短時間で高く売れる。

本人が性交に強い抵抗を感じない。

なら、参入する人は出る。

もちろん、その市場に搾取や強制があるかは別問題である。

本人の拒否権はあるか。

収益を誰が取るか。

暴力はあるか。

退出できるか。

これらは重要である。

しかし、

市場が存在する理由

と、

個人が市場へ入る理由

と、

市場で搾取が発生する理由

は分けた方がいい。

全部を一つの「女性差別」で説明すると、構造が見えにくくなる。

「無料のセックス」は制度の外に本当に存在していたのか

恋人同士が金を払わず性交する。

それは現代的には「無料のセックス」と呼べるかもしれない。

しかし、その二人が同居している。

家計を共有している。

結婚している。

子を育てている。

互いにケアをしている。

相続する。

老後を支える。

ここまで来ると、

金銭の直接決済がないだけで、巨大な交換関係の中にいる。

だから私は、

「無料/有料」

より先に、

その性交がどの制度に接続されているのか

を見たい。

婚姻。

恋愛。

生殖。

共同生活。

扶養。

相続。

社会的地位。

性は、これらと何重にも接続されている。

完全な「フリー」は、案外少ない。

現代は遠くまで来たようで、まだ遠くない

現代社会は、性交と生殖をかなり分離できるようになった。

避妊がある。

中絶がある。

生殖補助医療がある。

DNA鑑定がある。

性交しなくても子を持てる。

性交しても子を持たない選択ができる。

これは歴史的には巨大な変化である。

しかし、

性交・生殖・婚姻・親族・相続・扶養

の結びつきが完全に消えたわけではない。

だから現代人が、

「セックスは個人の自由」

と言うときも、床下にはまだ制度が残っている。

妊娠したら親子法が出てくる。

子が生まれたら扶養が出てくる。

結婚すれば相続が出てくる。

離婚すれば財産分与が出てくる。

人間は、性交を完全に制度の外へ逃がせてはいない。

家父長制批判は、心根の監査から制度監査へ

だから私は、家父長制批判をもっと下まで降ろしたい。

男が女をどう思っているか。

それは重要である。

しかし、

誰が誰を扶養するのか。

誰が妊娠するのか。

誰が子を育てるのか。

誰が財産を継ぐのか。

誰が老後を見るのか。

誰が性的アクセスを独占するのか。

ここまで見なければ、家父長制を本当に代替する制度は作れない。

そして人間の心根を善くするより、

制度の配管を変える方が速いこともある。

男に、

「女性を尊重しなさい」

と言う。

それも必要。

しかし同時に、

「避妊へアクセスできます」

「一人で育児を背負わなくていいです」

「暴力があれば逃げられます」

「家族以外にも扶養ネットワークがあります」

「婚姻しなくても生活できます」

という制度を作る。

こちらの方が、人間の善意を必要としない。

セックスを道徳からいったん降ろしてみる

私はセックスを道徳から完全に切り離したいわけではない。

暴力はだめである。

強制もだめである。

同意は必要である。

しかしその上で、

セックスを善悪の象徴ではなく、文明の中で資源として動く行為

として見ると、かなり景色が変わる。

誰がアクセスできるか。

誰が独占できるか。

誰が換金できるか。

誰が子を得られるか。

誰が親族へ接続できるか。

誰が社会的地位を得るか。

これらを見る。

すると、

「男が女を搾取した」

だけでなく、

どの身体がどの時代に、どの社会条件で、どの資源として扱われたのか

が見える。

男余りなら女性の身体が高くなる。

女余りなら男性の身体が高くなる。

希少な性は価値が上がる。

価値が上がれば保護される。

管理もされる。

商品化もされる。

自由が増えるとは限らない。

ここに、権力勾配だけでは説明しきれない層がある。

私は「男の心根」を掘りたいのではない

私は、人間の内面を教育して理想社会を作るより、

なぜその制度が生まれたのか。

何を処理していたのか。

どの機能が今も必要なのか。

どの機能は技術で代替できるのか。

どこまで人間の善意を前提にしなくて済むのか。

そこを掘りたい。

家父長制が悪い。

なら壊せばいい。

しかし壊す前に、

その床下に何が通っていたのかを見る。

相続。

生殖。

扶養。

ケア。

性愛。

親族。

財産。

これらの配管を確認する。

そして必要なものだけ、別の場所へ繋ぎ直す。

それをしなければ、

床板だけ剥がして、

配管から水が噴き出す。

私はそれが嫌なのである。

女性解放は、善人を増やすことではない

女性解放を、

「男性が女性を心から尊重する社会」

とだけ定義すると、私は少し不安になる。

尊重しない男が一人でもいたらどうするのか。

妻を愛さなくなった夫がいたらどうするのか。

善意を失った人間がいたらどうするのか。

そこで制度が必要になる。

女性解放とは、

男性が善人でなくても、生きられること。

夫が協力的でなくても、逃げられること。

婚姻しなくても、社会から落ちないこと。

妊娠したくなければ、回避できること。

子どもを育てるなら、一人で背負わなくていいこと。

そして、

身体にしかできなかった仕事を、技術や社会へ移せること。

私はそちらを強く信頼する。

性と婚姻をもう一度、文明設計として見る

家父長制。

性売買。

婚姻。

妊娠。

出産。

扶養。

相続。

これらを別々の議題として扱うと、何度も同じところで詰まる。

しかし、

人間が次世代をどう作り、どう育て、どう財産を渡し、どう成人を社会へ固定してきたか

という一つの文明設計として見ると、かなり繋がる。

セックスはその入口の一つである。

だからセックスだけを、

「無料か有料か」

で切ると浅くなる。

家父長制だけを、

「男が女をどう思っていたか」

で切ると浅くなる。

そして女性解放だけを、

「男性の内面をどう教育するか」

で切ると、やはり浅くなる。

もっと下に、

身体、時間、確率、財産、労働、ケア、技術

がある。

私はそこを掘りたい。

🪼⛏️

男の心根を掘っていたら、たぶん底がない。

だから私は途中で横へ泳ぐ。

「それより配管を見せてください」

と。

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