原爆資料館の「子どもが見ない選択」と、それに反対する人たちから、反戦・核廃絶教育を考える

広島原爆投下の日に思うこと

  1. 原爆資料館の「子どもが見ない選択」と、それに反対する人たちから、反戦・核廃絶教育を考える
  2. 私の反戦教育の原風景
  3. 私は見なかったから反対しているのではない
  4. 「一生忘れない」は、教育成功の証明ではない
  5. 写真に写された被爆者の尊厳も守らなければならない
  6. アウシュビッツでは、子どもにどう学ばせているのか
  7. 米国ホロコースト記念博物館は、残虐画像をどう考えているのか
  8. 幼い子どもには、何を教えるのか
  9. 外国も最初から、この方法だったわけではない
  10. 日本では、なぜ「トラウマになってでも見せろ」となるのか
  11. 性描写には配慮を求めるのに、残虐画像は強制してよいのか
  12. 反戦教育の価値と、方法の是非は分けて考えたい
  13. 「唯一の被爆国」という使命を、子どもへ背負わせすぎていないか
  14. アメリカが投下したという主体を薄め、悲惨さだけを濃くしていないか
  15. 原爆は、投下された瞬間だけの出来事ではない
  16. 被爆国なのに、放射線を十分に教えてこなかった
  17. 核兵器を「悲惨な爆弾」とだけ教えてはならない
  18. 核は、持っているだけでも危険で金がかかる
  19. 核保有国は、自国に危険物を置き続けている
  20. 日本の反戦・反核教育は、原爆の悲惨さを過剰に教え、核そのものを過少に教えた
  21. トラウマにしなくても、反核意識は育てられる
  22. 小中学生には選択と段階を、高校生には重い資料と分析を
  23. 知らなければならない。しかし、適切な知り方が必要だ

原爆資料館の「子どもが見ない選択」と、それに反対する人たちから、反戦・核廃絶教育を考える

広島に原爆が投下された8月6日。

広島平和記念資料館に新設される子ども向け展示で、被爆直後の凄惨な写真や絵について、子ども自身が見るかどうかを選べる「選択展示」が検討されている、という記事を読んだ。

この報道に対する反応を見ていると、

「トラウマになってでも見せるべきだ」

「子どもの頃に見て怖かったからこそ、戦争はいけないと分かった」

「現実の戦争はもっと恐ろしい。目をそらさせてはいけない」

という意見が、想像以上に多かった。

中には、

「しばらく飛行機の音が怖かった」

「今でも忘れられない」

という、自分自身に長期間残った恐怖を語りながら、それを教育効果の証明として、次の子どもにも同じ体験をさせるべきだと主張する人もいた。

私は、それに驚いた。

いや、気持ちは分かる。

私だって、原爆は二度と使われてほしくない。

日本が、人類史上、原爆を投下された最初で最後の国になってほしい。

被爆者が何を経験したのか。核兵器が人体と社会へ何をもたらしたのか。それを後世へ伝えなければならないとも思っている。

しかし、だからといって、子どもをトラウマにすること自体が反戦教育になるとは思わない。

むしろ私は、強烈な反戦教育を受けてきたからこそ、別の方法を提案したい。

私の反戦教育の原風景

前にも書いたが、私はムラ育ちだ。

ムラでの反差別教育の熱心さについては、これまでにも書いたことがあると思うが、私が育った地域では、反差別教育と並んで、非常に強烈な反戦教育が行われていた。

ムラの中にある保育園でも、戦争の恐ろしさを学んだ。

私は保育園児にして、飛行機の音が聞こえると、

「B29が空襲に来たんじゃない?」

と怯える幼児に仕上がっていた。

高校野球が始まるときのサイレンを聞いても、

「空襲警報だ」

と怖がった。

まだ過去の空襲と現在の生活との区別も十分につかない幼児の神経に、戦争の恐怖だけが先に入っていた。

児童館には『怒り地蔵』の絵本があり、『はだしのゲン』があり、『はだしのゲン』のアニメフィルムが転がっていた。

そして、なぜか廊下には、原爆で黒焦げになった遺体の写真が展示されていた。

私は母が教員だったこともあり、県内の別の児童館や小学校へ連れていってもらったことがあるが、そこでも同じように、黒焦げの遺体写真が展示されていた。

燃え盛る原爆の火の中を、救いを求めてさまよい歩く人々を描いた大きな絵が、廊下や階段の壁に飾られていた。

うっかり目にしてしまうと、廊下を歩けない。

トイレに行けない。

曲がり角の向こうに、また焼けた人や死体の写真があるかもしれない。

そんな不安を、四方八方から与えられる環境だった。

ちなみに私は、母が引率する修学旅行の下見についていき、旧原爆資料館へ小学二年生でデビューしている。

そこで何を見て、何を感じたか。

細部の記憶は途切れ途切れなのに、不安と恐怖だけは、四十年以上たった今も身体のどこかに残っている。

夏になれば、原爆の歌を音楽の授業で練習した。

国語では「トビウオのぼうやは病気です」を習った。

8月6日は必ず全校登校日だった。

全校生徒が体育館へ集められ、戦争映画を鑑賞させられた。

それが嫌で休んだとしても、逃げ切れない。

夏休み明けに視聴覚室へ入れられ、休んだ子どもだけで映画を見せられるという徹底ぶりだった。

小学校の修学旅行では、広島市内と大久野島へ行った。

大久野島では毒ガス工場について学んだ。

巨大な毒ガス工場跡の不穏さが怖くて怖くて、その感覚を今でも覚えている。

中学校では第五福竜丸の展示館へ行った。

これが、私の「反戦教育」の原風景である。

私は見なかったから反対しているのではない

だから私は、原爆の悲惨さを隠せと言っているのではない。

被爆者の証言を薄めろとも、原爆資料館を明るく楽しい施設にしろとも言っていない。

私は、見なかったから言っているのではない。

見たくないものを、逃げ場なく、繰り返し見せられてきたから言っている。

子どもに、見ない選択を与えてほしい。

見る前に、何が展示されているのか説明してほしい。

途中で苦しくなったら、退出できるようにしてほしい。

見なかった子どもには、別の資料から学ぶ道を用意してほしい。

見た後に怖くなったり、眠れなくなったり、飛行機やサイレンの音に怯えるようになったときは、大人がその不安を受け止め、逃がし方を教えてほしい。

恐怖を入れるところまでで、教育を終わらせてはいけない。

投入した恐怖を処理するところまでが、大人の仕事だ。

「一生忘れない」は、教育成功の証明ではない

選択展示に反対する人の中には、

「私も子どもの頃に見て、今でも忘れられない」

「しばらく飛行機の音が怖かった」

「だからこそ、戦争は絶対にいけないと分かった」

と語る人がいる。

その人が、自分の経験を現在の反戦意識へ結びつけていることは否定しない。

傷ついた経験に意味を与えるのは、その人の自由だ。

しかし、

「私は傷ついたが、その後、反戦意識へ結びつけることができた」

という個人の経験と、

「子どもを傷つけることには教育的価値がある」

という教育方針は、同じではない。

飛行機の音を怖がった。

サイレンを空襲警報だと思って怯えた。

夜に黒焦げの遺体を思い出した。

それは、戦争について深く考えられるようになった証拠とは限らない。

教材が子どもの神経へ入り込み、授業が終わった後も警報を鳴らし続けた、という記録でもある。

「忘れられない」と「適切に学べた」は違う。

恐怖反射と反戦思想も違う。

爆発音を怖がることと、戦争がどのような政治過程で始まり、市民がどう加担させられ、国家や軍が大量殺害をどのように正当化するのかを考えられることは、同じではない。

怖がらせることは、考えさせることの代用品にならない。

写真に写された被爆者の尊厳も守らなければならない

もう一つ、強く思うことがある。

黒焦げの遺体や、全身に火傷を負った人、放射線障害の痕跡が残る人の写真を、

「子どもに原爆の悲惨さを体験させる素材」

としてだけ扱ってよいのだろうか。

写真に写っているのは、恐怖を与えるための教材ではない。

その人には名前があり、家族があり、生活があり、原爆が投下される前の時間があった。

被害者を人間として記憶するための展示が、被害者を「悲惨な画像」へ縮減してはいけない。

なぜこの写真を展示するのか。

誰が、どのような状況で撮影したのか。

本人や遺族は、公開をどう考えていたのか。

見る側は、その人の何を受け取るべきなのか。

年齢に応じて、どのような文脈とともに提示するのか。

そこまで考えることが、被爆者の尊厳を守るということだと思う。

「凄惨だからこそ見せるべきだ」とだけ言うと、被害者の身体を、次世代の子どもへ恐怖を刻むための道具として再利用してしまう。

人間の尊厳を教えるために、人間の遺体を刺激物として扱ってはならない。

アウシュビッツでは、子どもにどう学ばせているのか

ここで、海外におけるホロコースト教育を見てみたい。

もちろん、「海外ではすべてこの方法で統一されている」という話ではない。

国や学校によって、教育内容も年齢も異なる。

それでも、アウシュビッツ=ビルケナウ博物館、米国ホロコースト記念博物館、イスラエルのヤド・ヴァシェム、欧州評議会、国際ホロコースト記憶同盟など、ホロコースト教育を専門的に担ってきた機関の指針には、かなり共通した考え方がある。

それは、

歴史の凄惨さを隠してはならない。
しかし、ショックを与えること自体を教育目的にしてはならない。

というものだ。

アウシュビッツ=ビルケナウ博物館は、現在、14歳未満の子どもの見学を推奨していない

しかも、学校による見学を、現地へ連れていって終わる行事とは考えていない。

公式の教育案内では、見学を、

  1. 事前準備
  2. 現地での見学
  3. 見学後のまとめと振り返り

という、相互に関連する三段階として行うよう求めている。

教師には、歴史的な予備知識だけでなく、見学の難しさに備えた感情面の準備と、見学後の整理までが求められている。

さらに、アウシュビッツ訪問を決める際には、学校やカリキュラムからの命令だけで決めるのではなく、生徒自身の関心、必要、疑問、不安を話し合い、参加について納得を得るべきだとしている。13歳未満の場合には、教師や保護者との話し合いも特に重視されている。

つまり、本家アウシュビッツ自身が、

「現実はもっと悲惨なのだから、子どもを黙って全員連れてこい」

とは言っていない。

むしろ、

「なぜ行くのか」

「何を見る可能性があるのか」

「本人はどう感じているのか」

「見た後に、どう理解し直すのか」

を準備してから訪れることを求めている。

欧州評議会とアウシュビッツ博物館などが作成した教員向けガイドも、予備知識や目的意識を持たずに現地を訪れると、生徒が理解を得るどころか、ただトラウマになる危険があると指摘している。

真正な歴史的現場へ立てば、それだけで深い学びが生まれるという魔法はない。

準備なしの見学は、恐怖だけを残すこともあれば、反対に「学校旅行の一つ」として出来事を矮小化してしまうこともある。

米国ホロコースト記念博物館は、残虐画像をどう考えているのか

米国ホロコースト記念博物館も、残虐な資料を全面的に隠せとは言っていない。

しかし、画像や映像は、授業目標に必要な範囲で慎重に使うべきだとしている。

特に、

  • 生徒の感情的な弱さにつけ込まない
  • 被害者への侮辱と受け取られ得る画像を選ばない
  • 数字や死体だけでなく、被害者を生活していた一人の人間として伝える
  • 残虐画像を使わなくても教えられる方法を探す
  • 歴史的な文脈を与える
  • 単純な善悪物語へ縮めない

ことを求めている。

同館は、ホロコーストを疑似体験させるロールプレイやゲームについても、教育的に不適切だとしている。

生徒が一時的に強い感情を持ったとしても、授業の目的を忘れたり、「自分は被害者の気持ちを経験した」と錯覚したりすれば、歴史を理解したことにはならない。

むしろ、証言、日記、手紙、写真、行政資料など、複数の一次資料を使い、当時の人間がどのような選択をし、制度がどう動いたのかを考えることが推奨されている。

国際ホロコースト記憶同盟も、恐怖や衝撃を与える目的で凄惨な画像を使うことは、被害者を貶め、ユダヤ人を死体や無力な被害者としてだけ記憶させる危険があると警告している。

これは、原爆資料にもそのまま通じる。

被害者を大切にすることと、被害者の損傷した身体を大量に見せることは、同じではない。

被害者を忘れないためには、その人が死んだ姿だけでなく、生きていた時間を教えなければならない。

幼い子どもには、何を教えるのか

イスラエルのヤド・ヴァシェムは、幼い子どもにホロコーストを一切教えるなとはしていない。

ただし、小学生へ教える場合には、安全で支援的な学習環境を確保し、年齢に応じた一人の子ども、一つの家族、一つの共同体の物語から入ることを重視している。

戦争前にどんな生活をしていたのか。

誰と暮らしていたのか。

何を学び、何を食べ、どんな遊びをしていたのか。

迫害の中で、どのように生きようとしたのか。

そこから少しずつ歴史の範囲を広げていく。

いきなり死体の山から始めない。

子どもを恐怖の中へ置き去りにせず、学習後に安全な現在へ戻す。

これは悲惨さを隠すためではない。

子どもが、ホロコーストを「怖い死体写真」としてではなく、人間と社会と国家に何が起きた歴史なのかを理解できるようにするためである。

外国も最初から、この方法だったわけではない

では、外国の教育機関は、なぜこのような慎重な考え方へ至ったのか。

一つの事件をきっかけに、各国が一斉に方針を変えたわけではない。

戦後何十年もの間に、記念館、研究者、教師、心理職、被害者と遺族が、実際の授業と見学を積み重ねながら、少しずつ教育方法を専門化してきた結果である。

戦後のホロコースト教育では、収容所解放時の映像、遺体の山、極度に痩せた生存者など、強烈な記録映像が大きな役割を果たした。

証拠を残し、否認を許さず、何が起きたのかを世界へ示すために、そうした映像が必要だった時代もある。

しかし、映像を見せれば、自動的に歴史を理解し、差別をしない人間になるわけではない。

ヤド・ヴァシェムの教育事業に関する報告書には、フランスの学校で差別問題への対応として、ナチス収容所の凄惨な映像を含む映画『夜と霧』を上映したものの、生徒が歴史的文脈を十分に理解せず、単純な現代政治との比較へ進んだ事例が紹介されている。

その報告書は、この例を、強烈な映画を見せるだけでは足りず、教師が歴史を正確に教える専門性を持たなければならないことの表れとして扱っている。

ヤド・ヴァシェムには1995年、ホロコースト教育のための国際学校が設けられ、各国の教師や記念館職員へ、年齢に応じた教材、証言の使い方、歴史的文脈、現地見学の方法を教える研修が広がっていった。

1998年には、ホロコースト教育、研究、記憶を国際的に進める組織として、現在の国際ホロコースト記憶同盟につながる枠組みが発足した。

2000年のストックホルム宣言を経て、教師の研修、教材の精度、被害者の尊厳、反ユダヤ主義や否認への対応が、国境を越えて話し合われるようになった。

2010年には、欧州評議会、アウシュビッツ博物館、ポーランドの教育関係者が、現地訪問のための教員用ガイドをまとめた。

2019年には、国際ホロコースト記憶同盟とユネスコが、長年の教育実践と研究を整理した国際的な勧告を発表した。そこでは、ホロコーストを複雑な歴史として正確に教え、教材を慎重に選び、教師の専門性を高めることが重視されている。

つまり、この変化は、

「最近の子どもは弱いから刺激を減らそう」

という単純な話ではない。

強い刺激を与えるだけでは、

  • 恐怖で思考が止まる
  • 内容を避けるようになる
  • 凄惨さに麻痺する
  • 被害者を死体としてだけ記憶する
  • 歴史を単純化する
  • 現地へ行ったことで分かったつもりになる
  • 教師の意図とは別の偏見や誤解を生む

ことが、長年の実践の中で分かってきた。

その結果、

ショックを与える教育から、歴史を理解させる教育へ。
被害者を死の姿だけで見せる教育から、一人の人生として伝える教育へ。
一度の見学から、事前準備、訪問、事後整理を含む教育へ。

という方向が作られてきた。

外国の専門機関が、原爆資料館の選択展示と似た発想へ至っているのは、悲惨さを軽く見たからではない。

悲惨さを本当に伝えるためには、ただ傷つけるだけでは足りないと学んだからである。

日本では、なぜ「トラウマになってでも見せろ」となるのか

日本の反戦教育では、

「怖かった」

「一生忘れない」

「だから戦争に反対する人間になった」

という経験が、教育成功の物語として語られやすい。

私は苦しんだ。

その苦しみが、現在の反戦意識を作った。

ならば、あの苦しみは必要だった。

次の世代にも必要だ。

こうして、個人が自分の傷へ与えた意味が、次世代への教育方針になる。

しかし、

私は傷ついたが、その経験を自分の人生の中で意味づけた

ことと、

他人の子どもを意図的に傷つけるべきである

ことは別だ。

傷を自分の人生の中で回収する自由はある。

傷を他人へ再配布する権利はない。

記憶の継承は、傷の複製ではない。

性描写には配慮を求めるのに、残虐画像は強制してよいのか

子どもに性的な映像や描写を見せる場合には、

年齢相応か。

事前説明があるか。

本人の意思は尊重されているか。

心理的影響はないか。

と細かく議論される。

それなのに、戦争被害の写真になると、

「歴史的に必要だから」

「反戦のためだから」

「現実はもっと恐ろしいから」

という理由で、年齢も選択も飛び越えて、全員に見せるべきだという話になる。

正義のための残虐画像なら、子どもの神経へ無害になるわけではない。

画像を見た子どもの身体は、

「これは平和教育なので安全です」

とは処理してくれない。

目的が正しければ、方法も自動的に正しくなるわけではない。

戦争は、人間を国家の目的のための道具にするから恐ろしい。

その戦争を教えるために、子どもの神経を反戦教育の道具にしてよいはずがない。

反戦教育の価値と、方法の是非は分けて考えたい

私は、ムラで受けた教育のすべてを否定しているわけではない。

反戦教育と一緒に、骨太な反差別教育も受けた。

部落差別、戦争責任、人権、国家暴力、被害者の存在を、子どもの頃から考える土台を与えられた。

その教育が、現在の私を作った部分は確実にある。

だからこそ、単純に「昔の教育はすべて間違っていた」とは言えない。

しかし、

「価値のある教育だった」

ということと、

「教育方法も適切だった」

ということは別である。

受け取った思想や知識は残す。

子どもの神経を傷つけた手法は、次の世代のために改修する。

それが、教育を否定せずに更新するということだと思う。

「唯一の被爆国」という使命を、子どもへ背負わせすぎていないか

日本では、

「唯一の戦争被爆国として、原爆の悲惨さを世界へ伝えなければならない」

「日本を最後の被爆国にしなければならない」

と繰り返し言われる。

私も、最後の被爆国になってほしい。

しかし、その使命を、一人ひとりの子どもの肩へ背負わせすぎてはいないだろうか。

原爆を忘れない国民になれ。

悲惨さから目をそらすな。

怖かった記憶を、平和への誓いに変えろ。

日本に生まれた子どもは、国家の歴史的使命を、自分の神経で引き受けなければならないのか。

被爆国としての責任があるとしても、それは本来、国、政治、教育機関、研究機関、報道機関、大人たちが制度として担うべきものだ。

子どもを、原爆を忘れないための生きた記念施設にしてはならない。

毎年夏になると、原爆の歌を歌わせる。

戦争映画を見せる。

泣き、黙祷し、誓わせる。

そして翌年、また同じ場所へ戻る。

こうした教育は、記憶を継承する一方で、日本社会を被爆の瞬間へ何度も連れ戻し、そこから先へ進めなくしているところがある。

原爆の記憶を捨てる必要はない。

しかし、記憶だけに核の理解を支配させてはいけない。

アメリカが投下したという主体を薄め、悲惨さだけを濃くしていないか

日本の原爆教育では、投下後の地獄が強烈に語られる。

閃光が走った。

街が燃えた。

人々が焼かれた。

放射線障害に苦しんだ。

だから核兵器はいけない。

もちろん、それは間違っていない。

しかし、投下後の地獄へ集中しすぎると、原爆が天災のようになる。

原爆は、ある日突然、自然に空から降ってきたのではない。

人間が開発し、政治家と軍人が使用を決め、米国が人口のある都市へ投下した。

米国政府のマンハッタン計画史にも、警告や無人地域での実演を含む複数の選択肢が議論されたうえで、日本への使用が決定された経緯が記録されている。

私は、日本軍の侵略や真珠湾攻撃をなかったことにするつもりはない。

パールハーバーについては、すまなかったと思う。

しかし、日本が加害したことによって、広島と長崎の無辜の市民に核兵器を二度使用したことが相殺されるわけではない。

歴史は相殺表ではない。

日本の侵略は、日本の責任として考える。

米国の原爆投下は、米国の責任として考える。

それぞれを、それぞれに評価すればよい。

私は、当時の米国がアジア人の命を、白人の市民と同じ人間の命としてどこまで数えていたのか、今も疑っている。

第二次世界大戦中の米国の対日宣伝には、日本人を人種的に劣った敵として描く露骨な非人間化があり、米国国立公文書館自身も、反日宣伝に人種を利用することが、日本人だけでなくアジア系の同盟国まで貶める危険を当時から持っていたことを紹介している。

アジア人を人間とも思わない白人どもめ、という怒りはある。

核兵器を実際に二度、市民の頭上へ落とした国として、もう少ししおらしくしたらどうなのだ、とも思う。

もっとも、アメリカが本当にしおらしくなるときは、アメリカという国家が消滅しているときかもしれないが。

被爆者に「世界へ悲惨さを伝える使命」を背負わせる一方で、投下した主体の政治的、軍事的責任を曖昧にしてはならない。

原爆は、投下された瞬間だけの出来事ではない

原爆教育は、8月6日と8月9日の地獄だけで終わってはいけない。

原爆は、投下された瞬間だけが原爆なのではない。

生き残った人々に、急性症状が起きた。

長期にわたる健康被害があった。

働けなくなった人がいた。

生活に困窮した人がいた。

結婚や就職で差別された人がいた。

被爆歴を隠した人がいた。

「病気がうつる」

「子どもに異常が出る」

と恐れられた人がいた。

被爆者の子どもや孫にまで、偏見の影が落ちた。

朝鮮半島出身者をはじめ、日本の植民地支配の中で広島や長崎にいた人々も被爆した。

救済制度から取りこぼされた人もいる。

被爆者として認定されるために、長い間、国や制度と闘わなければならなかった人もいる。

爆発を生き延びた後、社会がその人をどう扱ったか。

そこまでが原爆史である。

被爆国なのに、放射線を十分に教えてこなかった

原爆を二度受けた国なのだから、日本では放射線について、もっと丁寧に教えるべきだった。

放射線と放射能と放射性物質の違い。

被曝と汚染の違い。

外部被曝と内部被曝。

線量と線量率。

距離、時間、遮蔽。

放射性物質が、風、水、土壌、食物を通してどう移動するのか。

高線量被曝と低線量被曝では、何が違うのか。

健康影響について、分かっていることと、まだ分かっていないこと。

遺伝的影響について、科学的に確認されていることと、社会に広がる恐怖の違い。

被爆国を名乗るなら、この程度は国民の基礎知識として教えてほしい。

しかし、日本の反戦教育は、

「放射線は恐ろしい」

という感情を強烈に教えながら、放射線を理解するための道具を十分に渡してこなかった。

その結果が、福島第一原発事故後の差別に現れたのではないか。

福島県民に対して、

「放射能がうつる」

「ベクレている」

「福島の子どもは結婚できない」

「子どもを産めない」

といった言葉が投げつけられた。

原爆の後、被爆者やその子孫へ向けられた偏見と、よく似たことが繰り返された。

福島県民について、事故による放射線被曝へ直接帰属できる健康影響は確認されておらず、将来も統計的に識別できる増加は予想されないというのが、国連科学委員会の評価である。

それでも、人間へ「汚染された身体」というラベルを貼る差別は起きた。

反戦教育、効いていないではないか。

被爆者差別を学ぶとは、

「差別はかわいそうです」

と覚えることではない。

放射線の危険を過大にも過小にもせず、被曝した可能性のある人間そのものへ「汚染」のラベルを貼らない知識と態度を持つことだ。

そこまで教えて、初めて教育が現実へ接続する。

核兵器を「悲惨な爆弾」とだけ教えてはならない

核兵器については、軍事的、政治的な道具としても教える必要がある。

核兵器は、どんな状況でも便利な万能兵器ではない。

相手国を占領し、土地や港、産業、住民を利用したい場合、核兵器は後始末があまりにも大変である。

都市とインフラを破壊する。

大量の避難民を生む。

放射性降下物は、標的地域だけにお行儀よく留まらない。

医療、行政、物流を崩壊させる。

復旧へ膨大な時間と費用がかかる。

相手国から核報復を受ける可能性もある。

核爆発の被害は国境内に封じ込めることができず、長期的な健康、環境、社会秩序へ影響し、十分な人道対応そのものが困難になると、赤十字国際委員会は指摘している。

つまり、実際に撃つ兵器としては、相当扱いにくい。

一方で、核兵器を持っていることは、その国家へ権威と威圧力を与える。

「我々へ攻撃すれば、破滅的な報復を行うかもしれない」

と思わせることで、相手の判断を変える。

核兵器は、使用するための武器であると同時に、存在と使用可能性によって政治を動かす装置でもある。

核戦争は、気が狂った指導者だけが起こすとは限らない。

狂っていないつもりの政治家や軍人が、

「限定的な核使用なら制御できる」

「敗北を避けるためには合理的だ」

「相手は報復しない」

と計算してしまう方が、むしろ怖い。

合理性の過信、誤算、情報の遅れ、組織内の同調によっても核は使われ得る。

だから、核兵器を考えるときには、

「怖いから反対」

だけでは足りない。

核兵器が、国家の中でどのような計算によって維持され、使用の可能性が管理されているのかまで見なければならない。

核は、持っているだけでも危険で金がかかる

核保有については、所有コストと廃棄コストも教えるべきだ。

核弾頭は、作って倉庫へ置いておけば永遠に使えるものではない。

劣化を点検する。

部品を交換する。

ミサイル、爆撃機、潜水艦などの運搬手段を維持する。

基地や保管施設を警備する。

盗難、横流し、内部犯行、サイバー攻撃を防ぐ。

誤警報や誤発射を防ぐ。

技術者を育成し続ける。

核物質を追跡し、管理する。

一発も撃たなくても、毎日、膨大な金と労働が必要になる。

米国議会予算局は、米国の核戦力計画について、2025年から2034年までの十年間で9460億ドルを要すると試算している。

そして、核兵器は廃棄するときにも金がかかる。

弾頭を安全に解体する。

高濃縮ウランやプルトニウムを管理する。

汚染された施設や土地を除染する。

放射性廃棄物を長期間保管する。

本当に解体されたか、国際的に検証する。

被曝した労働者や周辺住民を補償する。

米国では、核兵器生産と原子力研究が残した放射性・有害廃棄物の除去に、今後も巨額の費用が見込まれている。米会計検査院は、関連施設の除染完了に、2025会計年度時点で総額5000億ドルを超える費用が必要になるとのエネルギー省の見積もりを紹介している。

核は、作るときにも金がかかる。

持っている間も金がかかる。

古くなれば更新費がかかる。

捨てるにも金がかかる。

捨てた後も管理費がかかる。

核兵器は、国家が未来の世代と結ぶ、長く危険な契約である。

現在の政治家が国威と抑止力を得る。

まだ生まれていない人間が、老朽施設、汚染、廃棄物、解体費用を引き受ける。

核兵器の倫理は、

「発射ボタンを押すか、押さないか」

だけではない。

未来の人間へ、本人の同意なく危険物と管理費を相続させてよいのか、という問題でもある。

核保有国は、自国に危険物を置き続けている

核兵器は、敵国だけを危険にする兵器ではない。

まず保有国自身が、自国領内に危険物を置き続けることになる。

弾頭は、自国の基地や港、艦船、潜水艦、施設の中にある。

輸送事故、火災、落下、浸水、誤作動、放射性物質の漏えい、作業員の被曝といった危険を、保有国自身が引き受ける。

核基地は、戦争になれば攻撃目標にもなる。

「核があるから守られる」

と同時に、

「核があるから狙われる」

も成立する。

そして、その危険は国内で均等に配られるわけではない。

核施設は、どの地域へ置かれるのか。

周辺住民は本当に選べたのか。

雇用や地域振興と引き換えに、危険を受け入れさせられていないか。

採掘、実験、製造、保管、廃棄の負担を、誰が身体で引き受けるのか。

核の権威は中央へ集まり、核の身体負担は周縁へ押しつけられる。

そこまで学ばなければ、核兵器を「所有する」とは何なのか分からない。

日本の反戦・反核教育は、原爆の悲惨さを過剰に教え、核そのものを過少に教えた

私は、子どもの頃から原爆の悲惨さを、これでもかというほど教えられた。

しかし、核兵器について、自分で少しずつ調べ、軍事、政治、放射線、差別、維持、廃棄まで考えるようになったのは、大層大人になってからだった。

私たちは、原爆を覚えさせられた。

しかし、核を分析するための道具は、十分に渡されなかった。

追悼する人間にはされたが、核政策を監査する市民には育てられなかった。

日本の反戦・反核教育は、投下後の悲惨さへ偏りすぎている。

落とされたトラウマから、社会全体が脱却できないままなのではないか。

もちろん、脱却とは忘れることではない。

被爆者の苦しみを小さく扱うことでもない。

原爆の記憶を保持したまま、その記憶だけに核の理解を支配させないことだ。

核兵器には、都市や人間を物理的に破壊する力がある。

同時に、ある国の人間の心を何世代にもわたってスポイルし続ける、心理的威力もある。

また落とされるかもしれない。

忘れたら、再び起きるかもしれない。

被爆国民として、悲惨さを語り継がなければならない。

そうした恐怖と義務を、何代にもわたって国民の心へ残す。

それ自体が、核兵器が生んだ効果の一つなのではないか。

原爆を投下された国が、永遠に爆心地の周りを回り続け、核について冷静に考えることさえ、被爆者への冒涜のように感じるなら、核兵器の心理的威力は、爆発から八十年以上たっても働き続けていることになる。

トラウマにしなくても、反核意識は育てられる

私は、トラウマにしなくても、反核意識は育てられると思う。

原爆を投下した米国への歴史的な怒りがあってよい。

日本の侵略や真珠湾攻撃についても学べばよい。

原爆投下に至る政治や軍事の過程を学べばよい。

放射線の仕組みを学べばよい。

被爆者の後遺症と差別を学べばよい。

福島第一原発事故後の差別へ接続して考えればよい。

核兵器の抑止、威圧、誤算、維持費、事故、廃棄、国内の負担を学べばよい。

核兵器以外の戦争技術が、ドローン、自爆型無人機、精密誘導兵器、サイバー攻撃へ変化していることも学べばよい。

恐怖だけでは、戦争の姿が変わったときに判断を更新できない。

知識と構造理解があれば、技術や戦略が変わっても考え続けられる。

小中学生には選択と段階を、高校生には重い資料と分析を

私は、小中学生に原爆や戦争を教えるなとは思わない。

小学生には、原爆投下前の広島や長崎で、普通の人々が暮らしていたことを教えればよい。

子どもたちの学校、家族、遊び、持ち物、手紙、日記から入ってもよい。

原爆が米国によって投下されたこと。

爆風、熱線、放射線によって、街と人が傷つけられたこと。

生き残った人々にも、長い苦しみと差別があったこと。

核兵器が今も世界に存在すること。

年齢に応じた言葉と資料で、十分に深く教えられる。

凄惨な写真を見なければ、原爆を知らないことになるわけではない。

中学生には、戦争が始まる構造、日本の加害、空襲、植民地支配、被爆者差別、核兵器と放射線の基本的な仕組みを加えていけばよい。

高校生になれば、より重い一次資料を扱ってもよいと思う。

ただし、高校生であっても、事前説明と選択は必要だ。

なぜこの写真を見るのか。

被写体となった人の尊厳を、どう考えるのか。

見ることによって、何を知り、何を考えるのか。

見た後に、どう言葉へ戻すのか。

さらに、核抑止、国際政治、軍事戦略、核拡散、維持費、廃棄、原子力産業、放射線科学まで扱えばよい。

重い資料を扱うのは、高校生になってからでも遅くない。

むしろ、資料を歴史と政治の中で読み解ける年齢になってからの方が、恐怖だけで終わらず、考えることができる。

これは原爆の悲惨さを隠す案ではない。

アウシュビッツをはじめ、海外の記憶教育が何十年もかけて組み上げてきた、

事前に歴史を学ぶ。
年齢に合った資料を使う。
被害者を死体に縮めない。
強い資料は目的を明確にして扱う。
本人の不安や意思を尊重する。
見学後に感情と理解を整理する。

という方法を、日本の原爆教育でも本気で考えよう、という提案である。

知らなければならない。しかし、適切な知り方が必要だ

原爆について、知らなければならない。

被爆者が経験したことを、忘れてはならない。

二度と核兵器が使われないようにしなければならない。

しかし、知る人の神経と、知られる人の尊厳を壊さない知り方がある。

反戦教育は、子どもの身体へ恐怖を焼きつける儀式でなくてよい。

核廃絶教育は、

「悲惨なことがありました」

「二度と繰り返してはいけません」

だけで終わらなくてよい。

誰が作ったのか。

誰が使うと決めたのか。

誰が被害を受けたのか。

その後、社会は被爆者をどう扱ったのか。

放射線とは何なのか。

なぜ差別が起きたのか。

核兵器は何のために保有されているのか。

いくらかかるのか。

保有国は、自国民へどんな危険を負わせるのか。

どう解体し、どう捨てるのか。

誰が後始末をするのか。

核を使わせないために、どこを監視し、どこで止めなければならないのか。

そこまで、しっかり原爆をやってほしい。

被爆国の子どもに、恐怖を相続させるだけでは足りない。

核兵器を可能にした政治、軍事、科学、差別、産業、秘密主義、国威、誤算を読み解く道具を相続させてほしい。

記憶は残す。

被爆者の尊厳も守る。

子どもの心理的主権も守る。

そして、原爆の地獄から、核の全体像へ出ていく。

それが、これからの反戦・反核教育ではないだろうか。

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