私は子どもの頃、戦争の話が嫌いだった。
原爆も嫌だった。
戦争映画も嫌だった。
焼けた人の写真も見たくなかった。
死んだ子どもの話も聞きたくなかった。
怖かったからだ。
ただ、それだけだった。
戦争を肯定していたわけではない。
歴史を否定したかったわけでもない。
被爆者を軽んじていたわけでもない。
怖いものを見たくなかった。
ところが、戦争や原爆については、この単純な「見たくない」がなかなか認められなかった。
「大切なことだから知っておかなければならない」
「目を背けてはいけない」
「戦争はそれだけ恐ろしいものなのだから」
怖いと言えば、怖いからこそ見るべきだと言われる。
見たくないと言えば、見たくないものだからこそ知る必要があると言われる。
子どもの私は、この論理から退出する方法を持っていなかった。
今になって振り返ると、私はときどき思う。
あれは教育だったのだろうか。
それとも一部では、
「平和を理解する人間」になるためのイニシエーションだったのだろうか。
一回ずつなら、それほど多く見えない
平和教育について調べると、個々の取り組みは分散している。
学校で平和学習をする。
夏休みの登校日に戦争について学ぶ。
修学旅行で広島や長崎、沖縄を訪れる。
地域の児童館や公民館で戦争に関する展示をする。
家庭では8月になると戦争番組を見る。
新聞にも特集が載る。
NHKでも戦争や原爆のドキュメンタリーが放送される。
現在ならSNSにも、8月になると被爆資料や戦争体験が流れてくる。
それぞれを個別に見れば、
「年に一度くらい、戦争について考える機会があってもいいでしょう」
となる。
その通りだと思う。
学校は一回。
児童館も一回。
テレビも数本。
地域行事も一回。
どの提供者も、それほど大量に与えているつもりはない。
問題は、
受け取る子どもが一人だということである。
提供者は分散している。でも神経は一個しかない
学校は学校の年間計画を見る。
児童館は児童館の企画を見る。
地域施設は地域施設の予定を見る。
テレビ局は自局の番組を見る。
家庭は家庭で、
「せっかく8月だから子どもにも見せておこう」
と考える。
それぞれ善意だ。
しかし、その全部を受信する子ども側から見るとどうなるのか。
保育園で反戦教育。
小学校で平和学習。
児童館で原爆展示。
夏休みの登校日に戦争映画。
家庭で戦争番組。
修学旅行で資料館。
8月になればテレビでも新聞でも戦争。
大人になればSNSからも流れてくる。
提供者側では分散している。
でも、
私の神経系では全部同じ場所に届く。
ここには、教育設計上の妙な盲点がある。
誰も大量投与していない。
それなのに、受信者には大量に届く。
言ってしまえば、
各施設では適量でも、一人の子どもの年間総量として見るとビッチャビチャに許容量を超える
ことがあり得る。
しかも誰も悪意を持っていない。
むしろ全員が善意だからこそ、この過剰は発見しにくい。
誰も「今年この子が何回見たか」を知らない
たとえば学校で戦争映画を一本見せる。
先生からすれば一本だ。
しかし、その子が先週、児童館で原爆写真を見ていたかもしれない。
前日の夜に家庭で戦争ドキュメンタリーを見ていたかもしれない。
夏休みに広島へ行ったばかりかもしれない。
別の授業でも空襲について扱っていたかもしれない。
学校には、それが見えない。
家庭にも、学校でどれほど詳細な教材を見せられたのか分からない。
地域施設にも分からない。
つまり、
教育を提供する主体は、自分が何回目の投与者なのかを知らない。
これは戦争教育に限らず、教育全般で起こり得る問題だと思う。
一つ一つの教育内容が適切かどうかだけを査定しても足りない。
受信者側で合算したときにどうなるのか。
そこまで見なければ、本当の負荷は分からない。
しかも「もう見たくない」が退出理由にならない
それでも、嫌なら見なければいい。
普通のコンテンツなら、そうできる。
怖い映画なら消せばいい。
残酷な映像なら見なければいい。
苦手な本なら閉じればいい。
ところが平和教育では、この退出権が弱くなることがある。
なぜなら、
「見たくない」という反応そのものが、教育の必要性を証明する材料に変換されるからだ。
怖い。
だから戦争は恐ろしいのです。
見たくない。
でも目を背けてはいけません。
つらい。
それほど悲惨な出来事だったのです。
もう知っている。
忘れてはいけません。
これでは出口がない。
どんな反応をしても、
「だからこそ学ぶ必要がある」
へ戻される。
私はここに、通常の教育とは少し違う構造を見る。
イニシエーションには「耐えること」そのものに意味がある
イニシエーション、つまり通過儀礼では、知識を得ることだけが目的ではない。
ある経験を通過したこと自体によって、
「こちら側の人間になった」
と認められる。
痛みに耐える。
恐怖に耐える。
一定の儀礼を終える。
そして共同体の一員になる。
もちろん、日本の平和教育が意図的にそんな制度として設計されたと言いたいわけではない。
ただ、その一部に、
「戦争の悲惨さから目を背けず、それに耐えられること」が、平和を理解した人間の資格のようになる
構造がなかっただろうか。
原爆写真を見た。
怖かった。
それでも見た。
戦争映画を見た。
泣いた。
それでも最後まで見た。
広島へ行った。
資料館を回った。
そして、
「戦争はいけないと思いました」
という感想文を書く。
ここでは知識の獲得だけではなく、
悲惨さに触れ、傷つき、その結果として正しい結論へ到達する
という一連の経路そのものが教育になっている。
だから途中で、
「私はもう十分知りました」
と退出することが難しくなる。
通過儀礼は、途中退出したら「通過した」ことにならないからだ。
「怖かったけど見てよかった」は、その人の経験として正しい
ここで私は、平和教育を受けてよかったという人を否定したいわけではない。
子どもの頃に原爆資料館へ行った。
怖かった。
衝撃を受けた。
でも大人になった今、あれは必要だったと思う。
それはその人の経験として、そのまま尊重すればいい。
問題は、
「私は怖かったけれど意味があった」から、「だから次の子どもにも同じ経験が必要だ」へ移動するとき
である。
自分に意味があった経験が、次の世代の必修科目になる。
すると苦痛そのものが保存される。
展示方法を変えようとすると、
「これでは悲惨さが伝わらない」
となる。
刺激を調整しようとすると、
「子どもを甘やかしている」
となる。
退出できるようにしようとすると、
「歴史から目を背けさせるのか」
となる。
しかし、
戦争について理解することと、同じ強度の苦痛を世代ごとに再生産することは、本当に同じなのだろうか。
私はそこを分けたい。
教育なら、到達点を測れるはずだ
もし目的が教育なら、
「どれだけ怖がったか」
ではなく、
何を理解したか
を見ることができる。
なぜ日本は戦争へ向かったのか。
なぜ原爆は使用されたのか。
核兵器は通常兵器と何が違うのか。
戦時下では人権や報道はどう変化するのか。
国家のプロパガンダとは何か。
現在、核兵器はなぜ残っているのか。
核抑止とは何か。
軍縮とは何をしているのか。
戦争を防ぐためにどんな制度が存在するのか。
そういう問いに答えられるなら、その子はかなり多くを学んでいる。
泣いていなくてもいい。
震えていなくてもいい。
悪夢を見なくてもいい。
傷が浅いから理解も浅い、とは限らない。
逆に、強烈な恐怖を覚えていても、政治や戦争の構造について何も説明できないなら、それは「強い記憶」ではあっても、教育として何を獲得したのかは別に検討する必要がある。
分散型の善意には、総量監査が必要になる
私は平和教育そのものをなくしたいとは思わない。
むしろ残すなら、もう少し精密に設計したい。
誰が何を教えるのか。
何歳で教えるのか。
どの程度の刺激を使うのか。
すでに何を学習しているのか。
本人が退出したい場合はどうするのか。
別の教材を選べるのか。
そして何より、
一人の子どもが一年間にどれだけ戦争・死・残酷表現へ曝露されているのか。
提供者側ではなく、受信者側から総量を見る。
これはかなり重要だと思う。
善意は、合算される。
学校の善意。
家庭の善意。
地域の善意。
メディアの善意。
それぞれが一杯ずつ水を注いでいるつもりでも、
容器が一つなら、いつか溢れる。
誰も溺れさせるつもりはなかった。
だからこそ、
水を注ぐ人ではなく、容器の側を見なければならない。
「見ない選択」は、歴史否認ではない
そしてもう一つ、明確に分けておきたい。
戦争について学ばないこと。
歴史的事実を否認すること。
強烈な写真や映像を見ないこと。
この三つは同じではない。
原爆について学びたい。
でも遺体の写真は見たくない。
それは成立する。
戦争について詳しく知りたい。
でも残酷な映像は避けたい。
それも成立する。
資料館へ行く。
しかし特定の展示室には入らない。
それでもいい。
情報へのアクセスと、刺激への同意は別である。
大人に選択肢があるなら、子どもにも年齢に応じた選択肢を作ることはできる。
「見なかったら分からない」
と最初から決めなくてもいい。
まず刺激の低い情報から学ぶ。
もっと知りたい子は次へ進む。
強い資料を見る準備ができた人は見る。
退出しても、歴史を否定したことにはならない。
そういう階段を作れるはずだ。
平和を継承するなら、儀礼ではなく能力を渡したい
戦争体験者は減っていく。
被爆者も高齢になっている。
やがて、戦争を直接知る人がいない社会になる。
そのとき、私は平和教育がどうなるのかを考える。
次の世代にも同じ写真を見せる。
同じ映像を見せる。
同じ恐怖を経験させる。
そして、
「忘れてはいけません」
と言い続ける。
それだけでは、いつか伝送損失が大きくなる。
だから私は、
経験を再現することから、能力を継承することへ
少しずつ移ってもいいと思っている。
戦争について自分で調べられる。
政治的な言説を比較できる。
プロパガンダを見分けられる。
軍事政策を査定できる。
核兵器について議論できる。
違う立場の人間の論理を理解した上で、自分の判断を作れる。
そして、危険が起きたら自分や他人を守る方法を知っている。
そういう人を育てる。
それなら平和教育は、
「悲惨さを正しく受け取った人間になるための通過儀礼」
である必要がなくなる。
私はもう、平和になるために傷つかなくていいと思っている
子どもの私は、戦争の話から逃げたかった。
でも逃げられなかった。
今の私は戦争について考えられる。
核兵器についても考えられる。
歴史も読む。
安全保障についても調べる。
原爆が何をしたのかも否定していない。
つまり、
あのとき見たくなかった子どもは、平和を理解できない大人にはならなかった。
これは私にとって結構重要な事実だ。
怖い映像を見続けなければ戦争を忘れるわけではなかった。
苦痛を維持しなければ反戦できなくなるわけでもなかった。
むしろ大人になった私は、
悲惨さそのものより、
なぜそれが起きたのか。
どうすれば防げるのか。
現在の制度はどうなっているのか。
そちらを知りたくなった。
だから、もし今、
「もう見たくない」
と言っている子どもがいるなら、
私は出口を開けておきたい。
外へ出てもいい。
別の教材を選んでもいい。
今日はやめてもいい。
大人になってから戻ってきてもいい。
歴史は逃げない。
資料も逃げない。
知りたくなったときに、また学べばいい。
平和を理解するために、
子どもの神経へ入場料を払わせなくていい。
もし平和教育がいつの間にかイニシエーションになっていたのなら、
通過儀礼の門を一度外してみる。
そしてその場所に、
入口と出口のある教育を作る。
私は、その方がずっと「平和」という言葉に似合っていると思う。

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