2026年8月14日、倫理学者でトランスアクティヴィストの高井ゆと里さんによる「トランスフェミニズムはみんなのもの」という連載が、エトセトラブックスで始まった。
高井さんは第一回で、この連載を通じて伝えたいことを三つ挙げている。
第一に、トランスジェンダーの解放にはフェミニズムが必要であること。
第二に、トランスジェンダーの経験から生まれた知恵はフェミニズムを豊かにすること。
第三に、そこから生まれるトランスフェミニズムには「みんな」を解放する可能性があること。
そして最終的には、トランスジェンダー運動とフェミニズムのあいだに「橋をかける仕事をしたい」と書いている。
高井ゆと里「トランスフェミニズムはみんなのもの」第1回:連載のはじめに
私はこれを読んで、なるほど、と思った。
そして同時に、
私はたぶん、まったく違う方向へ掘っている。
と思った。
高井さんがトランスジェンダーとフェミニズムのあいだに橋を架ける思想活動をしているとすれば、私はその床下で、
「この配管、本当に一本にまとめた方がいいんですか?」
と聞いている。
思想活動屋さんの床下からこんにちは、である。
嫌な奴である。
私はトランスジェンダーを否定したいわけではない
最初にここは明確にしておきたい。
私はトランスジェンダーの人々の存在を否定したいわけではない。
トランスジェンダーの人々に固有の困難があり、それに対応する権利保障や制度設計が必要だとも思っている。
だからこそ、私はむしろ、
トランスライツは、独立した権利領域として強くした方がいいのではないか
と思っている。
フェミニズムの内部へ包摂することだけが、トランスジェンダーの権利を強くする方法ではない。
トランスジェンダーには、法的性別、性別移行、医療へのアクセス、学校や職場での扱い、身分証明、差別防止など、固有の政策課題がある。
もちろん、それらはフェミニズムが扱ってきた性別規範や性差別と交差する。
しかし、
交差することと、同じものであることは違う。
労働問題と女性問題は交差する。
障害者の権利と女性の権利も交差する。
貧困と生殖の権利も交差する。
だからといって、すべてを一つの思想体系へ収納しなければならないわけではない。
私は、独立したもの同士が必要なところで橋を架ける方が、むしろ細かく制度を作れると思っている。
高井さん自身が、一度フェミニズムでは答えが見つからなかったと書いている
高井さんの第一回で、私が特に興味深かったのはここだった。
高井さんは大学時代、性別への苦しさを考えるためにフェミニズムの歴史や理論を大量に読み込んだという。
しかし結局、フェミニズムをどれほど学んでも、自身の性別違和への答えは見つからなかった。
そして高井さん自身が、それは「当然のことである」と書いている。性別違和やそれに伴う苦痛は、フェミニズムに触れれば解消するようなものではなかったという。
その後、性別移行を経てトランスジェンダーの言論活動に関わり、そこで改めて、トランスジェンダーを苦しめる社会構造とフェミニズムが闘ってきた構造との連続性を発見する。
そこから高井さんは、
だからトランスジェンダー解放にはフェミニズムが必要なのだ
という方向へ進む。
私はここで別方向へ進む。
だからこそ、トランスジェンダー固有の思想と権利体系を独立して持った方がいいのではないか。
同じ観察から、違う設計図を描く。
ここが面白い。
私はフェミニズムを「家」だと思っていない
たぶん、この違いはかなり根本的だ。
私はフェミニズムを、自分が所属する家として扱っていない。
フェミニズムには膨大な思想的・歴史的財産がある。
女性の権利を考えるためにも、身体と生殖を考えるためにも、労働や家族制度を考えるためにも、とても有用な道具である。
だから私は使う。
しかし、
フェミニズムという思想そのものを存続させることは、私の目的ではない。
トランスジェンダーを包摂することでフェミニズムが発展するのか。
分裂するのか。
新しいフェミニズムになるのか。
それは、フェミニズムという思想運動を担っている人にとっては非常に重要な問題だろう。
しかし私にとっては、第一の目的ではない。
私が知りたいのは、
人間の身体に何が起きているのか。
そして、
その身体を持って生きる人間に、どのような権利と制度が必要なのか。
こちらである。
Human HPOは、もっとずっと昔から掘っている
私がHuman HPOで追いかけているものは、現代の「男性」「女性」「トランスジェンダー」という社会カテゴリーから始まっていない。
もっとずっと昔から始まる。
生命が生まれた。
遺伝情報を交換する生殖が現れた。
やがて配偶子が分化した。
大きな配偶子と小さな配偶子という非対称が生まれた。
そこから、妊孕を引き受ける身体が現れる。
その身体には、生殖腺、ホルモン、脳、子宮、月経、妊娠、出産、産褥、授乳、そして生殖能力の終わりまで、長い身体史が発生する。
私はその配管を追いかけている。
そしてその身体の上へ、人間社会は、
婚姻、
親族、
貞操、
相続、
労働分業、
性別役割、
宗教、
国家制度
を積み上げてきた。
だからHuman HPOにとって、リプロダクティブ・ライツは単なる「女性問題の一項目」ではない。
生命史から続く生殖システムに対して、人間がどこまで自己決定を獲得できるのか。
という問題になる。
だから私はSRHRという大きな箱が少し苦手だ
高井さんは第一回でもSRHR、すなわち「性と生殖の健康と権利」の重要性に触れている。
私はSRHRが保障しようとしている個々の権利に反対しているわけではない。
しかし私は、この言葉があまり好きではない。
なぜなら、リプロダクティブ・ライツが巨大な包括概念の中へ埋まって見えなくなる危険を感じるからだ。
性の権利。
生殖の権利。
性的指向。
性自認。
ジェンダー。
性教育。
性暴力。
避妊。
妊娠。
中絶。
出産。
不妊治療。
強制不妊。
どれも重要である。
しかし、
重要なものを全部一つの箱へ入れれば、よい制度になるわけではない。
私はむしろ、
Sexual Rights
Reproductive Rights
Transgender Rights
を別々に立てた方がいいと思っている。
そして必要なところで接続する。
たとえば「トランス男性の妊娠」は交差点として扱える
トランス男性が妊娠する。
この場合、その人が男性として社会生活を営む権利は、トランスライツの問題になる。
同時に、その身体で妊娠・出産する場合には、リプロダクティブ・ライツと生殖医療へのアクセスが問題になる。
私はこの二つを無理に一つへ溶かす必要はないと思う。
男性として扱われる権利。
そして、
妊娠する身体として適切な医療を受け、妊娠について自己決定する権利。
両方保障すればいい。
社会的カテゴリーと身体機能を分ければ、むしろ細かく対応できる。
Human HPOで私がやりたいのは、この配管分離である。
包摂することだけが進歩ではない
私は、現代の進歩的思想には少し不思議な癖があると思っている。
何かが既存の思想から排除されていたと分かる。
すると、
その人々を既存の箱へ入れることが「包摂」であり、進歩である
という方向へ進みやすい。
箱はどんどん大きくなる。
対象も増える。
理念も増える。
目的も増える。
そして最後には、
この巨大な船は、具体的にどこへ向かっているのだろう
ということが分かりにくくなる。
私は、なんでもてんこ盛りにするのは左翼運動の悪い癖だと思っている。
連帯することと、統合することは違う。
別々の思想や権利体系として独立していても、必要な時には協力できる。
むしろ独立していた方が、
「この政策は誰の、何の権利を保障するためのものか」
を監査しやすい。
私は包摂よりモジュール化を好む。
高井さんは思想活動屋さん、私は思想インフラ屋さん
高井さんは、自らを研究者でありアクティヴィストであると書いている。トランスジェンダーの仲間とフェミニストの仲間との対話からトランスフェミニズムを構築し、両者のあいだに橋を架けようとしている。
これは思想活動の仕事だと思う。
人をつなぐ。
思想を育てる。
言葉を作る。
運動を作る。
私はたぶん、それとは違う。
思想インフラ屋さんなのだ。
思想活動屋さんが立派な建物を建てている横で、私は床板を剥がしている。
「この権利とこの権利、配管を一緒にして大丈夫ですか?」
「ここ、身体とアイデンティティが同じ管に入ってませんか?」
「この概念、対象範囲を広げすぎて水圧が落ちてません?」
と地下から顔を出す。
こんにちは😃
嫌なタイプである。
しかし私は、思想を壊したいわけではない。
思想が変わっても使える配管を作りたい。
フェミニズムの潮流は変わる。
トランスジェンダーをめぐる思想も変わる。
社会が使う言葉も変わる。
しかし、
妊孕性はある。
妊娠はある。
出産はある。
避妊は必要になる。
中絶もある。
性別移行を必要とする人もいる。
医療アクセスも必要になる。
差別から守られる権利も必要になる。
だったら私は、それぞれを別々にきちんと整備しておきたい。
思想の名前が変わっても使えるように。
私は思想の人に見える。でも思想には住んでいない
これは自分でも少し厄介だと思う。
私は大量に文章を書く。
概念を作る。
社会構造を考える。
Human HPOという体系まで作っている。
外から見れば、完全に「思想の人」である。
しかし私は、思想を住居として作っているわけではない。
私にとって思想は、世界を見るための観測装置に近い。
だからHuman HPOについても、
「これが世界の真理である」
とは思っていない。
今のところ、この配管図を使うとよく見える。
もっと精度の高い配管図ができれば、私はそちらへ移るだろう。
フェミニズムも同じだ。
使えるところでは使う。
使えないところでは別の工具を持ってくる。
トランスフェミニズムについても、高井さんが橋を架けるのであれば、その橋は架ければいいと思う。
私はその橋を壊したいわけではない。
ただし私は、その橋の上に住む必要もない。
私は床下へ行く。
生命が遺伝情報を交換し始めたずっと昔まで掘り返し、配偶子が分かれ、妊孕を引き受ける身体が生まれ、その身体の上へ人間社会が何を積み上げてきたのかを追いかける。
そして現代へ戻ってきて、
トランスライツはこちら。
リプロダクティブ・ライツはこちら。
セクシュアル・ライツはこちら。
必要な場所には接続管を引く。
全部を一つにしない。
私は思想活動屋さんではない。
思想インフラ屋さんなのだ。
今日もどこかの立派な思想の床下から、
こんにちは😃
と顔を出しながら、私はHuman HPOを書いている。

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